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県西随想 ~県西歴史物語~


県西レトロ図鑑


■「温故知新」という言葉がある。古い物を見れば、多くの人々の生活や歴史 を感じることができる。今や3年生の「倫理」の教科書にも出てくる柳宗悦(1889-1961)は、民芸運動を展開し、「用の美」を唱えた人であった。学生の頃、倉敷の大原美術館で博物館学芸員の実習をしたが、棟方志功、河井寛次郎、濱田庄司、バーナード・リーチら世界的な芸術家の作品に囲まれ、今、思えば至福の時間であった。古美術・骨董(アンティーク)というのは100年以上経たものであろうし、50年ほどのものならヴィンテージであろう。アメリカの税関はこの区分をしているようである。日本でも大正ロマンなどという言葉とともに、半世紀も前のものになると「レトロな電車」「レトロなビル」「レトロな街並み」など、懐かしさを込めた言葉で語られる。いや、若い人たちにとって、モダニズムやアール・デコのデザイン、レトロなファッションはむしろ新鮮なのである。この約30年、各地の骨董市に出かけ、古美術の専門誌にも寄稿してきたが、骨董市では若い人たちの姿が増え、レトロモダンの着物を着こなしている。1950年代の音楽や1960年代のファッション、かつてのモノクロ(白黒)の映画に魅かれたりするのである。
 ■来年100周年を迎える県西には、「レトロ」なものが残されていて、大切に保存され、受け継がれている。そんな県西のレトロなものをいくつか見てみよう。(石戸信也)

① クラスの座席図。戦後のある時代の3年1組であろう。木製の黒い枠に名前の小さなピースが入れられている。席替えのたびに、担任の先生がいろいろな期待を胸に一つ一つ、生徒の名前を組み換え、枠にていねいに入れていたのであろう。現在はパソコンで座席表が作成されプリントアウトされて、教卓の上に置かれたりする。 ② 時を知らせる鐘。今も職員室にある。かなり音が大きく、ガランガランと廊下のはしまで響きわたる。昭和46(1971)年6月に県西に来た。もう約50年近くになる。近年でもチャイム代わりに使うことがあった。先日、3年の課題研究の発表の授業でもいい音を出してくれた。現役である。
③ 木製の大きなクラス名列票入れ。1~3年の各学年ごとに1組~10組まで小引出しで収納する。つまみの取れている引出しもあるが保存状態はいい。薬箪笥のような趣(おもむき)がある。1学年10~11クラスと今より規模が大きい時代があった。この名列票箱は、最近まで使用されていた。とても重い。 ④ 乳白色のガラスの電燈の笠(電笠)。洋式作法室のシャンデリアと言われていた照明器具。あたたかな、やわらかい光で照らしていたのであろう。ガラスやランプ関係の多くの文献を見ると、たとえば『江戸・明治のガラス』(由水常雄著。平凡社、1979)では、この乳白色のガラスは明治時代には製造が技術的に困難で、本格的な生産は明治40年代以降であったという。まさに大正から昭和にかけて生産される電燈の笠であり、レトロなモダニズムを感じさせる。
「真白なるランプの笠のきずのごと 流離の記憶消しがたきかな」 石川啄木
⑤ 「県西宮高」の字の焼き鏝(ごて)。講堂などの木製の机やイスの購入時に焼印を押したものと思われる。校内に残る古いイスなどにこのマークが無いか探してみよう。焼き鏝は、和菓子の製造の世界でも日本の伝統文様(千鳥、花、うさぎなど)や文字を刻印するために使用されている。約30センチはあろうかという柄の鉄の部分を合わせると、かなり大きい焼き鏝である。 ⑥ 家庭科食物実習室にあったジュラルミン製の調理鍋は各種残る。この大鍋は野外活動にも使い、カレーやシチューを作ったのだろうか。
⑦ 手回し計算機。かつて商業科で使用されたのであろう。この型のものは、複数、確認できている。今の生徒に使い方がわかるだろうか。 ⑧ これは、昔の古い電卓。とにかく大きくて重い。当時は、今のカード型のような薄い電卓、あるいはスマホの中に電卓機能が入るなど、想像もできなかったであろう。
⑨ 講堂の長椅子。入学式や集会、県西祭、学校説明会など今も使用されている。昭和30年はまだ各校とも椅子を新調する余裕無く長椅子の注文も途絶えていたので、吉野の職人さんは注文を受け、わが人生最後の仕事と渾身の情熱を注いだとの話が『80年のあゆみ』に記されている。他にも他高校や近隣の女子大から(背板と前に聖書・讃美歌を入れるポケットがある)の譲渡分があり、3パターンの長椅子が現在、混在する。

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