1617(元和3)年に入封した戸田氏鉄(とだうじかね)により新規構築された近世城郭です。江戸幕府の支援を受けて工事は進められ、本丸には四重の天守も聳(そび)えていました。中世から栄えた尼崎の町を改造して計画された平城でしたが、明治の廃城以後の解体が甚だしく、寺町界隈に江戸時代の佇まいが偲ばれるほかは、かつての城の遺構を見出すことは困難になっています。
【尼崎城】
【明城小学校にある天守模型】
【城跡地内(現在は旧校舎を尼崎市立文化財収蔵庫に活用)】
【城跡として整備された図書館近辺】
現代の石垣構築によって、城郭の雰囲気がうまく演出されています。
しかし、イメージとしての石垣ですから、厳密な意味での尼崎城ではありません。
城郭の探訪では、城跡の整備状況の事情について、見極めの注意が必要です。
【城跡の西を限る庄下川】
護岸デザインが石垣風。
【寺町の風景/東西に寺院が並ぶ(その1)】
【寺町の風景/東西に寺院が並ぶ(その2)】