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県西随想 ~県西歴史物語~


県西の校歌を作詞した人はどんな人?

「六甲(むこ)の山脈(やまなみ)晴れわたり 緑色こき甲山」で始まる県西の校歌。入学後のオリエンテーションなどで、新入生は、3年生の指導もあり、校歌を歌うことが多い。生徒手帳にもまず最初に出ており、たとえば体育館にも掲げられている。式典の時、全校生で歌うこの歌は、昭和25年に制定された。入学式などの式典の会場になる講堂が昭和30年にできているから、校歌はその5年前にできたのである。楽譜の上には「さわやかに」歌うよう記されている。校歌はさまざまな機会で歌われ、各地での同窓会でも歌われている。県西生としての誇りと連帯感。1年生は先輩のように早く覚えて大きな声で、しっかりと歌えるようになろう。
 この校歌の作詞は、竹友藻風。どんな人物なのだろうか。詩人にして英文学者。1891(明治26)年9月24日生まれ。県西の校歌が生まれて4年後の1954年10月7日に亡くなった。クリスチャンの家に生まれ、15歳の頃には、神戸の文芸雑誌に投稿したり、文学青年だったようである。同志社でキリスト教の神学を学んだ後、京都帝国大学の英文科で学び、留学してコロンビア大学などで英文学を学んだ。また上田敏に師事し、1913年には詩集「祈祷」を発表。1921年には北原白秋らと新詩会を結成。ちなみに北原白秋は山田耕筰の作曲で、同志社の日本語の方の大学歌(英語のカレッジソングは、県西の近くの関西学院や神戸女学院の建築でも知られるアメリカ人W.M.ヴォーリズ作)や、関西学院の校歌も作っている。
 竹友藻風はアメリカから帰国後、慶応・東京高等師範などで教壇に立ち、昭和7年からは関西学院の教授として仁川に住んだようである。彼は「ハムレット」などシェークスピアの作品やダンテの「神曲」、またバンヤンの「天路歴程」などの文学を翻訳した。人間を愛し、自然を愛した、西宮ゆかりの詩人といわれている。県西の校歌の依頼時は大阪大学の文学博士。典雅な詩風だから、校歌の依頼も多かったようで、竹友藻風の作った校歌は多い。高砂小学校や川西中学校、県立夢野台高校、県立姫路東高校、県立星陵高校、神戸市立神港高校、そして、大阪工業大学などの校歌も彼の作詞であろう。他府県では、島根県立出雲高校、出雲市立第一中学校、90年以上の歴史をもつ大阪府立渋谷高校なども彼の作詞の校歌を歌っているようである。竹友藻風の作った校歌を歌う他府県の高校などと、「校歌サミット」ができるかもしれない。「舎」(いえ)・「園」・「平和」「友愛」など共通の語句もある。彼の「学校」への思いは普遍だったのかもしれない。県西の「80年のあゆみ」を見ると、制定時に「この歌の内容に恥じないような学校を築きあげる」約束という言葉があった。多くの校歌を依頼された竹友藻風にとって、住まいと大学の近くにあった県西の校歌は、おそらく特別の思いで作詞されたであろう。多くの先輩たちに歌い継がれてきた県西の校歌、しっかり歌い大切にしたいものである。2010年執筆(石戸信也)

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