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県西随想 ~県西歴史物語~


県西の校章ものがたり

西宮市が「市」になったのは、1925年(大正14年)4月1日。西宮町が単独で市制を施行し、この時、同時に市章を制定した。都市のマークや市章はその町を象徴する。篭目の文様のような六芒星風に、西宮神社の町らしく「宮」を意味するカタカナの「ヤ」を3つ組み合わせ、中心には篆書体の「西」をおいて囲み「西宮」を表現している。六芒星やそのアレンジは日本ではよく見られるが、西宮市の市章は市のホームページでも出ており、正確には、六芒星風とはいえ、左上、右、左下の各一部で、線がずれている。この市章は、各所で見ることができ、市民に親しまれている。
 神戸市立博物館の岡泰正氏には、長年いろいろとご教示いただいているが、氏の『身辺図像学入門』(朝日新聞社)によると、正三角形を交差させた六線星形はユダヤ教では「ダヴィデの星」、イスラムでは「ソロモンの封印」と呼ばれる聖なる紋章(エンブレム)。イスラエルの国旗で有名だ。キリスト教美術では六芒星は「海の星」(ステラ・マリス)で、聖母マリアを象徴する。五芒星とともに天文学からきた図像で悪の力を封じ、恩寵・学識・美徳を象徴する。
 県西は、この市章の誕生する市制実現の前、大正8年4月に武庫郡西宮町立西宮商業補習学校として創立し、「創立50周年」記念誌(1969)によれば、この浜脇時代、最初の校章は柏の紋の中に商を入れたものだった。西宮戎神社の紋からとったようで生徒の総意によるという。のちに六芒星風の市章を用い、「商業学校」らしく、その中心に「商」の字を入れたデザインとした。つまり、今の「高」が「商」であった。昭和12年には文部省告示により修業年限を3か年(乙種)から5か年(甲種)に変更する許可が出され、『80年のあゆみ』の記述では、この甲種商業への変更時、校章は、「すでに乙種のときに、変形六稜型(市章でヤを三つ合せたもの)に商の字を入れていたが、今回もこれを踏襲することにした。六稜の先端はやや鋭角になっていた。」とある。連綿と続く今の県西の校章である。校章はやがて、戦時下の「産業戦士養成のため」の従来の実業学校廃止(昭和19年)、翌年の西宮市立工業学校併置で、西宮工業学校の生徒の校章やボタンは、中央が「工」となった。『80年のあゆみ』には、金属供出など金属の無い戦時中を示すように、この「工」の字のセルロイド製校章、陶製ボタンの写真が掲載されている。校章も時代の激動の荒波の中にあった。
 現在、県西を紹介する「学校要覧」には、校章を「西宮市の変形六稜型に、「高」の字を入れたものです。」と説明がある。六稜型のデザインは、同じ大正期にできた他校の校章でも見ることができる。たとえば阪神間では、甲南女子学園(1920年創立の甲南高等女学校が前身)が、1924年に校訓の象徴として「優美な図案」の「六稜の星型」を基本デザインにした。
 戦後、西宮市立工業学校は廃止され、学制改革で昭和23年4月に西宮市立商業学校は高校に昇格し、西宮商業高等学校となった。10月には西宮山手高等学校と改名し、この頃のアルバムを見ると現在と同じ校章である。昭和25年、県に移管し、県立西宮高等学校となる。上ヶ原へは机やイスを皆で運び、石を拾ってグランドを作り、やがて、木造校舎本館の正面には、今のデザインの大きな校章が木製の楕円形板につけられ掲げられた。昭和32年には生徒全員でグランドに校章の人文字を作り航空写真で残る。このように、県西の長い歴史とともに歩んできた校章に誇りを持ちたい。 2014年執筆(石戸信也)

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