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県西随想 ~県西歴史物語~


県西の絵葉書


パソコン、携帯電話、メールやラインの普及と、情報の氾濫の中で、現代の高校生は手紙を書いているだろうか。また、旅先から絵葉書を出しているだろうか。手紙や絵葉書は確かに、瞬時に相手に届くのでなく、ポストに投函してから「待つ」という時間が必要だ。やがて届いて読む相手のことを思い、あるいは、届くのを今日か、明日かと心待ちにする。そこには便利さとは別の、心の余裕や豊かさがあるのではないだろうか。
 郵便局の前によく「郵便局の木」として、タラヨウという樹木が植えられている。これは、タラヨウの葉に字が書けたので、葉書(ハガキ)という言葉になったからである。近代の郵便制度はローランド・ヒル(1795-1879)によってイギリスで生まれ、この「近代郵便の父」の考案で、1840年、世界最初の切手(ペニー・ブラック)がロンドンで誕生した。郵便というのはまさにヴィクトリア女王の大英帝国を始まりとして各国で発展し、1869年にはオーストリア=ハンガリー帝国で世界初の官製葉書が誕生する。日本でも明治4年(1871年)に、前島密(1835-1919)により郵便制度が始まり、切手ができ、明治6年には官製葉書が発行されていた。この日本でのちに郵便の一大変化が生まれる。郵便法改正により、明治33年(1900年)10月1日、私製葉書が法的に認められたのである。これにより、写真や絵を使用した、約9×13センチの「絵葉書」が観光地・神社仏閣・学校・会社をはじめ、みやげや記念品、広告宣伝として次々に量産され、多くの情報と美しいデザインは、人々の心をとらえたのであった。テレビの無い時代、絵葉書は同時に、谷崎潤一郎の『細雪』にも描かれた阪神大水害(昭和13年)など、災害を写真報道するメディアにもなっていくのである。
 日本での絵葉書誕生と同じ明治33年(1900年)10月、ロンドンに留学で到着したのが夏目漱石である。当時、ロンドンではネコを擬人化した絵の絵葉書が人気を集めていたが、彼は帰国後、すぐに雑誌『ホトトギス』に『我輩は猫である』を発表した。この小説の中で、イギリスで見たデザインの絵葉書を登場させているのを知っているだろうか。このエピソードは、筆者の所属する日本絵葉書会の会報に詳しく出ているが、絵葉書は文学に影響を与えたのである。手のひらに乗るような小さな絵葉書ではあるが、そこには東西を結ぶ物語や歴史がたくさんあるのである。2016年、近くの岡田山の神戸女学院のヴォーリズ建築の講堂で、創立記念講演をしたが、この時は神戸女学院の絵葉書について語った。また昨年は神戸開港150年を記念して『絵葉書で見る神戸 ハイカラ・モダンの時代』(神戸新聞総合出版センター)を出したが、絵葉書に残る建築や風景は「都市の記憶」なのである。そして、むしろ、海外の方が、日本の絵葉書(著名な画家や、デザイナーの作品)のコレクターがいて、アメリカのボストン美術館など、日本の絵葉書コレクションで知られるミュージアムや収集家、研究者も多い。
 ところで、県西の絵葉書というのは、存在するのだろうか。実はこれが存在する。その一部をあげたが、「完成記念」という題字の袋にモノクロの絵葉書を数枚入れて、昭和30年10月に発行しているので紹介しよう。上ヶ原に移転してきて、校舎の新築や校地の整備が進み、ついに完成した記念品として配布されたのであろう。この年、現存し、今も生徒の使う講堂、旧図書館ができたのだが、新しいキャンパスに新校舎を建てるのは戦後の財政の厳しい中、至難であったはずで、それだけに皆の喜びは大きいものであったに違いない。「本館を背景にした青山校長と校歌・校旗」、「講堂」、「前景」、「図書館」、「理科実験室」授業風景の生徒たち、「食物教室」授業風景の生徒たち、「作法室」といった白黒絵葉書である。袋の裏には「いぬづか写真館謹製」とあり、印刷は奈良の平井眞美館がしたことが書かれている。
 兵庫県内では戦前から、神戸一中(現・神戸高校)、神戸二中(現・兵庫高校)、神戸三中(現・長田高校)をはじめ、各地の女学校、県立工業学校(現・兵庫工業高校)、現在の豊岡高校や篠山鳳鳴高校、あるいは関西学院や神戸女学院など多くの学校が絵葉書を発行していた。校舎の落成、改築、運動会、卒業式、といった際の記念品として制作され、配布されていた。戦前の学校絵葉書については筆者の書いた数冊の本の中でも紹介している(県西の図書館にもある)。県西の「完成記念」の絵葉書は、兵庫県内の学校絵葉書の一つとしても貴重であり、当時の生徒たちや先生方の新築の校舎への熱い思いが伝わるのである。
(石戸信也)

県西の完成記念絵葉書(1955年)。袋と「前景」

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