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県西随想 ~県西歴史物語~


県西出身のプロ野球選手たち

県西は甲子園球場や、現在は阪急西宮ガーデンズになっている西宮球場が近く、プロスポーツの中でも特に野球に親しむことのできる西宮市に立地する高校である。阪神甲子園球場は、大正13年(1924年)、すなわち干支で「甲子」の年に完成し、敷地7万2000㎡、周囲1㎞で、東洋一を誇った。阪神は、ニューヨークのヤンキースタジアムのような大球場建設をめざし、当初は8万人も収容できる規模を考えていた。牛にも土を踏ませてわずか5ヶ月で完成している。昭和10年12月には、大阪野球倶楽部(大阪タイガース、のちの阪神タイガース)が誕生し、甲子園球場はその本拠地となった。
 以後、この大正時代の名建築である甲子園球場では、戦時中の大鉄傘撤去など時代の波にもまれながら、宿敵巨人軍との伝統の対戦をはじめ、幾多の熱戦を繰り広げてきた。もちろん高校野球のメッカでもある。先日、親交のある元サンテレビボックス席アナウンサーの西澤暲さんが「阪神戦、実況32年。甲子園の放送席から見たタイガースの真実」(講談社)を出され、1冊いただいたが、数々のエピソードが紹介されている。また阪急は昭和11年に球団を創設し、翌年には阪急西宮球場を開場した。
 阪神タイガースの応援歌といえば、有名な「六甲おろし」(佐藤惣之助作詞、古関裕而作曲)が甲子園球場をはじめ全国で熱心な猛虎ファンに熱唱されているが、この原曲名「大阪タイガースの歌」は、現存する日本プロ野球球団歌の中で最古である。多くの人に唄われ録音されてきた「六甲おろし」だが、実は最初に歌いレコードに吹き込んだ歌手については意外に知られていない。日本初のジャズヴォーカリストであり、「山寺の和尚さん」コーラス、戦後は「おーい中村君」など作曲でも活躍した中野忠晴である。数年前に「幻の原盤」ともいうべき戦前のSPレコード(蓄音機で聴く)の所有者を大阪に訪ね、聴くことができた。この名曲誕生時、甲子園ホテルでお披露目の会が開催され(1936年3月25日)、参加者に約200枚配布された内の1枚。レコード会社も阪神球団も持っていなかったものである。牧師の子として教会音楽を聴きながら六甲山麓で育った中野は「六甲おろし」や「ロサンゼルス五輪日本選手団応援歌・走れ大地を」(1933)はじめ多くの歌をレコードに吹き込んだ。
 さて、県西出身のプロ野球選手たちを見てみよう。たとえば地元のタイガースでは、県西・法政大(中退)をへて1955年に当時の大阪タイガースに入団した捕手の蘭定美男がいる。前年の1954年には広島カープに、県西を卒業した緋本祥男(登録名・緋本祥好)が入団した。チームでトップの本塁打数の活躍の年もある外野手だったが、のちに東映フライヤーズに移り、一塁手になった。1962年には日本シリーズで優勝している。この広島カープには1956年、県西から捕手として竹下元章が入団した。甲子園球場に近い地元の高校として、こうしたプロ野球に進んだ卒業生たちのことを記憶にとどめておきたい。2012年執筆(石戸信也)

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