標高373m の利神山(佐用町)に築かれた山城で、美作国(みまさかのくに/今の岡山県北部)との国境を固めていました。1600(慶長5)年に池田輝政が姫路に入城し播磨一国を領すると、甥の由之(よしゆき)を佐用郡につかわして、山上と山麓の両方に石垣をめぐらした城構えに整備しました。城下町の平福(ひらふく)は利神廃城後、旗本の陣屋のある宿場町として栄え、佐用川沿いの土蔵倉や川屋敷の風景が江戸時代の面影を伝えています。
【利神(りかん)城】
【城山麓に残る石垣】
【城山麓の城主屋敷の跡地】
【城山の石垣(その1)】
構築の時期差により、2種類の様式が観察されます。
【城山の石垣(その2)】
構築の時期差により、2種類の様式が観察されます。
【城山の天守台石垣】
古城としての威厳がよく保たれています。
【城山から美作国境(岡山県)を遠望】
【旧城下の商家】
【川端の風景が美しい平福の町並み】
街道沿いとは雰囲気の違う平福の個性がそこにあります。