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兵庫県立明石南高等学校は学ぶ楽しさ確かな学力を育む総合学科です。

TEL. 078-923-3617

〒673-0001 兵庫県明石市明南町3-2-1

学校概要

アクセス沿 革校訓・校歌校舎案内生徒在籍数明南フォト今昔


アクセス

兵庫県立明石南高等学校
所在地 兵庫県明石市明南町3-2-1
T E L 078-923-3617 F A X 078-923-3618
JR西明石駅より徒歩20分



校舎案内

画像を左クリックしてください。拡大されます。

生徒在籍数

  クラス数
1年次 7 134 147 281
2年次 7 121 157 278
3年次 8 123 148 271
22 378 452 830
                        令和6年4月1日現在


沿革

 大正10年 4月  兵庫県明石市立明石高等女学校創立 女学校・新校舎・当時の制服
 大正12年 1月  兵庫県明石高等女学校と校名変更
 大正15年 2月  明石市大蔵谷山崎2101の1番地へ移転 水泳校長先生(昭和元年)
 昭和23年 9月  兵庫県明石市立明南高等学校と校名変更
 昭和31年 4月  明石市立明石南高等学校と校名変更  桜ヶ丘校舎
 昭和31年10月  創立35周年記念式典を挙行
 昭和40年 3月  明石市鳥羽新池に新校舎竣工  校舎移転
 昭和40年 4月  兵庫県に移管、兵庫県立明石南高等学校と校名変更
 昭和40年 6月  兵庫県立明石南高等学校竣工並びに開校式を挙行  新校舎の思い出鞍田先生
 昭和41年 9月  創立45周年記念式典及び講演会を挙行
 昭和46年10月  創立50周年記念式典を挙行
 昭和50年 4月  明石地区県立高等学校全日制普通科総合選抜を実施
 昭和56年 1月  住居表示変更により明石市明南町3丁目2番1号とする。
 昭和56年11月  創立60周年記念式典を挙行
 昭和61年11月  運動場移転整備工事着工  池内先生
 昭和63年 3月  運動場整備工事完成
 昭和63年 5月  新運動場竣工記念式典を挙行
 平成 3年 5月  創立70周年記念式典を挙行  西オーストラリア州パッドベリー高等学校と姉妹校提携
 平成 7年 1月  阪神淡路大震災により校舎被災(その後プレハブ仮設校舎設置)
 平成 8年10月  体育館建築工事完成
 平成 8年11月  4号館建築工事完成 体育館・4号館竣工記念式典を挙行
 平成11年3月  プール竣工
 平成13年11月  創立80周年記念式典を挙行
 平成18年2月  耐震工事着工
 平成19年4月  単位制総合学科に改編
 平成20年3月  耐震工事完成
 平成21年10月  講義棟竣工記念式典を挙行
 平成23年6月  創立90周年記念式典を挙行(式典の様子)
 平成24年 7月  西オーストラリア州、セントマークスアングリカンコミュニティースクールと姉妹校提携
 令和元年 7月  2号館トイレ改修工事完成

校訓・校歌

 校訓 
   『 自 主 』
 自由を尊び自己の責任において主体的に考え行動し得る自主独立の人間たることを目指す。
 『 協 同 』
 協同を旨とし、他人の人格を尊重し常に共同体の一員として他人とよく調和し得る社会人たることを目指す。
 『 善 意 』
 善意にみち、お互いがよく親和のうちに共存し得るという人間性への信頼を基礎として明るい人生観をもって生きる人間を目指す。          
 校歌   
日輪は 天にあまねく
鳥羽台に 陽はふりそそぐ
朋がらよ 眉あげよ
摩耶六甲を はるかにのぞみ
自主独立の 理想に燃えん
おお明石南 われらが母校
燦として 未来かがやく
淡路島 白き雲沸き
コバルトに 海はかがやく
朋がらよ 腕組まん
協同親和の 輪をつくり
高鳴らさんか 若き胸ぬち
おお明石南 われらが母校
大いなる 未来ぞ展く
 ↓草野心平先生の直筆歌詞
  (左クリックで拡大)



作曲 小山 清茂(1914~)
新音楽の会に属し、信濃の民謡を基盤とし、大衆に愛され、芸術作品としての風格を保つ好作品を発表しつづけている。主要作品として「管弦楽のための木挽歌」・「管弦楽のための信濃囃子」(音楽コンクール第1位)
        
作詞 草野 心平(1903~1988)
大正十年頃から詩作を始め、昭和三年「第百階級」を発表、昭和十年から発行された雑誌「歴程」では、中心的な存在となり、詩壇に確固たる位置を固めた。特に蛙の詩人として名高い。昭和62年文化勲章を受章、昭和63年逝去

****校歌由来 *****
昭和40月1月、市立から県立に移管され、大蔵谷の桜ヶ丘から鳥羽台の現在地に移転。その時、新しい学校に新しい校歌をと、当時高校の教科書にもよく詩が掲載され、生徒もよく知っていた草野心平先生に作詞を依頼した。先生は校歌作詞を快諾され、昭和40年4月6日、現地調査のために来校された。(この日は良く晴れた日であった)
 春の陽光に照り映える白亜の新校舎屋上から、先生は東の摩耶六甲の山並み、南の白き雲湧く淡路島を眺め、しばし佇んでおられた。(昭和40年当時、本校の周辺はほとんど農地で、現在のような高い建物もなく、東西南北その眺望は素晴らしいものだった)
 昭和40年6月10日、本校開校式において、「日輪は天にあまねく~」の新校歌が発表された。
 草野先生は作詞にあたって「校歌を書くのは私ではありますが、その私は生徒諸君の代弁者であるべきだ。つまり私が諸君の立場、諸君の気持ち、諸君の未来などを洞察したうえで、諸君が自分達の歌だという自負をもっていただけるようなものを書きたかった」と述べられている。

応援歌はこちら
    

明南フォト今昔

明南90年の歴史をその時代の写真とともに振り返ってみたいと思います。今はもうない桜ヶ丘の校舎や、移転直後の鳥羽の地など、その時代を過ごした方にとっては懐かしい写真と言えるのではないでしょうか。
 【 其の一 】

 昭和40年以前、大蔵谷・桜ヶ丘にあった旧校舎です。木造の校舎が立ち並んでいますが、グラウンドのすぐ後ろにあるのが、職員室。その後ろに1年棟・2年棟が並びます。右にある校舎は理科室等の特別教室棟だったということです。ノスタルジアを誘われます・・・・。
  【 其の二 】

 同じく桜ヶ丘の校舎です。向きを変えて撮ったもので画面右端には鉄筋建ての3年生棟が見えます。
 この校舎から、今の鳥羽の地に移ったのが昭和40年でした。
 【 其の三 】
鳥羽への移転作業

  【 其の四 】
離校式

 【 其の五 】

移転直後、空から写した明南の校舎です。
周りは、田圃と野々池、南側に住宅が立ち並ぶだけの、のどか(?)な土地でした。
 【 其の六 】

移転直後の、校舎・・・・・手前に見えるのは麦畑でしょう・・・。

バナースペース

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