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県西随想 ~県西歴史物語~


県西の講堂 … 「西宮モダニズム」

4月の入学式以来、学年集会、PTA総会、クラブ活動などで使われている講堂。この建物は、キャンパスの校舎群の中で、まさに県西を象徴する建築と言うことができるだろう。西宮の市費による最後の施設として、1955(昭和30)年の7月22日に明和工務店により、竣工。県西の『80年のあゆみ』によれば、赤屋根軒浅の南欧風の建物で、正面玄関に四ツ葉状の装飾があり、前面に植えられた棕櫚(しゅろ)の木と合わせて「異国的な光景を思わせる堂々たる文化の殿堂」である。この『80年のあゆみ』では、木の長椅子が吉野の業者に注文され、わが人生最後の仕事と渾身の情熱を注いだと伝えられているとも記されている。
 戦後の新校舎建設で完成した講堂などの施設は10月1日に落成記念式があり、阪本兵庫県知事・辰馬西宮市長らの来賓臨席のもと盛大に挙行された。阪本知事は祝辞の中で市に対し謝辞を述べている。『80年のあゆみ』では、この講堂が音響効果良く、芸術鑑賞会ではバイオリンの辻久子氏、大阪フィルハーモニーの朝比奈隆氏もこの講堂を絶讃したと紹介されている。まさに地元・西宮から兵庫県にプレゼントされた「文化の殿堂」だったのである。
 さて、西宮市の阪急沿線は、大正~昭和初期に都市開発が進み、宝塚歌劇など小林一三の「阪急文化圏」エリアとして住宅も急増した。同時にさまざまな学園がこの地に移転し、通学する学生も増加した。神戸の山本通に、同志社と同じアメリカン・ボード系(組合教会系)の女性の宣教師E・タルカット、J・E・ダッドレーらにより創設された「神戸ホーム」は、のちに「英和女学校」「神戸女学院」と名前を変え発展するが、校舎が手狭になり、昭和6年、西宮の岡田山に新築移転する。
 2008年、西宮市の都市景観形成建築物に指定された神戸女学院の美しい校舎群の設計者は、アメリカ人宣教師ウイリアム・メレル・ヴォーリズ(1880~1964。一柳米来留)。明治38年に近江八幡に来日し、熱心なキリスト教伝道と教育、医療、YMCA活動、メンソレータムでも有名な近江兄弟社の「近江ミッション」で活躍し、同時に建築家としても千数百を超える名建築を残した。大丸心斎橋店や神戸大丸の南別館、京都四条大橋の東華菜館なども彼の設計である。昭和4年に神戸の原田の森から上ヶ原に移転してきた関西学院の校舎群もヴォーリズの作品である。(彼については、拙著『神戸レトロ コレクションの旅 ~ デザインにみるモダン神戸』の第34章「ヴォーリズの遺産」を参照)。先年、大阪の「一粒社ヴォーリズ建築事務所」で彼の直筆の図面を見せていただいた。甲山の山麓に明るいスパニッシュ・スタイルのミッション校舎群を次々に建てたヴォーリズの仕事は、戦前の「阪神間モダニズム」の中で、特に「西宮モダニズム」の空気を広めたに違いない。「優れた(校舎の)建築は、良い人格を形成する」というのが彼の思想であった。同志社の校章「三つ葉のクローバー」と同様、神戸女学院も「三つ葉」だが、岡田山の講堂の正面上部には三つ葉のデザインの装飾がある。県西は四ツ葉である。ヴォーリズ建築の関西学院や神戸女学院のスパニッシュな校舎群が、同じ文教エリアの、のちの県西の講堂を南欧風にしたのではないか。新緑の甲山とともに美しい光景を作り、「異国的」と表現された県西の講堂を見る時、まさに「西宮モダニズム」と言える空気を感じるのである。県西の講堂、いつまでも大切にしたいものである。2010年執筆(石戸信也)

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