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県西随想 ~県西歴史物語~


県西の「昭和ヘリテージ(遺産)」②

県西のグランドに出てみよう。西を見れば、関西学院のシンボルである時計台(旧図書館)の塔屋が見える。昭和4年に関西学院が神戸・原田の森(現在、原田の森のチャペルは、神戸文学館になり、石垣には「関西学院発祥の地」の字が刻まれている)から上ヶ原に移転して以来、今に変わらぬスパニッシュ・スタイルの美しい名建築を見せている。もちろん、この関西学院は、県西の学舎の南に望む神戸女学院と同様(神戸女学院も、昭和8年まで神戸・山本通にあった)、アメリカ人宣教師で「近江ミッション」の建築家のウイリアム・メレル・ヴォーリズの設計であり、甲山を背にシンメトリーなキャンパスを誇る。この関西学院時計台は国の登録有形文化財に指定されている。
 先週9月27日の新聞記事を見てみよう。1929年、関西学院が神戸から移転した時に建設された時計台に、竹中工務店の寄贈で美しい鉄製の飾り手すりが正面2階につけられていた。しかし、太平洋戦争中、この装飾は、はずされ、シャンデリアとともに軍に供出され、戦後も復元されず数十年そのままになっていたが、このたび、ヴォーリズのデッサンと戦前の記念写真から復元され、68年ぶりに完成当時の姿に戻り、記念式典が開かれて関係者は非戦をあらためて誓ったということである。関西学院のルース・M・グルーベル院長は式典で「幼いころ失ったネックレスを、(完成から)81歳になってやっと着けられた思い」と述べたという。この時計台が県西のグランドから見えるのである。かつてこの上甲東園一帯は「日本一の文教地帯」と文相に称賛されたことがあった。県西のキャンパスはこのような環境に存在している。もちろん、ヴォーリズの作品群である、南の神戸女学院も、2008年には5棟の学舎が、西宮市の都市景観形成建築物に指定された。南地中海様式のクリーム色の外壁と赤瓦が美しい。県西の講堂と通じるものがある。
 県西のグランドの建つ合宿訓練所兼同窓会館は、昭和43年(1968)、同窓会より寄贈されたものである。創立50周年の記念事業であった。以来、県西の生徒の合宿所として活用されてきた。私自身、3年間、陸上部の合宿の場所として思い出も多く、また、1年生の時には、「クラス合宿」もここでおこなわれた。県西のユニフォームを着て、駅伝の大会を走るスタミナは、ここでの厳しい夏合宿に培われたと言える。今のようにペットボトルのジュースや、スポーツドリンクもあまり無い時代、OBが差し入れてくれ、みんなで食べたスイカの味が忘れられない。この合宿所を出て六甲山頂まで往復で走ったのも懐かしい。クラブ活動といえば、東京オリンピック(1964)を記念して建設された、部室のクラブハウスも現役である。幾多の県西の生徒の青春の舞台である。
 昭和といえば、実は、B棟の近くに木製の古い電柱がある。いつから立っているのだろうか。街の電柱はほとんどコンクリート製になった。関西電力に聞くと、西宮市内で木製の電柱(電気の本線を架ける)は、今や5本だけになったという。この県西のキャンパスに残る木製の電柱は、立派な「昭和ヘリテージ」かも知れない。宮澤賢治に魅力を感じ、東北の花巻や盛岡を何度か訪ね、作品を生んだ舞台を歩いたことがある。岩手県立盛岡農業高校(イーハトーブの学校)に残る賢治の学舎、羅須地人協会も訪ねた。彼の童話に「月夜のでんしんばしら」というのがある。月夜に電柱が行進する不思議な話である。一度、読んでみよう。県西のでんしんばしらは、どうだろうか。 2010年10月6日執筆(石戸 信也) 

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