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県西随想 ~県西歴史物語~


質実剛健

兵庫県立西宮高等学校の校訓、それは「質実剛健」である。講堂の正面舞台左壁には、三田の上田桑鳩氏書による校訓の扁額が掲げられている。氏は、前衛書道の創始者と言われ、書道界の発展に大きな功績を残された。この額が掲げられたのは第7代亀岡寛治校長の時(昭和31~33年)であった。講堂での入学式、まさに新入生諸君はこの校訓の大きな額を目にして、県西での高校生活への決意を抱く。また、卒業式の行われる体育館では、当時の三木真一副知事(昭和17年本校卒業生)の揮毫による「質実剛健」の校訓額がステージ右側に掲げられている。平成4年(1992)2月、44回生の卒業記念品として寄贈されたものである。前年の9月30日に新体育館改修工事が竣工し、12月6日に竣工記念行事が盛大におこなわれた。この時、来賓の三木副知事の記念講演がおこなわれ、体育館竣工記念讃歌の発表とピアノ演奏が披露されている。
 県西の校訓について戦前の前身校がどうであったかを見てみよう。西宮市立西宮商業学校は春風町校舎を昭和14年から昭和20年の戦災の被災まで約5年使用したが、この当時の校訓は、「至誠一途」「質実剛健」「協力一致」で通知票の裏面にも大きく書かれていたという。「80年のあゆみ」には、当時の「本校教育ノ綱領」が引用されている。「困苦欠乏ニ耐フル健全ナル心身ト、積極進取ノ気象ヲ養ヒ、常ニ旺盛ナル日本精神ノ涵養ニ努ム」とあり、当時の時代状況がうかがえる。昭和14年(1939)5月22日に学校教練実施15周年記念として出された「青少年学徒ニ賜リタル勅語」では、「文ヲ修メ武ヲ練リ質実剛健ノ気風ヲ振励シ以テ負荷ノ大任ヲ全クセシムコトヲ期セヨ」とあり、本校だけではなく「質実剛健」の気風の涵養という社会情勢のあったことも「80年のあゆみ」は述べている。国語辞典では、たとえば「質実剛健」は、次のように説明されている。「質実」は「生活態度に飾り気がなくて、まじめなこと。また、そのさま」。「剛健」は「心が強く体もたくましいこと。また、そのさま」。  
 さて、現在の県立学校(全日制、定時制など)から148校(戦前創立57校、戦後創立91校)の校訓(学校により、教育方針・綱領・校是・モットーなど「校訓」と表現しない場合もある)、そして創立年代を調べてみた。「質実剛健」を校訓の複数の内の一つに定めている高校は戦前創立が4校(明治11、明治30、明治45、大正12)、戦後創立が3(昭和45、昭和53、昭和55)。「剛健」という言葉を使用しているのは戦前創立5校(明治29、明治40、明治41、大正12、昭和12)、戦後1校(昭和38)。「質実」を含むのは戦後1校(昭和46)。なお、神戸市立で明治40年創立の高校も「剛健」の語句を用いる。ちなみに語句使用の、のべ数で見てみると、「自主・自律・自治」など「自」の言葉を校訓に含むのは、戦前創立29校、戦後の昭和23年(学制改革)前後創立が10校、それ以降創立が30校。「創造」という言葉を校訓に含むのは、戦前創立20校、昭和23年前後創立5校、それ以降創立24校。「敬愛」「信愛」「友愛」「協同」「協調」「協力」「和協」など使用は戦前創立26校、昭和23年前後創立7校、それ以降創立31校。「克己」「忍耐」「勤勉」「努力」「勤労」などの使用は戦前創立8校、昭和23年前後創立3校、それ以降創立11校。以上、これらの多くの学校の中で、校訓を「質実剛健」その一つにしているのは、兵庫県内で県西だけである。
 昭和26年(1951)4月8日の始業式、新たに迎えた6代青山勇校長により、「質実剛健を建学の精神とし、真実の心と開拓者精神を持って未開の分野に突進すべし」との教育目標が実践されることになったと「80年のあゆみ」は伝える。そして「質実剛健」の校風は県西の伝統として継承されて今に至り、西宮商業時代からの一貫した校訓とも述べられている。そして今、21世紀を生きる県西の生徒たちに「質実剛健」は受け継がれていくのは言うまでもない。  2014年執筆 (石戸信也)

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