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県西随想 ~県西歴史物語~


オランダ・蘭学・県西

世界を視るにはマクロの視点とミクロの視点が必要とよく言われる。同様に一つの学校をとりまく地域環境についても全然違う視点で大空を飛ぶ鳥の目のように俯瞰すると日常とは違う歴史的な姿が見えてくる。昨年、中学生を多数迎えての学校説明会・体験授業で「オランダ」をテーマにした授業を担当したが、生徒の皆さん、保護者合わせて約50名に参加していただき、ミッフィー・風車・木靴・チューリップ、レンブラントやフェルメール、チーズやパンケーキ、オランダ料理のメニュー、長崎のハタ(凧)、古伊万里や出島の発掘出土品の話なども題材にして、ひとつの国の文化、歴史、交流を多角的に学ぶことのおもしろさ、高校での学びの楽しさを、スライドショーを見ながら楽しく学んだ。関西日蘭協会などで活動し、オランダを訪ね、2000年のオランダ皇太子(現国王)来日の歓迎レセプション(東京)出席や、オランダ大使館・領事館もよく訪ねている自分としては、日本と最も交流の歴史の長い西欧の国・オランダは、若い世代によく知ってもらいたい国である。昨年は、今年創立400周年のグローニンゲン大学と学生間の相互交流を深める阪大の、学生諸君の集まりに参加し、オランダの話をした。県西の生徒にも世界史をはじめ様々な機会にオランダの歴史や環境先進国としての姿、合理的かつ「質実剛健」、絶対王政のスペインから独立した、自由自治尊重のプロテスタントの気風の、オランダの文化を教えている。県西祭の模擬店でワッフルを作る生徒たちにも、それを機にサッカーW杯で活躍の強豪オランダやベルギーの食文化を話した。
 西宮名塩に「蘭学の道」という看板の出ている通りがある。江戸時代後半の大坂で蘭学の適塾を開き、天然痘やコレラ予防で活躍し、福沢諭吉など幕末・明治に活躍した多くの人材を育てた緒方洪庵。適塾は国の重要文化財だが、最近、耐震改修工事が完了し、再び公開された。名塩は洪庵の妻・八重の出身地で、その記念碑が西宮市長の碑文でJA前に建つ。八重の億川家など、名塩和紙の里の人々は岡山・足守藩士の洪庵をよく支援し、彼は日本の近代医学の祖となった。適塾はのちの阪大医学部につながる。緒方洪庵の「病学通論」(嘉永2年、1849)は、日本で最初に「健康」という言葉を使用し定義した、わが国初の病理学書。洪庵は近代医学のパイオニアである。(阪大医学部史料室や適塾を見学してみよう)。また、有名な「和蘭文典(GRAMMATICA)」(天保13年、1842)は、適塾で使用された江戸時代のオランダ語文法書である。なお、宝塚ゆかりの漫画家の手塚治虫は作品「陽だまりの樹」に、適塾で学んだ曾祖父・手塚良庵を登場させている。適塾の塾頭の伊藤慎蔵は名塩出身の妻の療養も兼ねて名塩に移り、彼も蘭学塾を開いた。名塩で伊藤が出版した「筆算提要」(慶応3年、1867)は、日本初の代数学の初歩の教科書である。洪庵は22歳の頃、蘭学者・坪井信道に師事したが、坪井信道は、荒廃していた宝塚・清荒神清澄寺の再興に努めた住職・露庵の弟。坪井信道の門下には、日本初のビールやマッチ製造をした三田の蘭学者・川本幸民もいた。
 さて、明治初期、有馬温泉で炭酸水が「鳥地獄」「虫地獄」と言われたような「毒水」でなく、成分が有効と分析したのはオランダ人ドワルスだし、異人館風の有馬の共同浴場(現在の「金の湯」の場所)を建てたのは、国立衛生試験場のもとを作る、衛生学に貢献したオランダ人ゲールツだった。洪庵の次男・惟準(これよし)は八重の勧めでオランダに留学し、大阪の医学の発展に貢献したが、有馬にも滞在して炭酸煎餅の開発に協力し、天神泉源神社に彼や一族の名が残る。先日、県西の写真部員と撮影取材に訪ねたのは、「緒方」の指導で炭酸煎餅を作ったと木製看板が伝える、明治創業の老舗の炭酸煎餅店である。写真部はこの撮影取材をもとに「民家の甲子園2014」で発表し、県デザイン文化賞を受賞した(神戸新聞2014、6.15)。県西の周囲を、たとえば「オランダ」という視点で見てみると興味深い歴史が見えてくる。  2014年執筆  (石戸信也)

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