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県西随想 ~県西歴史物語~


半世紀をこえた定期戦~その歴史

長い伝統のある県立芦屋高校との定期戦。今年は、あいにく雨天であり、陸上やソフトテニスが中止になった。一方、ラグビーやサッカーは泥まみれの中、ボールを追い、熱戦となった。今年の定期戦は次の半世紀に入った最初の定期戦である。閉会式が終わり、両校生徒が解散し、陸上部員のミーティングも終えて、夜、県芦屋で長らくラグビーの顧問をされ、神戸のスポーツの歴史に詳しい高木先生と話した。「神戸スポーツはじめ物語」(神戸新聞総合出版センター)などの著者である。(ちなみに昔、高木先生と兵庫県社会人クラブリーグAリーグのチームでラグビーをしたことがある)。先生は県西・県芦の定期戦について書かれた一枚のプリントを「読んでほしい」と渡された。それを参考にいくつかのエピソードを紹介しよう。
 県下広しと言えども、定期戦をしている高校は少ない。神戸vs.兵庫(一中vs.二中の継承)、御影vs.夢野台、私立の灘vs.甲南ぐらい。県西・県芦の定期戦はその意味でも貴重である。担任も、ライバルを持つ両校生徒は、幸せであると思う。
 その開始の契機は1959(昭和34)年10月8日の対抗戦。「芦高50年史」では、「前年まで行われていた記念祭中の招待試合に替わって」開始したとあり、「県西80年のあゆみ」では、創立40周年記念行事の一つとして理事会(生徒会の執行部)が対抗試合実現を企画し、勉強でもスポーツでも絶好の目標校であった新進気鋭の県芦屋に白羽の矢を立てた(県芦屋は昭和27年全国高等学校野球大会優勝校。ラグビー、サッカーは毎年、国体に出場)。胸を借りる形で実施した対芦校戦は1-13の大敗で終わった(「芦校50年史」側の記録では4-8)。この対抗戦を定期戦化しようという提案が双方から出て話し合いがまとまり、第1回定期戦は1960(昭和35)年5月12日西宮市民グランドと県西を会場に開始。県芦が13-2で圧勝したが、「勝敗はともかく、こうして互いに競い親睦を深めあう学校を見出しえたことは、芦高にとって幸せなことであった」と「芦高50年史」に出ているという。
 「定期戦歌」があるのも珍しい。オックスフォード・ケンブリッジはいざ知らず、早慶戦でも無い。専門家や教員が作ったのでなく、両校生徒の協力で誕生した。両校自治会・生徒会が全校生に歌詞を募集し、応募の中から選ばれたのが「五月の空は 晴れわたり…」の歌。「ああ 県西 芦高…」と県西を先に出しているように県西生徒の余田勲の作詞。作曲は芦高の担当で器楽部員の三木正義(芦高17回生)。高木先生は定期戦と定期戦歌は両校生徒の自治の賜物と表現されている。
 19世紀半ばから英国パブリックスクールで本格化した対抗戦は、挑戦状を受け取った時、相手校の伝統や品格等を斟酌し受諾の可否を決定したという。対戦の承諾は、相手校を「尊敬できる、切磋琢磨できる相手、良きライバル」と認めたことに他ならないと、高木先生は話す。県芦との定期戦、永久にあれ! 2010年執筆(石戸信也)

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