〒662-0813 西宮市上甲東園2-4-32
Tel 0798-52-0185 Fax 0798-52-0187
■兵庫県立美術館の「プラド美術館展・ベラスケスと絵画の栄光」展を観た。かつて「太陽の没することの無い大帝国」としてヨーロッパ・アジア(たとえばフィリピンの国名はスペイン国王フェリぺにちなむ)・アメリカ大陸といった地域の数百万人のエリアを支配し、「無敵艦隊」を有したカトリック国家・スペイン(イスパニア)の繁栄を感じさせる圧倒的な迫力の絵画の数々があった。スペインもマドリードやトレドなど各地の美術館を訪ねたことがあるが、世界的な絵画コレクションをまた神戸で観ることができたのは眼福であった。新大陸アメリカのカリフォルニアもメキシコもかつてはスペイン領である。アメリカ西部や南部に建てられた建築の様式が「スペイン風」、つまりスパニッシュ・スタイルである。しかし、スペインの建築そのままではない。アメリカナイズされたスペイン様式ということであろうか。キリスト教主義の学舎の場合、「スパニッシュ・ミッション・スタイル」になる。赤屋根瓦、黄色いクリーム色の壁、屋上の暖炉の煙突、そして前庭の異国情緒(エキゾチシズム)豊かな,高く伸びる大きな棕櫚(シュロ)の木。温暖な地中海のような南欧の空気を感じさせる建築である。
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関西学院の正門とキャンパス (戦前の絵葉書)(筆者所蔵) |
神戸女学院のヴォーリズ設計のキャンパス (戦前の絵葉書) (筆者所蔵) |
■県西の近くの「スパニッシュ・ミッション・スタイル」の学校といえば、昭和初期に神戸から移転してきた関西学院や神戸女学院。どちらもアメリカ人ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(William Merrell Vories,1880-1964)の設計で知られる。カンザス州出身の彼はプロテスタント伝道のために明治38年(1905年)に来日し、滋賀県近江八幡の県立商業学校で英語の教鞭をとる。初めて来た琵琶湖畔の町の、2月の寒風吹く駅の寂しいホームに着いた時、彼はやはり折り返して帰国したいと考えるが荷物も届かず、結局、仏教の強い異国の町で教壇に立った。しかし、この24歳のアメリカ人の青年教師は生徒に好かれ、このことが逆に嫉妬されたのか、聖書を教えたということで解職されてしまった。ところが異国の地での迫害と孤独、失意にもかかわらず、彼には逆境をはね返す信仰の力と明るさ、多くの人々のために働く使命感があった。高校やコロラド大学では建築家志望だったものの、いわば「素人」だった建築に、建築事務所を作って取り組み、日本の風土にあった、住む人を思う、あたたかい図面を引いた。「近江ミッション」さらには近江兄弟社を作り、病院や学校を作り、メンソレータムを販売し、琵琶湖を伝道船ガリラヤ丸で走り、多くの人々のために献身的に働き、伝道した。戦時中も日本を愛して帰国せず、満喜子夫人(神戸女学院で学び、アメリカに留学。小野藩の大名だった一柳家の娘)とともに、多くの人々のために働いた。彼は1,000棟以上の住宅、学校、教会、病院、デパート、ホテル、会社のビルなどの建築設計をおこない、キリスト教信仰、あたたかい関西弁と明るさで人々に愛された。特に学校建築については「(校舎の建築環境が)人格形成に大きい」との思いで、児童・生徒のために素晴らしい建築を各地に残す。兵庫県内の学校建築で初の重要文化財になった、中庭をロの字形に囲む神戸女学院も、甲山を背にした時計台(旧図書館)と美しい芝生を中心軸に左右対称のシンメトリーな配置をする関西学院もその一つである。
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神戸女学院講堂 (戦前の絵葉書)(筆者所蔵) |
関西学院旧図書館 (戦前の絵葉書) (筆者所蔵) |
■県西に入学した生徒に最初に配られる『道標』の巻頭に、9年前、私はこのヴォーリズ建築の点在する環境の中の「県西」の話を書き、新入生に届けた。滋賀県の
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ヴォーリズの「近江ミッション」絵葉書 (戦前)(筆者所蔵) |
ヴォーリズ設計の豊郷小学校の階段 (ウサギと亀)(筆者撮影) |
■同志社大学の学生が、100年以上前から、そして現在も歌う英語のカレッジ・ソングの歌詞はヴォーリズ作で、3番の歌詞は、「戦争の暗雲」が出てきて「愛国者」が軍へ殺到しても、「しかし、私たちは、長い平和の年月のうちに、祖国の名と名声をさらに増したいと願う」と歌う。このキリスト教主義の同志社をはじめ、関学・神戸女学院はもとより、心斎橋の大丸、大丸神戸店別館、フロインドリーブ(旧ユニオン教会)、京都四条大橋の東華菜館、京都御幸町教会、京都大丸や大丸ヴィラ、大阪医科大学、大阪女学院、京大YMCA会館、大阪教会、六甲山荘、神戸ゴルフクラブのクラブハウス、宝塚雲雀丘の高碕記念館、京都の駒井家、滋賀大学稜水会館、そして滋賀県内の旧八幡会館・旧八幡郵便局・八幡商業高校本館・旧水口図書館・水口教会・醒ヶ井郵便局・大津教会・堅田教会・近江今津のヴォーリズ資料館・滋賀銀行甲南支店、東京の主婦の友社ビルや山の上ホテル、そして今は姿を消した神戸の須磨の室谷邸や御影の小寺邸など、今まで多くのヴォーリズ建築を訪ね、いろいろな関係者と話した。一粒社ヴォーリズ建築事務所で図面も見せていただいた。最近は京都教育大学での「ヴォーリズと音楽」をめぐるシンポジウムや、大阪女学院の文化財登録記念の集まりにも参加した。先日は兵庫県の関係の主催の、甲東園から門戸厄神まで、約50名が市民ボランティアのガイドで歩く歴史散歩に参加し、県西の周辺から関学教会、関学キャンパスなど巡ったが、ヴォーリズ建築への関心が高かった。各地にヴォーリズ建築を愛する多くの人々がいる。それは、彼の建築が人間のあたたかさを感じさせるからである。
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ヴォーリズ著『吾家の設計』(1923年) (筆者所蔵) |
近江兄弟社(筆者所蔵) |
■私の手元に大正12年にヴォーリズが出版した『吾家の設計』や、昭和初期に近江八幡で開いていた小さな英語学校の広告、60年以上前の近江兄弟社の案内もある。アーカイブで言えば、近年、昭和4年の上ヶ原での関学建設の起工式に呼ばれたヴォーリズの写る映像が発見され報道されたが、では、その後近くにできた県西とヴォーリズとの関係はどうだろうか。関学や神戸女学院に合わせるかのように、かつてスパニッシュ・スタイルの赤屋根瓦、クリーム色の校舎群が建てられ、今も講堂(だから前庭は「南欧風」)と旧図書館にその頃の面影がある。以前、読売新聞社からこの講堂について取材がありコメントしたが、直接、ヴォーリズや彼のスタッフの建築でなくても、関学・神戸女学院の「スパニッシュ・ミッション・スタイル」を意識し、類似のキャンパス空間にしようとしたのだろうか。今後の調査も必要である。ただ、単純に関学の模倣とは言えないかも知れない。県西も甲東公民館梅林も、関学も、かつては芝川家の土地(果樹園などの農園)であった。甲東園駅の名は阪急に土地を譲渡した芝川又右衛門の果樹園の名にちなむ。芝川又右衛門は上甲東園2丁目に明治44年(1911年)、すでにスパニッシュ風の邸宅を、関西を代表する建築家、武田五一の設計で完成させていた(震災後、愛知県の明治村に移築復元。この内部は公開されており、武田の秀逸な建築とともに、県西も記載されている上甲東園開発のポスターや歴史説明のパネルが見られる。筆者も復元後2度訪ねている)。実は、関学より18年前にスパニッシュ風の建物が上甲東園の今の県西の近くに「郊外住宅」の先駆として出現していたことも忘れてはならない。
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県西・講堂(1955年) (筆者撮影) 西宮市費による最後の施設。 講堂は珍しかった。 |
芝川又右衛門邸(現:犬山市明治村) 武田五一設計(1912年) (筆者撮影) |
■県西の講堂や旧図書館は昭和30年に完成した。ヴォーリズの生涯では75歳の頃、亡くなる数年前である。ヴォーリズがもし再び、上ヶ原を訪ね、県西の前を通ってその校舎群を目にしていたら、「文教地区」となる関学・神戸女学院の美しいキャンパスとの調和で喜んでくれたかも知れない。(石戸信也)
<参考文献>
『ヴォーリズ建築の100年・恵みの居場所を作る』山形政昭監修.
(ウイリアム・メレル・ヴォーリズ展公式カタログ)創元社.2008
『近江の兄弟』吉田悦蔵著.近江兄弟社.1949(第59版)
『伝道と建築』株式会社一粒社ヴォーリズ建築事務所
創業100周年記念事業委員会.2008
『ヴォーリズ評伝―日本で隣人愛を実践したアメリカ人』奥村直彦著.㈱港の人.2005
『メレル・ヴォーリズと一柳満喜子』Grace Nies Fletcher著、
平松隆円監訳.水曜社. 2010
『一粒社ヴォーリズ建築事務所作品集』株式会社一粒社ヴォーリズ建築事務所.1983