学校長より
洲本高等学校 学校長
越田 佳孝
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今年、平成27年、2015年は、私たちが学ぶ兵庫県立洲本高等学校が生まれて118年目になります。118年前、明治30年、1987年当時の名は「兵庫県洲本尋常中学校」。淡路島の地、まだ洲本市ですらなかった津名郡の洲本の地に生まれた県下で4番目に歴史の古い高等学校です。そして、定時制が生まれたのが、昭和23年10月、太平洋戦争後、新しい教育制度が発足するのと同時で、今から67年前の話です。県下で一番古い定時制です。
私たちが学ぶ県立洲本高等学校は、兵庫県下に150校あまりある他の高校とは違う一つの大きな特徴を持っています。それは、「設立された」とか、「創立された」、「作られた」というように「受け身形」で語ることのできない存在であるということです。それは、洲本を中心とした淡路の人々の「教育」や「学び」に対する凄まじいまでの欲求、真摯な渇望が、学校を作ろうという運動を呼び起こし、その運動の成果が実を結んで、生まれた学校だからです。しかも、洲本高等学校118年の歴史で、そういう運動は三度もありました。
一つは、明治30年、県下で4番目の旧制中学校として、現在の洲本高等学校の前身に当たる旧制洲本中学校設立の時期です。二つ目が、明治36年、同じく現在の洲本高等学校のもう一つの前身に当たる旧制県立淡路高等女学校が、県下で2番目の県立高等女学校として生まれた時です。
三つ目の運動が、今、私たちが学ぶ洲本高等学校の定時制の課程設置の運動です。太平洋戦争後の昭和23(1948)年1月、「働く青年のために夜間学校をつくろうという」というポスターが、洲本市内いたるところの電柱や家々に貼り巡らされました。「洲本市夜間高校期成同盟」に集まった少年たちの「学び」に対する真摯でひたむきな魂の叫びの運動です。それは「学びたい」、しかしもろもろの事情で働かなければならない。そういう少年たちの「学び」に対する渇望の声、「学ぶこと」のすばらしさを知る者の真摯な叫びでした。
この運動では、市内全域にわたって行った戸別訪問で、短期間の間に約5000人の署名が集まり、それを洲本市長に提出しました。結果、その年の6月には、洲本市の全面的な支援のもと、洲本市立幼稚園を間借りして「夜間高校準備教育」が始まりました。記録では6月25日から9月25日まで授業を行っていたとあります。まだ正式に定時制が発足する4ヶ月も前の話です。この洲本高校定時制の歴史は、学校のために「学び」があるのではなく、「学び」のために学校がつくられたという、「教育」と「学び」の本質を体現しています。
与えられた環境の中で、なんとかして学びたい、新しい知識を身につけたいとして、未知のものに果敢に挑戦していく姿勢にこそ「学び」の本質があります。試験に受かりたいから学ぶ、資格を取りたいから学ぶ、誰かに賞賛されたいから学ぶ。それらも学ぶ動機の一つでしょう。私は否定しません。しかし、それらの「○○のために」という「目的」から自由な「学び」にこそ、「学ぶこと」の本来の在り方があると私は思っています。
学校のために「学び」があるのではなく、「学び」のために学校がつくられた。この教育と学びの本質を、私たちはややもすると忘れがちです。私は、現在の教育や学校がかかえる様々な問題の病巣は、「学校のために「学び」があるのではなく、「学び」のために学校がつくられた」という、ほんの少し冷静になって考えてみればわかる自明の理を忘れ、それを取り違えてしまったところにあると考えています。学校のために『学び』があるのではなく、『学び』のために学校がつくられた。これが洲本高校の定時制です。
県立洲本高等学校定時制の課程の歴史と伝統は、昭和23(1948)年1月、「洲本市夜間高校期成同盟」に集まった少年たちの、「学ぶこと」に対する真摯でひたむきな魂の叫びと努力の上に成り立っていることを忘れてはなりません。
今日は、本校の「歴史」と「伝統」、そして「誇り」の一端について話をしました。本校の「歴史」と「伝統」、そして「誇り」について今一度確認する。創立記念日とはそういう日です。そして、今日から、私や教職員そして生徒のみなさんが一丸となって、創立以来営々と築かれてきた本校教育の新しい一頁を加えていきましょう。応援歌に歌う「築け洲高の定時制」とはそういう意味です。今日は高らかに心を込めて一緒に歌いましょう。
平成27年5月8日
兵庫県立洲本高等学校長 越田 佳孝
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