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県西随想 ~県西歴史物語~


駅伝、サッカー、そして校歌のレコード


■スポーツの秋。県西の生徒の活躍が続いている。11月4日(日)には篠山で、県高校駅伝があり、県西の陸上競技部の男女の各チームが力走した。大正ロマン館前をスタートしてから、男子は42.195キロメートルを7区間、女子は21.0975キロメートルを5区間で、たすきをつなぎ、篠山鳳鳴高校のグランドのゴールをめざした。男子は1位西脇工、2位報徳、3位須磨学園、4位が県西だった。公立では西脇工に次いで2番ということになる。県西はゴールの近づく篠山市役所前を姫路商、龍野の選手と3人で並走する激戦だったが、最後は姫路商と篠山鳳鳴高校のグランドで競り合うラストスパートになり、4位になることができた。11月18日(日)の近畿高校駅伝へ進む。男子は各地区を勝ち抜いてきた40校中、4位。女子は30校中10位であった。秋の丹波路を力走し、沿道の多くの声援に励まされ、今年も県西のユニフォームが活躍した。応援してくださった皆様に感謝したい。県西の校名のユニフォームを着て選手として篠山の駅伝を走ってから約45年。今年も後輩の選手たちの力走を見ることができた。感謝である。同じ日、淡路では、男子サッカー部が強豪の滝川第二を破り、決勝へと進んだ。11月11日(日)、神戸のノエビアスタジアムで関学と全国大会進出をかけて闘う。公立高校である県西は地域の人々に支えられながら、文武両道を掲げてきた。さらなる応援を祈念したい。  県西の応援歌「山海萬里」の一節を選手に贈ろう。
 「山海万里 天晴れて、
  今 戦の時は来ぬ、
  熱烈の意気揚して立てる、
  県西健児の意気高し」♪♪
 ■学校の歌といえば、戦前から多くの学校が校歌や応援歌のレコードを製作してきた。昨年11月7日の神戸新聞朝刊の文化欄に「戦前神戸の蓄音機レコードの世界」というテーマで大きく一面に寄稿したが、これらの戦前のレコード(戦後のLP盤とは異なる、78回転のSP盤)を数多く集め研究していると、①の神戸一中(現在の神戸高校)など校歌レコードも入手することがある。②は戦前の京都帝国大学の大学歌。東京音楽学校からドイツに留学し、東京藝大教授・音楽学部長になる下総皖一(1898-1962)の作曲である。下総皖一は今の県西の校歌の作曲者。かつて県西は京大から古代ローマ史など西洋史の碩学、井上智勇教授を招いて周年記念の講演会を開催したことがあるが、京大との縁を感じる。近年は京大防災研究所の先生を講演に招いたこともある。この京都帝国大学の大学歌の指揮者は若き日の朝比奈隆。彼と大阪フィルも県西の講堂に演奏に来ていただいたことがあるという。なお、神戸外国語大学の校歌も下総皖一作曲。神戸外大の正門を入るとすぐこの校歌の石碑がある。
 ■県西には明治期の貴重なスタインウエイがあり演奏されているが、大正時代にこのドイツのスタインウエイの日本総代理店になったのが大阪の三木楽器(大阪開成館)である。心斎橋商店街に位置するモダンな本社ビルは、国登録文化財である。「汽笛一声 新橋を」で有名な「鉄道唱歌」を世に出したことでも知られる三木楽器だが、戦前、山田耕筰がよく訪ね西洋音楽教室を開いていた。③は大阪の戦前の豊中中学(現・府立豊中高校)の校歌のレコード。県西とほぼ同じ歴史の長さの、創立100年近い伝統校である。この今の豊中高校の校歌レコードは作曲した山田耕筰が独唱を録音している。昭和10年のようである。作詞は北原白秋。山田耕筰は神戸時代の関西学院から東京音楽学校へ進んだ。④は、戦前の早稲田大学の校歌・応援歌レコード。「都の西北」の作詞は相馬御風。「ワセダ、ワセダ」は今も変わらない。⑤は慶應義塾大学の塾歌レコード。⑥は同志社大学の校歌レコード。「椰子の実」の歌の大中寅二が作曲。⑦は建築家でもあるヴォーリズ作の同志社カレッジ・ソングである。筆者所蔵のたくさんの戦前蓄音機レコードから数枚見ていただいた。レコードはエジソンにより発明されたが、初期の蝋管レコードなどから始まり、やがて蓄音機も普及し、音楽や演説など音源をどう録音・再生するかの技術は、この100年、飛躍的に進歩してきた。現在の高校生はもはやLPの音盤に針を落とすことはなく、CDを聞いたり、ネットからダウンロードして聴く。携帯電話と同様、音楽の楽しみ方の進化は超特急だ。
 ■県西は80周年の時に、前身校時代からの各校歌、定期戦歌、「山海萬里」、震災後の「歩こうよ」など全14曲入りの「創立80周年記念CD」(⑧)を製作した。レコードからCD時代への変化の中での「名盤」といえる。しかし、戦前の西宮商業学校時代に校歌を蓄音機レコードに録音していないだろうか。戦前戦後はコロムビア、ビクターなど大手の会社をはじめ、テイチク、ニットー、ニッチク、ヒコーキ、エジソン、ツル印、キング、オリエント、マーキュリーなど、多くのレコード製作会社があり、特に蓄音機やピアノ、ヴァイオリンなど洋楽の普及の盛んだった阪神間には大小さまざまなレコード会社が存在し、「大大阪」「大神戸」の経済力を背景に、東京よりレコード文化は普及していたのではないかと思われる。豊中にはコッカレコード、西宮の今津にはタイヘイレコードの工場もあった。神戸女学院も讃美歌の合唱などニットーで録音している。宝塚少女歌劇のレコードも次々に録音、販売されていた。県西の前身の商業学校時代の校歌(大阪音楽学校を創立した永井孝次の作曲)のレコード、枚数が多く出ていないかも知れないがどこかに無いか、探し続けたい。 (石戸 信也)

① 兵庫県立第一神戸中学校校歌(戦前) ② 京都帝国大学学歌
(県西校歌と同じ下総皖一作曲)(戦前)
③ 大阪・豊中中学校校歌(山田耕筰作曲)
(戦前)
④ 早稲田大学校歌「都の西北」(戦前)
⑤ 慶應義塾塾歌(戦前) ⑥ 同志社校歌(戦前)
⑦ 同志社カレッジソング ⑧ 県立西宮高校80周年記念CD

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