洲本市街の南に位置する標高150mの三熊(みくま)山上にある城郭と、その北麓に造られた御殿部分(下の城)の二つの空間からなる複合城郭です。1585(天正13)年に洲本(すもと)に入った脇坂安治(わきさかやすはる)が山上の旧城を石垣造りに改めましたが、山麓の城は蜂須賀(はちすか)氏の淡路加封にともない、家老の稲田(いなだ)氏が1630(寛永7)年に入城、整備したものです。山腹には両者をつなぐ珍しい「登り石垣」が残されています。
【洲本城(遠景)】
【城山を南望】
【下の城/堀と石垣が残る】
表面が整形されて隙間の少ない状況が、新しい石垣の構築であることを示しています。
【城山の山腹にある「登り石垣」/上の城と下の城をつなぐ】
伊予松山城や彦根城など、全国的にも類例の限られた貴重な遺構です。
【上の城/豪壮な石垣が残る】
安土桃山時代から江戸時代初頭にかけて構築された石垣様式を見ることができます。
【山上の模擬天守】
1929(昭和4)年に建造された観光記念碑のような天守があります。
【上の城にある溜池】
巨大な山上の池が、水を確保することの苦労を物語っています。
【城山から城下を見下ろす(その1)】
【城山から城下を見下ろす(その2)】