1648(慶安元)年に浅野長直(あさのながなお)が新城構築を始めた平城で、忠臣蔵(赤穂事件)の舞台となった近世城郭です。甲州流軍学者の近藤正純(こんどうまさずみ)が縄張(なわばり)を担当し、一部に山鹿素行(やまがそこう)の意見も加えられたとされ、鈍角の塁線を多用する珍しい平面形を呈します。本丸内は天守台や城主の御殿が置かれており、近年の発掘調査で庭園遺構を活かした史跡整備事業が進められています。
【赤穂(あこう)城】
【三ノ丸大手の隅櫓】
【三ノ丸内/大石邸の長屋門】
【発掘整備された本丸庭園(その1)】
【発掘整備された本丸庭園(その2)】
この池の水も、城北から水道管で導水されたものです。
【発掘整備された本丸庭園(その3)】
暗渠(あんきょ)石組み
【発掘整備された本丸庭園(その4)】
坪庭(つぼにわ)の池
【本丸の石垣(その1)】
鈍角(どんかく)の折れ。
【本丸の石垣(その2)】
外側に弧を描く珍しい曲線。
【復元整備された本丸の大手門(その1)】
【復元整備された本丸の大手門(その2)】
【本丸内の天守台】
本丸内からでないと存在が判りません。
【復元整備された本丸の厩口門(うまやぐちもん)】
【厩口門(外側)】
【復元整備された本丸の刎橋門(はねばしもん)】
【刎橋門(外側)】
【二ノ丸南方の水手門/左側に曲線状の石垣】
【城下の町屋(その1)】
【城下の町屋(その2)】
上層に施された縦格子(たてごうし)の装飾が見事です。