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県西随想 ~県西歴史物語~


県西祭 いま・むかし

2014年6月10日(火)・11日(水)、第65回県西祭が、素晴らしい盛り上がりで多くの思い出と交流を作り、無事終わった。今年のテーマは、「県西祭ひゃっはー!今年もすてきにおもてなっしー!」。恒例の1年生各クラスによるデコレーションは、マイク・大仏・SEKAI NO OWARI DJ LOVE・おでんくん・トトロ・オラフ!!・モアイ・クレヨンしんちゃん・サリーさんと正門からロータリーに並び、2年生のエンターテイメントクラスは、ポラロイド写真や「奇跡のビデオ上映」・巨大吊り魚絵・映像上映と多彩で、模擬店では、ワッフル、ポップコーン、たこせん、パフェ、シャーベットと、賑わった。3年生の劇も各クラス、楽しく講堂を沸かせ、盛り上げた。9組のミュージカル「RENT」も素晴らしかった。「県西オーケストラ」や、文化部の茶華道・写真・演劇・コーラス・箏曲・吹奏楽・美術・アニメーション・文芸図書・自然科学・弦楽同好会が日頃の活動・練習の成果を発表し、有志のダンスやバンドも盛り上げた。3年生にとっては最後の文化祭。若いパワーとエネルギーの爆発や、友人との協力、多くの人々との交流は、良い思い出になったことだろう。
 第1回を振り返ろう。上ヶ原に移転し、新校舎建築の落成を記念して、昭和25年(1950)12月2日、3日、それは開催された。現在の県西祭のルーツである。戦災で校舎を失い流転するなど苦難は多く、昭和25年9月25日付「県立西宮高校新聞」20号は、上ヶ原への移転の喜びを「五年の苦難遂に報わる 移転開始は来月中旬」との見出しと記事で伝えている(「80年のあゆみ」)。10月25日には新校舎が竣工し、新校舎での生活にも慣れ始めた12月、待望の新築落成記念文化祭開催となった。「80年のあゆみ」では、生徒会による食堂経営、本校三十周年記念沿革史展、演劇音楽会、図画科作品展、図書部展、招請画家作品美術展、美術部展、家庭科食物科展、珠算写真同好会作品展、科学部展、運動総務部展、エスペラント同好会、映画同好会展があったと伝える。教室に入りきれない部は校庭で青空劇場や青空弁論をおこなった。(今の講堂ができたのは昭和30年)。杉の葉を植えつけた、4メートルを越えた大アーチも作られている。昭和28年には第1回健児祭(文化祭前夜祭)もあった。昭和50年代までフォークダンスは県西名物となる。昭和32年からは文化総務主催で6月に小文化祭(講堂)も始まる。昭和34年(1959)10月1日は創立40周年記念式典が開催されたが、翌日には物故者慰霊祭・関西交響楽団を迎えた招待音楽会、3日4日が文化祭、5日が京都大学の井上智勇教授(西洋史)の「世界における日本人の使命」の記念講演をおこない、記念行事の一つとして芦高戦も考案された。創立45周年は、文化祭・体育大会・草笛コンクール(合唱)・招待音楽祭(京都フィルハーモニー。宝塚大劇場貸し切り)の4部制であった。やがて、学園祭は「非日常」であると同時に、各時代の生徒の日常を写す鏡となる。
 生徒会活動は、戦後の学校民主化の中で生まれた。どの時代も、生徒会は様々な課題に向きあってきた。昭和40年代ではデコレーションは体育大会の各クラス席で、「政治の季節」らしく当初は社会風刺的なものが多かった。昭和46年度は「DISCOVER県西」のテーマで、理事会展示と一般展示の企画が出た。昭和40年代から50年代にかけては、体育館でのフォークソングのコンサートや講堂でのロックバンドも増えた。アコースティックなギター1本やハーモニカで歌い、語りかける生徒もいた。熱い拍手、弾けるメッセージ。昭和52年には開催を9月から6月に繰り上げ、このころ、杉田二郎コンサートの熱演もあった。そして、昭和50年代、60年代、平成と、その時代、時代の生徒たちの姿と思いを表しながら、「テーマ」を決め、県西祭は65回、バトンが先輩から後輩へ、リレーされてきた。時には「アカデミックにすべきか、楽しむことを主にすべきか」「運動部招待試合」、文化部の活性化など議論しながら、また、文化部の苦闘や努力を重ねながら。何より、そこには多くの生徒会・理事たちの絶えることの無かった尽力、奮闘があった。そして今、県西祭は、さらに進化を続けている。 2014年執筆 (石戸信也)

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