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県西随想 ~県西歴史物語~


二つのスタインウエイ~県西と神戸女学院

2012年2月27日、県西の体育館にショパンの美しい音色が響いた。音楽科の生徒が演奏したのは、住友財閥の基礎を築いた広瀬家から寄贈された1908年(明治41年)製のスタインウエイのグランドピアノ。約100年前、日露戦争直後の時代、中国の辛亥革命やロシア革命、第一次世界大戦の前に製造された名器は、神戸の地で阪神大水害も神戸空襲も、大震災の被災もくぐり抜け、21世紀の県西に贈られた。そしてPTAと同窓会が資金を出しあって修理し、この日の披露となった。新聞各紙に紹介され、「20世紀初頭の音色で、多くの人々を再び魅了してほしい」との髙見校長先生のメッセージも掲載されている。翌日の卒業式でも演奏され、5月の同窓会理事会では県西出身の佐藤先生の演奏で各回生代表の心に感動をよんだ。
 このピアノは、別子銅山を守り、住友を大財閥に育て、日本の近代産業を発展させた初代住友総理人の広瀬宰平(文政11年~大正3年)の孫娘である八重子さんが出産の際、父から贈られたもの。八重子さんの孫・広瀬満博さん(神戸市中央区)の転居により音楽科のある県西に寄贈され、「祖母の代から大事にしていたピアノが、このまま死んでしまうのは忍びなかった。音楽家の卵たちが技量を磨くのに役立ててほしい」という広瀬さんの思いも新聞で紹介された。なお、愛媛県新居浜市には、広瀬歴史記念館があり、旧広瀬家は「別子銅山を支えた実業家の先駆的な近代和風住宅」として、重要文化財に指定されている。
 ところで、昨年の大河ドラマ「八重の桜」は、会津のジャンヌダルクと呼ばれ、のちに同志社を設立した新島襄の妻となった山本八重の幕末からの生涯を描いたが、彼女は同志社大学設立に向けて東奔西走する病弱な襄をよく支えた。実は新島襄は何度も 神戸、有馬、三田を訪ね、キリスト教の布教と同志社の確立、神戸女学院の設立の協力に尽力したが、明治21年12月から翌22年3月末まで新島夫妻は療養のため、神戸諏訪山に家を借りて滞在しており、近所の広瀬宰平の見舞いを受けて親交を深めている。広瀬家別邸で洋食と自作の浄瑠璃で療養中の襄・八重夫妻をもてなした。広瀬歴史記念館には襄から宰平に送られた手紙も残る。新島は来日したアメリカン=ボードの宣教師たちと協力し、同志社のみならず、神戸女学院、神戸教会や三田の教会設立などに貢献した。兵庫県でもプロテスタント教会・学校の誕生は新島襄の活躍による。実は神戸女学院は1890年(明治23)年に女性宣教師により神戸に輸入された1860年製の国内最古のスタインウエイ社製ピアノ(スクエア型)を所蔵しており、こちらも修理され2005年に「西洋音楽の夜明けを告げたピアノ」として神戸で70年ぶりに演奏された。神戸山本通り時代の神戸女学院はこのピアノを入手後明治26年頃に音楽館を建設した。そして21世紀の今日、西宮に最古級の二つのスタインウエイが近距離の学校に保存されたのである。ちなみに蘭学者川本幸民や白洲家、小寺家ゆかりの三田の近代化に新島襄は貢献し、日本初の心理学者・元良勇次郎 など三田出身の多くの学生が同志社の初期の卒業生となった。現在、有馬高校の横に元良勇次郎の顕彰碑がある。字は上田桑鳩。そう、講堂に掲げられている県西の校訓「質実剛健」の額を揮毫した書家である。歴史はすべてつながっていくのである。 2012年執筆(石戸 信也)

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