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県西随想 ~県西歴史物語~


県西のキャンパスの樹木から

観測史上、最大級の暑さという歴史的な猛暑が過ぎ、生徒昇降口前のキンモクセイの香りが生徒諸君を毎日、迎えていたかと思うと、あっという間に秋が走り抜けた。クラスではストーブ委員が話題になるなど、寒い冬は目の前に近づいてきている。季節の移り変わりは早いものである。正門を入ると、赤・黄色に色づいた木々が落ち葉を広げ、「錦秋」という名にふさわしい秋の装いの「憩いの広場」が見える。「青春・朱夏・白秋・玄冬」の四季の言葉を楽しめるかのように、県西のキャンパスには多くの植物があり、季節の変化を知ることができる。中には樹木の名前が付けられている木もある。一度、歩いて見に行こう。
 県西の正門から、「憩いの広場」、講堂の前と歩いてみると多くの樹木の名を発見することができる。たとえば、正門入り左側の背の高い木はメタセコイア(スギ科。Metasequoia Glyptostroboides)。原始からの生命力を感じさせる。学名が江戸産を意味するソメイヨシノ(バラ科。Prunus Yedoensis)は赤や黄色に染めた葉を落としている。シダレザクラ(バラ科。 Prunus Pendura)、1828年のシーボルト事件の時の、ヨーロッパ向けの船に積まれていた日本の植物の、膨大なコレクションのリストの中にもあったサンゴジュ(スイカズラ科。Viburnum Awabuki)、サツキ(ツツジ科。Phododendrow Indicum)、コブシ(モクレン科。Magnolia Kobus)、兵庫県の県木クスノキ(クスノキ科。Cinnamomum Camphora)、テニスコート沿いにはアラカシ(ブナ科。Quercus Glauca)もある。クロマツ(マツ科。Pivus Thunbergii)やアカマツ、また、ユキヤナギ(バラ科。Spiraea Thunbergii)もある。 
 たとえば、この「Thunbergii」の学名は、18世紀末、江戸時代に長崎へ来日し、『日本紀行』を書いたスウェーデンの植物学者ツュンベルク(ツュンベリー。Carl Peter Thunberg)に由来することは言うまでもない。KLMオランダ航空の機内誌『ウインドミル(風車)』の歴史のコラムに、かつて、私の所蔵している出島からの輸出用醤油瓶(コンプラ瓶)の写真が掲載されたことがあるが、この写真は2008年の拙著『神戸レトロ コレクションの旅』(神戸新聞総合出版センター刊)の、第33章「神戸と海のシルクロード」でも掲載した。この中で、ツュンベルクが『日本紀行』で、日本醤油がヨーロッパにまで運ばれたことを記録していることを紹介した。ヴェルサイユ宮殿でも日本の醤油は愛用されたであろう。波濤万里を越えた東西交流を振り返ることは、今までの「鎖国」イメージの見直しにつながる。この日本植物学の父と言えるツュンベルクは、あのリンネの愛弟子であり、1775(安永4年)長崎に来日し、『フロラ・ヤポニカ(Flora Japonica.日本植物誌)』を著した。日本の812種の植物を紹介し、そのうち418種は新種だったという。
 江戸時代のヨーロッパとの交流といえば、シーボルトも忘れることはできない。オランダのライデンなどの街に滞在し、シーボルトゆかりの史跡や博物館、ライデン大学(日本植物園)を訪ねたことがある。言うまでもなく、日本の植物や文化を世界に紹介したのはシーボルトだし、県西から見える六甲山にあったアジサイの学名オタクサ(Hydragea Otakusa)は、彼の長崎での日本人の妻「たき」(おたきさん)から来ている。シーボルトはツュンベルクの『フロラ・ヤポニカ』を伊藤圭介に渡し、伊藤はこれをもとに『秦西本草疏』で、リンネの分類法を日本に紹介した。ツュンベルクは日本の植物の多くに命名し、サザンカ・ナンテン・カキなど日本名をそのままつけたものもある。シーボルトはユキヤナギ・タブノキ、また昆虫ではナガサキアゲハ(Papillo memnon thunbergii Sieb)などの学名に、尊敬するツュンベルクの名を冠した。県西のキャンパスにある植物の学名から世界史や日本史、東西の文明の交流が見えるのである。2010年11月22日執筆(石戸 信也) 

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