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県西随想 ~県西歴史物語~


県西……商業学校の伝統


■県西は大正8年(1919)4月1日、兵庫県武庫郡西宮町立西宮商業補習学校として、西宮第一尋常高等小学校に併置の形で開校した。(大正15年の『西宮町誌』では4月2日の創立とある)。小学校内に少人数で開校した「小さな」商業の学校であった。この1919年は、個人で言うなら、たとえば印象派のルノワールが亡くなり、作家の江戸川乱歩が結婚した年である。しかし、この小さな商業学校の誕生の社会的背景には大きな変化があった。第一次世界大戦(1914-1918)後の、経済界の発展や貿易市場の拡大、造船・鉄鋼など「戦争景気」が、世界に出ていく商業知識豊かな人材や工業技術者の育成を急がせた。兵庫県内でも各地に商業や工業、農業の「補習学校」が設立認可され、尋常小学校卒業後の教育機会の確保も合わせ、その数は 大正期に激増している。『兵庫県教育史』では県内の実業補習学校が明治末に64校だったのが、大正15年には445校増加して計509校となったと伝える。まさに、青年団の数以上に創設されるといってもいいぐらいの激増である。その多くが消えた中、県西は生き続け、発展した。産業界の活況のみでなく、大正7年(1918)の大学令・改正高等学校令公布、8年(1919)の改正帝国大学令公布、9年(1920)の私立大学設立認可・高等女学校令改正公布、と高等教育についても拡充していく時期でもあった。さらに吉野作造の「民本主義」の用語(1916年、論文)に象徴されるような民主主義、社会主義運動、女性解放運動が進展し、西宮商業補習学校開校の翌年には上野公園で約1万人が参加して第一回メーデーが行われるなど、普通選挙・参政権要求につながる、時代の大きな転換点であった

西宮商業補習学校の開校は神戸開港(1868年)の約50年後であった。『世界の富』の神戸港。(筆者所蔵) 明治時代の西宮の商店の広告
(木版の引札)(筆者所蔵)

■本校の誕生した頃、日本では一部の富裕な人々に限られ世襲されていた選挙権を、民衆が要求する普通選挙運動が盛り上がっていた。その頃、人々に流行していた「デモクラシー節」は書生節のひとつだが、丹波篠山のデカンショ節の替え歌で、「労働神聖と口ではほめて コリャコリャ、おらに選挙権何故くれぬ、ヨーイヨーイ デモクラシー」「石炭掘りゃこそ機械が動く コリャコリャ、おらに選挙権何故くれぬ、ヨーイヨーイ デモクラシー」「親のすねかむ藪蚊にくれて おらに選挙権何故くれぬ、ヨーイヨーイ デモクラシー」などと唄われた。男女ともに18歳選挙権の実現した今、選挙権獲得の苦闘の歴史は学ばねばならない。このような「大正デモクラシー」と言われる時代に本校は少しずつ発展する。大正11年7月1日には西宮町立商業実修学校となるが、『西宮町誌』によれば大正13年12月末現在の生徒数は計115名となっている。

蓄音機レコード「デモクラシー節」。
本校誕生の大正8年  (筆者所蔵)
『課題研究』(国際経済科)

■兵庫県の商業教育では、明治11年(1878)に県と福沢諭吉らによって創設された神戸商業講習所(明治19年に県立神戸商業学校、昭和37年に県立神戸商業高等学校)の系譜があり、また、明治35年(1902)には東京高等商業学校(一橋大学の前身)に続き、2番目の官立高等商業学校である神戸高等商業学校(神戸大学の前身)が設立されていた。興味深いのは、西宮の小さな商業補習学校が、教育カリキュラム(週授業数32~34)を見れば、1年の「歩合算・珠算」「商事要項」「商用簿記」、2年の「比例珠算」、3年の「商用書信」「商用算術」「商業地理」など商業の科目以外に、読書・習字・理科・地歴・英語・体操など単位数でも幅広い学習をしていることである。エリート養成志向の旧制中学とは異なる、実務を重んじる商業の学校だが、旧制中学の無い西宮で、幅広い学力・教養を身につけさせようとしたと言えるのではないか。市民の期待と支援の中で本校は発展する。そして、阪神大水害(昭和13年)の復興作業では、神戸・阪神間の諸学校同様、宮商の生徒の熱心なボランティア活動があった。

水島てつ也[神戸高商(神戸大学の前身)創立者、初代校長]直筆書簡(筆者所蔵)。
水島銕也は神戸商業講習所でも学んだ。
県西の商業科は、戦後の復興、高度経済成長、好況不況のどのような経済情勢のもとでも、
文武両道の教育に取り組んできた。
『あゆみ』『四十年のあゆみ』(1959年)

■商業補習学校としてスタートし、戦後、商業科、その中に国際経済コース開設(平成2年4月1日)、商業科を国際経済科に改編(平成7年4月1日)、と進んできた県西も、内外に多くの人材を出したが、国際経済科の閉科式典(平成25年3月2日)をもって、普通科・音楽科の2科になった。国際経済科は進学、就職において好成績を残し、卒業生からオリンピック選手なども輩出していた。この閉科にあたり、憩いの広場の池の近くに、記念の桜が生徒たちの見守る中、植樹された。同窓会事務局長だった私も土を入れた。今、この桜は成長し、美しく咲く。国際経済科はなくなったが、しかし、商業学校としての脈々と受け継がれた長い伝統は今日の県西の教育の中に、しっかり根を張り、生きている。たとえばキャリアガイダンス教育の充実の中で、リサーチⅠ、リサーチⅡと進路選択や生き方、学問研究、進学先リサーチを積み重ねた生徒たちは3年次で「課題研究」に取り組む。全員、文系も理系も自分で学問研究のテーマを探し、仮説を立て、調査し、検証し、まとめで発表(ポスターセッションやパワーポイントを使用してのプレゼンテーション)する。さまざまな研究テーマのその成果は論文集としてまとめられる。これは国際経済科の取り組んでいた『課題研究』刊行の継承でもある。また、多様な進路選択に対応しようとする単位制になったが、普通科の生徒も簿記やマーケティング等の商業科目を選択履修している。ビジネスの技術向上に取り組むビジネスライセンス部では、今年、5月26日に行われた全国高等学校珠算・電卓競技大会兵庫県大会において団体初優勝。珠算の個人の部では8年連続の全国大会出場、珠算団体と電卓は初の出場を果たした。8月1日に行われた全国大会で、団体総合競技9位、個人総合競技3等、種目別競技では読上算2位、その他「佳良」の好成績をあげた。全商検定試験1級は4冠1名、3冠1名を出し、超難関の日本商工会議所主催簿記検定(日商簿記)では3年次生が2級に2名合格している。ビジネスライセンス部のクラブ通信には、全国大会出場、活躍に関し、「感謝」の大切さが説かれる。また、資格取得のみならず、県西祭では、東北の被災地の共同作業所(宮城県山元町)で作られたジャムやクッキーの販売など支援の活動も行っている。県西の商業学校の歴史と伝統は、しっかり今の生徒に受け継がれている。(石戸信也)

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