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県西随想 ~県西歴史物語~


卒業アルバムは「タイムカプセル」

暑い夏がやってきた。この時期は実は郷里の西宮や宝塚に帰省する人が多いということもあり、いろいろな学年やクラスの同窓会がよく開催される。母校訪問の相談もよくあり、出身生の教員としてお待ちし案内したり、今の母校の様子を説明したりする。この時期、そういう意味で卒業アルバムを開く卒業生も多い。県西の長い歴史をふりかえる時、かつても今も生徒たちの集合写真や個人写真、学校生活や行事などを伝える最大の「タイムカプセル」は、卒業アルバムだろう。今のようなアルバムの形になる前の卒業記念写真、あるいは豪華なカラーの大きなアルバムになり、また映像を記録したものも作られる時代になっても、ともに過ごした県西での若い日々は卒業アルバムの中にある。のちの人生のどの時期に、どこでそれを開いても、「あの頃」に帰れるのである。詩人茨木のリ子さんの「伝説」という詩にあるように、「青春」がたとえ「どれが自分かわからない 残酷で 恥多い季節」であってもである。
 大正時代の卒業記念は大判の集合写真1枚である。前身の西宮町立西宮商業補習学校の第1回卒業生(大正10年)は浜脇校舎での集合写真だが、生徒は和服で、洋服の制服はまだ無い。それが昭和に入り、西宮市立西宮商業実修学校さらには西宮市立西宮商業学校と改名し、久保町のハイカラな校舎に移る頃には制服で集合写真が撮影される。戦争が近づく中で、職員集合写真にも軍の配属将校が一緒に写るようになり、「大正デモクラシー」の時代に生まれた西宮の商業の学校が急速に軍国主義の渦にのみこまれていく様子がわかる。本校の生徒が銃を担いで行進する軍事教練の写真は、西宮市平和資料館にも展示されているから見たことのある人もいるだろう。
 戦後、西宮市山手高等学校と改名しての建石校舎の、1950(昭和25)年の第2回卒業生のアルバムは薄いウグイス色のような緑の表紙で、現在と同じ校章が上部にあり、REMEMBRANCE AT HIGH SCHOOL LIFEとある。まだ戦禍の混乱の延長の中とはいえ、平和の回復と喜びが感じられる。翌年は小型の濃緑色のアルバムで、表紙に1951の年号と金色の校章。上ヶ原の校舎全景が初めて出る。飯野校長の写真と「誠実明朗簡素」という揮毫がある。この校長の写真と、教育方針を校長の書で書いたものを冒頭に出すというパターンは、このあとも続く。1953年には青山校長と「質実剛健」の書、1954年には青山校長と「至誠一貫」の書。当時の校長の、アルバムの中での存在感は大きく、校長の葬儀が「学校葬」としておこなわれたりした時代である。興味深いのは1951年もそうだが、この頃、白黒写真のアルバムとはいえ、生徒の個人別の写真が出ていることである。そして冒頭に校歌が出てくるのは今も似ているが、昭和20年代は「校旗」の写真も冒頭に出てくる。戦前、軍旗の影響下で、各校で校旗が生まれるが、この校旗を重要視する姿勢は昭和30年代に入っても続く。ただ、1957(昭和32)年のアルバムでは校旗は姿を消し、航空写真が出てくる。校長の書は続き、この年は「剛健」、翌年は「永遠の若さ」。さらに翌年は「学習意欲」。戦後の「受験戦争」が近づいてくるようだ。
 また、人文字の航空写真もある1958年のアルバムは、黒色の表紙に「けんにし」と薄い緑色の字が入った。「けんにし」という呼称が広がったのであろう。1953年のアルバムの表紙にはJOHN KEATSの英語の詩が出ていたり、1955年の表紙には本物の金属の校章のボタンが中央に付いていたりする。戦後復興から経済成長へ。卒業アルバムも装丁に趣向を凝らす余裕が出てきたのだろうか。1960年代から1970年代の卒業アルバムは冒頭に1ページだけカラーの風景(桜花や、庭でくつろぐ女子生徒など)を入れ、航空写真の全景や校歌で始まる。以前多かった校長の書は1961年には姿を消す。そして1960年代のアルバムは個人写真を毎年のせるが、1970年代に入ると、白黒中心のアルバムは変わらないものの、各クラスの集合写真は掲載し、個人写真は無くなる。1977年卒(29回生)の自分の学年のアルバムも、最初の航空写真から白黒で、カラーは1枚だけ、クラス集合写真や3年間の記録などすべて白黒であり、個人写真は無い。集合写真の下に個人名が列記される、当時のパターンを踏襲している。カラー写真に慣れている現代の高校生からすれば、驚くかも知れない。テレビも白黒からカラーに移行していく時代であった。そして校舎全景がカラーになるのは31回生(1979年卒)からだろうか。やがて1980年代になると冒頭の航空写真など各ページにカラーが増えてきて、一時、姿を消していた個人写真が34回生あたりから復活する。このあと、1990年代から2000年代へと、3年間の行事やスナップなどカラーを増やしながら、個人写真は白黒のままで続く。2011年卒(63回生)までは無かった附録のDVDが、65回生あたりから毎年、巻末に付けられるようになってきた。卒業アルバムは時代を写しながら、どんどん進化している。
 かつて卒業アルバムには冒頭に「我が高校時代」「吾が高校時代」「KENNISHI」「HILIGHT」 「私たちの高校生活」というようなタイトルがついていた。いつの時代も卒業アルバムは不思議な「タイムカプセル」である。時空をこえて、あの頃の自分たちに、あの頃の母校に戻れるのだ。今年も卒業アルバムは、どんな思い出をいっぱい編むのか楽しみである。(文・石戸信也)

第1回卒業生(1921年)浜脇校舎
西宮町立西宮商業実修学校 久保町校舎
西宮市立西宮商業学校 今津春風町校舎
西宮市山手高等学校卒業アルバム(1950年)兵庫県立西宮高等学校卒業アルバム(1951年)
兵庫県立西宮高等学校卒業アルバム
英語の詩 (1953年)
兵庫県立西宮高等学校卒業アルバム(1955年) 中央に校章ボタン
県西の卒業アルバムは甲山を背景にすることも
多い(2013年)
最新版(2015-2018年)

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