第5話 其の弐

  七 闇の宮 其の弐     -----闘い-----

 闇が全てを支配する黄泉原。その中央に位置する黄泉闇神の砦。侑岐はその一室で暗い空洞に向かいひざまずていた。
 ゴオォォォ・・・
 空洞から、気味の悪い音が響く。やがて、それは声になった。
  『日の者が来たようだな。』
 「申し訳ございませんッ!私の力が至らないばかりに・・・。」
 侑岐はギッと唇を噛んだ。薄く、血が滲む。
  『よい。全ては我が命じたこと。“来るべき時”は近い。その時にこそ、お前の力が必要なのだ。侑岐。』
 声の調子は優しい。しかし、侑岐にとってはそれが辛い。やり場のない気持ちが己の底に渦巻いているのを感じずにはいられなかった。侑岐が何も言えずにいると、さらに声が響く。
  『侑岐、─────────────── 。』
 「我が君?」
 低い、地の割れるような声は聞き取りにくい。しかし、侑岐の耳には確かに届いたようだ。
 侑岐は微かに顔を上げ、困惑した様子で声に問いかけた。
 「どういうことでしょうか。」
  『あやつは─────────── 。』
 声が忌々しげ何か言い捨てた。『あやつ』とは誰のことであろうか。
 「───── を?」
 聞き返す侑岐の声には、やはり困惑が含まれている。が、声は静かに続ける。
  『そうだ。それを以て古の悲願を果たす。侑岐、最後まで我に力を貸してくれるか?』
 「はっ。我が君より戴いたこの身の力、すべて我が君に捧げる覚悟。」
  『侑岐。その言葉、何より嬉しい。礼を言う。』
 柔らかい、どこか温かい声の調子に、侑岐は顔を赤らめてうつむいた。
  『数日のうちに、日の者をこの地へ導く。よいな、侑岐。決してそれまで独断で動くな。』
 侑岐は、ひざまずいたまま深く頭を垂れた。その包帯の下の紅い瞳に、ある決心を浮かべながら。
  『侑岐、・・・』
 「分かっております、我が君。・・・分かっております。」
 何か言いかけた声を、侑岐が静かに遮った。声は、もうそれ以上何も言わなかった。
  『・・・“来るべき時”まで、力を温存しておけ。』
 ゴオォォォ・・・ ゴオォォォ・・・
 小さな、呟くような言葉を残し、声はまたあの気味の悪い響きに戻った。侑岐は立ち上がると、しばらく立ちつくしていた。己の底に渦巻く想い、黄泉闇神の想い。全てを知っているから辛かった。しかし、侑岐は選んだ。
 侑岐は、もう一度空洞に向かって深く一礼する。
 「───────。」
 侑岐の呟きは、誰にも届くことはなかった。侑岐は踵を返すとその部屋を出ていった。
 その行く先には光ヶ原への扉が──────────── 
 部屋には、ただ暗闇と静寂が残った。

 ほぼ同時刻。中央都、大神殿。神主衆の一人、邑辺は憂いでいた。
 『何かが狂っている。』確かにそう思う。けれど認めたくはなかった。しかし、氷づけの少女が語った『光ヶ原の危機』が、大神殿にも及んでいることを彼は知っていた。老神 主日良哉が豹変したあの日から──── 
 日良哉は変わった。突然まとったあの侵しがたい空気。何者にも逆らうことを許さない威圧感。暗い深みを増した双眸。嵯峨も、以前のように日良哉へ突っかかっていけない。
 それどころか─── 
 『嵯峨殿、最近お疲れのようですな。そういえば、嵯峨殿は東の地に別宅をお持ちだとか。どうです?一度ゆっくりご静養なさってきては。なに、ご不在の間のことはご心配なされますな。幸い、大神殿には有能な人材が豊富な故、ご心配には及びませぬ。』
 ───── 『代わりはいくらでもいる。』そう言っているのだ。
 以前の日良哉は、ここまで言うことはなかった。良い意味でも悪い意味でも慎重な男であった。が、何かが日良哉を変えたのだ。
 はあ・・・と、邑辺はこの日何度目かのため息をついた。物思いに耽りながら、本殿から神主寮へ続く渡り廊下を歩いていた。と、突然。
 とんっ
 何かとぶつかり、ばさっと書物かなにかが落ちる音に続き、少年の声を聞いた。
 「痛・・・。」
 下を見ると、神主見習いの少年がしりもちをついていた。周りには、『神義』で使用する書が散らばっている。
 「申し訳ありませんっ。」
 少年は慌てた様子で書を拾い始めた。邑辺も身をかがめそれを手伝う。
 「いや、わしこそ考え事をしておってな。すまなかった。これで全部か?」
 「はい、ありがとうございました。」
 少年は邑辺を見て無邪気な笑みを浮かべた。ふと、邑辺はこんな少年がいるのかと考え込んだ。後ろで中途半端に結ばれた黒髪、利発そうな黒い双眸。何故か、印象に残る。大神殿は広い、それ故に神主見習いの数も多く全員を把握するのは不可能だろう。しかし、何故かこの少年は特別な気がした。何というか、『強』いのだ。
 「どうかされましたか?」
 少年の声に邑辺はハッとした。気付かないうちに、少年をまじまじと見つめていたようだ。
 「いや、すまなかった。気を付けて行きなさい。」
 邑辺が慌てて少年の横を通り過ぎようとしようとしたその時、
 「貴方は全てを知ってるの?」
 少年の小さな呟きに邑辺は少年を振り返った。さっきの無邪気な笑顔はどこにもなく、少年はその面に不敵な笑みを浮かべていた。
 「ねぇ、バカバカしいって思わない?こんなもの。」
 バサッと少年は持っていた『神義』の書を落とした。
 「全てを知っているんでしょう?じゃあ、こんなもの何の意味もないよね?虚を並べ立てたこんなもの。ねえ、バカバカしいでしょ?今まで何を信じてたんだってカンジだよね。」クスクスと少年は笑った。その笑い声が邑辺の耳に反響する。少年の目が、髪が、金色の光を帯びているように見えるのは気のせいだろうか。邑辺は思わず息を呑み、必死で言葉を探す。
 「・・・たとえ。」
 口の中が渇いてうまく声がでない。ともすると、少年の目に気圧されそうだ。
 「たとえ、虚であろうと今まで私たちが信仰していたのは事実。ならば・・・それは事実だッ!」
 少年は一瞬目を見開いた。そして、面白そうに邑辺を見つめた。
 「へぇ。老神主サンより貴方の方が手強いや。まあ、あの人は権力に狂ってたから特にカンタンだったのかもね。」
 「な・・・どういうことだ?」
 今度は邑辺が目を見開いた。少年はクスクスと笑っている。
 「お前が・・・お前が日良哉殿に何かしたのかっ!?」
 邑辺の叫びは悲鳴に近かった。少年はにっこりと笑った。────  それは最初に見せた 無邪気な笑顔。
 「残念。時間切れだよ。」
 「何?」
 邑辺が少年の方へ一歩踏み出した瞬間、
 「邑辺殿?」
 誰かに呼ばれ邑辺は振り返った。同時に、“しゅぽっ”という音を聞く。
 「どうなさったんですか、邑辺殿?」
 やって来たのは久貴だった。
 「久貴殿・・・。」
 「こんな所にお一人で・・・。」
 「え?」
 邑辺が少年のいた方を振り返ると、そこには少年の姿も散らばった書もなかった。邑辺はその光景が信じられず、目を見開いた。
 「邑辺殿?顔色が優れませんが、大丈夫ですか?」
 気遣わしげな久貴の声に、邑辺は弱く笑って何でもないと答えた。
 「気を付けてくださいよ。でないと、邑辺殿まで静養を勧められますよ。」
 「ありえるな。」
 久貴の軽口に笑うことが出来なかった。空を見上げ、またため息をついた。そして、そっと西の空を見た。氷づけの少女が語った『光ヶ原の危機』に立ち向かう者たちがいるであろう西を─────

 ふと、胸騒ぎがして目が覚めた。
 「あれ?」 隣に寝ているはずの寧禰がいないことに気付き、莉央は身を起こした。寧禰の枕元には夜着がきちんとたたんで置いてある。
 「どこ行ったんだろ?」
 周囲を見回した莉央は、ふと、戸の隙間から差し込む月の光に気付いた。なぜだか、胸騒ぎが増す。莉央は、自分も洗濯仕上がった旅衣に着替え、部屋を出た。
 母屋から本殿へと続く回廊に、寧禰はいた。
 「寧禰?」
 振り返り莉央の姿を見留めた寧禰は、やんわりと笑顔を作った。
 「何してるの?」
 「お月見。」
 「お・・・お月見ぃ?」
 莉央の問いに、寧禰は笑顔のままそう答えた。
 「寧禰らしいって言うか、なんて言うか・・・。」
 莉央は苦笑しつつ寧禰の隣に腰を下ろす。
 「目が覚めたら隣に寧禰がいないからびっくりした。夜着も置いてあったし。」
 「ごめんね、ちょっと寝つけなかったの。外から差し込んでたお月さまの光がすごく綺麗だったから、つい出て来ちゃった。」
 空を見上げた寧禰につられて、莉央も空を見上げた。暗い空に浮かぶ銀色の光は優しく、莉央は何だかホッとした。ふと、寧禰の手の中に青い光を見つけた。
 「石?」
 莉央の呟きに、寧禰の頬に朱が差した。
 「セヤ君にもらったの。お守りみたいなものだって。」
 そう言った寧禰の顔に笑顔が浮かぶ。とても柔らかい、優しい寧禰の微笑みに、莉央は少 し驚いた。寧禰のそんな表情を見るのは初めてだったから────
 サアアア
 湿った空気を含んだ風が二人の間を抜けていく。莉央と寧禰はしばらく何も言わず月を眺めていた。どれくらいそうしていただろうか、この、どこか厳かな沈黙を解いたのは寧禰だった。
 「ねえ、莉央。私・・・ここにいてもいいのかな?」
 「え?」
 余りにも予想外で唐突な寧禰の問いに、莉央は目を見開いた。寧禰は真っ直ぐ莉央を見上げている。
 「何言ってるの?いいに決まってるじゃない。」
 「本当?」
 「当たり前でしょ。」
 「よかった。」
 そう呟いて寧禰はうつむいてしまった。莉央は、その姿が空気に溶けてしまいそうに感じて慌てて寧禰の肩を掴んだ。
 「莉央?」
 寧禰が不思議そうに莉央を見る。その瞳も、どこか頼りない。
 「寧禰・・・」
 莉央が口を開きかけたその時────── 
 ずしんっ
 「え?」
 「きゃっ!」
 突然地面が揺れた。無論建物全体も揺れている。下から突き上げられるような衝撃に、思わず莉央と寧禰は身を寄せ合う。揺れはしばらくして収まった。
 「地震かな?」
 「うん・・・。でも、普通の地震にしては・・・ッ!?」
 ゾクッ────
 その瞬間、莉央は感じた。何をと問われても上手く答えが見つからない、漠然とした不安。握りしめた両手を固く握った時、
  ドタドタッ
 騒がしい足音近づいてきた。おそらくトキとセヤだろう。二人が振り返ると、案の定、母屋からトキとセヤが飛び出してきた。二人とも着替えてはいるが、慌てて着替えたということが見て取れる。
 「莉央。」
 「寧禰、大丈夫ですか?」
 「トキ、さっきの地震もしかして・・・。」
 莉央が不安げに眉根を寄せトキを見上げると、トキは莉央の瞳を真っ直ぐ見返して頷いた。
 「おそらく・・・闇が関係してる。」
 思わず寧禰が息を呑んだ。無意識に、手に力がこもる。不安が、恐怖が、嫌でも思い出されてしまうのだろう。そんな寧禰の肩にそっとセヤが手を置いた。見上げた寧禰と視線が合うと、安心させるように微笑んだ。
 「やっぱり・・・」
 唇を噛みしめて呟いた莉央をトキが驚いたように見た。
 「気付いてたのか?」
 「うん、普通の地震にしては変だなって思ったし、なんか・・・うまく言えないけど、嫌な感じがしたから。」
 「そうか。『神力』が強くなってるのかもしれないな。」
 ぐしゃぐしゃっとトキが莉央の髪を乱暴に撫でた。突然のことに莉央は戸惑い、思わず後ろに跳びすさった。
 「なっ、何?」
 「大丈夫。」
 「え?」
 莉央はキョトンとしてトキを見上げた。トキは、莉央を見つめたまま言う。
 「大丈夫だから、そんな顔するな。眉間にしわ寄せて、不細工だぞ。」
 「なっ!?」
 「俺たちがいるだろうが。昼間言ったこと忘れたか?」
 「トキ・・・。」
 トキの顔に優しい笑みが浮かぶ。何故かホッとして、莉央の顔も自然と笑顔になる。
 「ありがとう。」
 莉央がそう言うと、トキは照れたようにそっぽを向いた。
 「いや〜、いい雰囲気ですねぇ。」
  がくっ
 場にそぐわない穏やかな静夜の声に、トキがご丁寧にもずっこけた。
 「セヤ・・・。」
 トキの声には微かな怒気が含まれているようだが、セヤは全く気にしていない。
 「いつの間にそんなことに。あはは、やっぱりトキにはかないません。」
 「お前には緊張感と言うものが存在しないのか?」
 「してますよ。そう見えませんか?」
 「見えんわ!」
 と、いった風な二人のやりとりのおかげで、完璧に緊張感は消え失せたようだ。莉央と寧禰は顔を見合わせて苦笑を漏らした。が、突如。
  ザアアアアア
 風が吹いた。瞬間、四人の顔から笑みが消えた。セヤはすかさず寧禰を背に庇う。トキは険しい漆黒の瞳で夜空を見上げた。手は、しっかりと剣の柄を握っている。莉央は、本来なら勾玉がある胸の上で両手を固く握りしめ、視線はトキと同じく夜空を見上げている。その瑠璃の瞳が軽く見開かれた。
  ─────  月を背にして浮かぶ人影を捉えた。長い髪が、風に泳いでいる。
  ザアアアアア
 再び風が吹いた。四人はは思わず目を閉じた。次の瞬間、四人の正面にその人影はあった。白い服、風に踊る白銀の長い髪、耳に光る紅い石。そして、瞳を覆い隠す包帯。侑岐だった。身体は、地面から少し浮いている。月の光を受けた髪は、ぼんやりと発光しているようにも見えた。
 誰も言葉を発しない、否、発せない。重苦しい沈黙が場に溢れる。
 「愚かな・・・。」
 呟いたのは侑岐。トキが素早く反応する。
 「どういう意味だっ!」
 「貴様らには分かるまい。なあ、愚かな日の者たちよ。」
 侑岐は皮肉っぽく唇を歪めた。
 「貴様らなど、本来ならばこの場で消せるのだがな。」
 「何ッ!」
 「トキ!」
 今にも飛び出していきそうなトキを莉央は必死で止めた。トキは憎悪の表情を浮かべている。
 「神の子。勾玉を失ったお前に何ができる?」
 「・・・ッ!」
 冷ややかな侑岐の言葉。莉央は言い返すべき言葉を見つけることが出来ず、悔しげに唇を噛みしめ侑岐を睨んだ。
 「貴様ッ・・・!」
 同じく侑岐を睨んでいたトキが、ふと侑岐の腰の辺りに目を留めた。トキが見留めたのは剣だった。
 「剣を使えるのか?」
 侑岐は表情を全く変えずに応じる。
 「ああ、造作もないことだ。」
 「だったら、それで俺と勝負しろ。」
 「トキ!?」
 何か言いかけた莉央をトキは制止した。侑岐を睨んだ漆黒の瞳に、憎悪の光が増す。
 「なるほど、力を使えない無力な神の子の代わりか。」
 くっ、と侑岐が嘲るように笑った。莉央は怒りで声にならず、思わず身を乗り出したがトキに止められた。
 「トキ。」
 不安そうに自分を見上げる莉央に、トキは静かに言った。漆黒の瞳は冷たい光を帯びている。
 「頼むから、今は黙って見ててくれ。あいつだけは許さないっ。」
 「でも・・・私ッ・・・」
 「頼む。」
 トキは、莉央の肩をガシッと掴み、真っ直ぐに見つめた。こんなトキを前にして、止められる者はいないだろう。莉央は、一瞬の逡巡の後に身を引いた。トキが静かに庭に降りると、侑岐も地に足をつけた。莉央、寧禰、セヤが不安そうに見守る中、トキが口を開く。
 「剣だけの勝負だ。それ以外におかしな力は使うな。」
 「いいだろう。さあ、いつでも来ていいぞ。」
 「余裕だな。」
 「当然だ。」
 侑岐の言葉が終わる前にトキは飛び出した。
  キンッ
 剣と剣とがぶつかる音が辺りに響く。侑岐は、渾身の力が込められているであろうトキの剣をあっさり止めていた。
 「この程度か?甘いな。」
 侑岐は軽く剣をはらった。瞬間、トキはものすごい勢いで剣ごと吹っ飛ばされた。(少なくとも、莉央にはそう見えた。)
 「トキ!」
 「ぐっ。」
 トキは辛うじて踏みとどまったが、その表情は硬い。剣の柄を握り直してじりじりと間合いを計っている。
 「トキ・・・。」
 莉央は自分がもどかしくてしょうがなかった。何かしなくてはという気持ちばかりが先走り、自分のすべきことを見つけだせない。
 「だああああ!」
 トキは一瞬の隙を狙い、刃を繰り出すが、侑岐はその刃を難なくかわし、受け止め弾き返す。その繰り返しであった。トキが、一方的に遊ばれているようにしか見えない。トキの疲労もだんだん色濃くなっていく。額には汗が浮かび、髪の先から雫となって地面へ落ち、呼吸も確実に荒くなっている。それでも、憎悪を含んだ漆黒の瞳は、変わらず侑岐を睨み据えていた。
 「情けない・・・。」
 無意識に、莉央は呟いていた。
 「莉央?」
 セヤが微かに眉を上げて莉央を見る。寧禰も心配そうに莉央を見上げた。
 「私・・・何も出来ないの?何が『神の子』よ!何も出来ずに見てるだけなんて・・・すごく・・・情けない。」
 瞳に、熱いものを感じた。静かに流れるそれを、莉央は拭おうともせず、トキを見つめていた。
 「莉央・・・。」
 後ろから、寧禰が莉央の肩にそっと手を掛けた。しばらく迷ってから、寧禰は口を開いた。
 「いちばん情けないのは私だよ。『私がいる』、なんて偉そうなこと言ったクセに、莉央の助けに何て全然なってない。いつも、足手まといで・・・。」
 寧禰の声が震える。莉央は寧禰を振り返った。瞳が濡れている所為だろうか、寧禰の顔がぼやけて見える。
 「私なんて・・・いなきゃよかったね。」
 「そんなことない!」
 莉央は思わず寧禰の肩を掴んだ。寧禰が虚をつかれたように目を見開いた。
 「莉央?」
 「そんなことない!寧禰がいて、寧禰がいてくれてどれだけっ・・・」
 莉央が勢い込んで言いかけたその瞬間、
 「トキ!危ないッ!」
  キンッ
 セヤの叫び声と、剣と剣とがぶつかる高い音に、莉央と寧禰は庭を振り返った。
 そこで見たものは───────
 宙に舞うトキ。真っ二つに斬られたトキの剣。
  ダンッ
 地面に打ち付けられたトキの身体。その上に侑岐の影が覆い被さる。そして─────
 「うああああああああ!!!」
 「トキィィィィィィィィィィ!!!」
 侑岐の剣が────── トキの左肩を貫いた。
 「終わりだな、愚かな日の者よ。」
 「・・・っぐ。」
 「覚えているか?お前が私のこの場所を割いたこと。最も、こちらの傷はとうに消えたがな。」
 「貴・・・ッ様!!」
 ドクドクとトキの左肩から血が溢れる。侑岐は冷たく笑い、さらに深く剣を突き立てる。
 「ぐあああああっ・・・」
 「ト・・・キ・・・。」
 カタカタと、震えているのが自分でもよく分かる。莉央の瞳からは、止めどなく雫が零れ落ちていた。
  コワイ
 恐怖で身が竦む。
  ドウシヨウ ドウスレバイイ? ワタシナンカニナニカデキル?
 不安と焦燥感に、全身が支配される。指先が冷たい。
  サムイ
 知らず、莉央は自身の両腕を抱いていた。寧禰とセヤも、なす術もなく見つめることしか出来ない。
 「次はどこを貫いて欲しい?」
 侑岐の冷たい声が響く。
 「ここか?」
 侑岐が指さしたのは、心の臓。トキの顔が微かに引きつる。侑岐はトキの左肩から剣を抜 き、高く振りかざした。そして、その剣が振り下ろされようとした瞬間──── 
 「夕夜っ!」
 その声に、侑岐の動きが止まった。少し、動揺している風に見える。三人も声の方を振り返る。そこにいたのは、琥珀だった。
 「夕夜・・・。」
 いつの間にいたのだろう。琥珀の瞳には、うっすらと涙が浮かんでいた。
 「違う。言ったはずだ、私は『夕夜』ではない。」
 そう言う侑岐の声には、明らかに動揺が含まれていた。
 「いいえ、貴方は夕夜よ・・・。」
 「違うッ!」
 思わず叫んだ侑岐に隙ができた。トキはそれを見逃さない。
 「だあっ!」
 渾身の力で侑岐を突き飛ばし立ち上がった。しかし、やはり身体に力が入らないらしくふらふらしている。左肩を押さえる右手が、みるみる紅く染まっていった。
 「くそっ!」
 侑岐も立ち上がると剣を握り直した。トキは、軽く舌打ちをすると辺りを見回す。生憎、剣と渡り合えるようなものはない。
 「最悪だな。」
  ひゅんっ
 トキは侑岐の剣を寸でのところでかわした。気のせいだろうか?侑岐の剣には、先程までのすさまじい殺気が感じられない。
 「夕夜やめてっ!」
 また琥珀が叫ぶ。その声に、侑岐は明らかに動揺している。
 「違う!違う!違うッ!私は『夕夜』ではない!」
 カタカタと、剣を握る手が微かに震えている。
 「トキ、これを!」
 その隙に、セヤがトキへ何かを放った。
 「え?」
 トキは不思議そうにそれを受け取った。それは、剣だった。
 「私の力で作ったモノです!ちょっとやそっとじゃどうにもなりませんから!」
 トキはきょとんとしていたが、すぐにセヤに向かって笑顔を作った。
 「助かった。」
 トキは、まだ立ちつくしている侑岐に向かっていく。
 「ッ!」
 「夕夜っ!」
 侑岐は何とかトキの剣を逃れたが、右腕から鮮血が散った。トキは、さらに侑岐の剣をはらうと、侑岐を地面へ押し倒した。
 「さっきと逆だな。」
 トキは軽く息を弾ませている。トキは、侑岐の喉元へ切っ先を向けた。

 「お願いします!やめさせて下さい!」
 「え?」
 突然、琥珀が莉央にすがりそう言った。
 「お願いします!夕夜は、本当はとても優しい人なんです。とても優しくて・・・悲しい人なんです・・・。」
 うつむいた琥珀の瞳から、雫が零れた。事情が飲み込めない莉央は、何と答えていいか分からない。寧禰もセヤも不思議そうに琥珀を見つめている。その時、
 「くっ、くくくくくっ、はははははっ!あはははははははっ!」
 侑岐の、嘲笑とも言える笑い声が辺りに響き渡った。
 「何が可笑しい?」
 トキが微かに眉をつり上げた。
 「貴様らが、あまりにも愚かだからだ。」
 「どういう意味だ?」
 「貴様らは所詮、天日神に踊らされているに過ぎない。」
 「何?」
 トキの表情が一段と険しくなる。莉央も寧禰もセヤも、侑岐に注目する。
 「お前は何を知っている?」
 「貴様らが何も知らないだけだ。なあ、日の者、貴様らが信じてきたものは本当に正しいのか?」
 「・・・。」
 辺りに、緊張が満ちる。
 「愚かな貴様らには分かるまい。我が君が、古よりどんなお気持ちであったか!どれほど苦しい時間を過ごされたか!貴様らには分からんだろうっ!!いつも光が正しいのか!?闇は禍つものか!?貴様らが信じている『神話』とやらは全て真実なのか?では貴様らの『真実』とは何だ!?」
 侑岐の迫力に、トキは少なからず圧され気味である。
 「この地も貴様らも、所詮は天日神の玩具だ。」
 「何だと?」
 侑岐は、皮肉っぽく唇を歪め、ふっと笑った。
 「愚かだな。」
 「貴様ッ!」
 カッとなったトキが思わず剣を振り下ろそうとしたその瞬間、
 「やめよ!」
 どこからか、声が響き渡った。幼い、少女の声だ。気付けば、トキと侑岐のまえに春姫が立っていた。
 「兄君から離れよ。そなたらの求めるものはここにあるゆえ。」
 そう言って春姫が差し出したのは、鏡と勾玉であった。
 「春!」
 侑岐の叫びを春姫は無視した。
 「兄君から離れよ。さすれば、これらはそなたらに返そう。真じゃ。」
 「春!何を言っている!!」
 「兄君、これは父君の命です。」
 「なっ!!」
 春姫の、どこか苦しそうな答えに、侑岐は愕然とした。
 「先に返してもらおうか。」
 「信用しておらぬのか?」
 「お前には一度騙されているからな。」
 トキの声はとても冷たい。莉央ですらゾクッとした程だ。春姫は、ぐっと言葉に詰まった。
 「わかった、先に返そう。」
 「まずは勾玉を返してもらおう。莉央。」
 「えっ?」
 突然名前を呼ばれた莉央はギョッとした。
 「お前が受け取れ。」
 「・・・うん。」
 莉央は恐る恐る庭へ降りると、ゆっくりと三人に近づいていった。春姫が差し出した瑠璃の勾玉を、莉央はその手にしっかり包み込む。
 「本物か?」
 「え?」
 トキの問いに慌てて莉央が勾玉を見た。何故だろう、安心する。さっきまでの不安が嘘のように、そこから温かさが伝わってくる。間違いない。
 「本物よ。」
 「そうか。」
 トキは微かに微笑んだ。しかし、次の瞬間には厳しい表情で春姫を睨む。
 「つくづく信用しておらぬようじゃのう。」
 「次は鏡だ。」
 「わかっておる。」
 春姫が鏡を差しだそうとしたその瞬間、
 「渡すな、春!」
 「なっ!」
 侑岐がいきなりトキを突き飛ばし起きあがった。その弾みで、トキの剣の切っ先が侑岐の喉を軽く割いた。が、侑岐はそれをものともせず、そばに落ちていた剣を素早く拾い上げてトキに斬りかかっていく。
 「トキ!」
 「くっ!」
 トキは侑岐の剣を受け止め、弾いた。そして、お互いに間合いを計りながら睨み合う。
 「セヤ。」
 侑岐と睨み合っている体勢のまま、トキはセヤに声をかけた。
 「この剣、なかなかいい。」
 セヤは一瞬目を見開いた。すぐにその顔に微笑みが浮かんだ。
 莉央は、勾玉を握りしめると一歩前に出た。何か出来るかもしれない、そう思ったのだ。
 しかし、
 「そなたの相手はこちらじゃ。」
 目の前に、扇を構えた春姫がいた。すっと扇を振り上げると、
  バサッ
 力の限りにそれを振り下ろした。風が、刃となる。
 「っ・・・!」
 莉央は咄嗟に勾玉をかざした。前と同じく、瑠璃色の光が盾となり莉央を護った。しかし、春姫の繰り出す刃は前回より強くなっており、刃が一つ、盾の一部を破った。シュッと莉央の腕に紅い線が走る。
 「くっ・・・!」
 莉央の顔が苦痛に歪む。が、それでも光の盾が消えることはなかった。
 「勾玉が戻った途端勇ましいのう。勾玉がなくては何も出来ぬのか?何が神の子、笑わせてくれることじゃ。」
 「何ですって!」
 春姫は、さらに皮肉っぽく言った。
 「今、わらわがあちらにおる者たちに刃を向けたとしたら、そなたはあの者らを護ることが出来ようか?いいや、出来まい。それでも神の子?とんだお笑い種じゃのう。」
 ホホホッと、春姫は笑う。莉央は全身が怒りで熱くなるのが分かった。
 「何ッ・・・!」
 春姫はそんな莉央を面白そうに眺め、意地悪く笑った。
 「では、やってみようか。」
 突然、莉央を襲っていた刃が消えた。そして次の瞬間、かなりの数の風の刃が、寧禰たちに向かい放たれた。

 「寧禰!セヤ!琥珀!!」
 莉央は慌てて三人を振り返ったが、もう風の刃は三人の眼前だった。莉央は、身体が動かない、ただ、勾玉を握りしめていることしか出来ないでいた。

 トキは、侑岐の剣を受け止めつつ思わず振り返った。もう風の刃は三人の眼前だった。
 その時、
 「琥珀っ!」
 小さな叫びを侑岐の口から確かに聞いた。

 その時セヤは、寧禰から少し離れて立っていた。莉央に勾玉が戻ってきたことで、少し安心していたのだろうか。ともかく、セヤは油断していた。が、そこへ突然向かってきた風の刃に目を見開いた。風の刃はすでに眼前にあり、何かを描いている暇はない。そう判断した瞬間、セヤは床を蹴っていた。

 避けられない!!
 そう思った寧禰は、反射的に両手で頭を抱え目を閉じうずくまった。

 琥珀には、全ての動作がひどくゆっくり見えた─────

 「あれ?」
 いくら待っても、痛みはやって来なかった。恐る恐る目を開けた寧禰。─────すぐに は、状況を飲み込めなかった。うずくまった寧禰に、セヤが覆い被さっていた。セヤの足下には、おびただしいまでの血。
 「セヤ・・・くん?」
 震える声で問いかける寧禰に、セヤは微笑んで見せた。そして────寧禰の腕の中へ倒 れこんだ。
 「え・・・?あ・・・いやああああああああ!!!!!!」

 「セヤ!」
 莉央とトキはほぼ同時に叫んでいた。セヤはうずくまった寧禰に覆い被さり、風の刃を全てその身に受けたのだった。莉央とトキは、風の刃がセヤの身体を貫くのを見た。

 「いやっ、セヤくんっ!!いやっ、ごめっ・・・目っ・・・開けてっ!」
 寧禰は必死でセヤに呼びかけた。薄茶色の瞳から、涙がこぼれ落ちる。
 「寧・・・禰・・・。」
 「セヤくん!」
 セヤはうっすらと目を開いた。
 「寧禰・・・ぶじ・・・?」
 寧禰はもう言葉にならず、必死に何度も頷いた。
 「よかった・・・」
 セヤやんわりと微笑むと、再び目を閉じた。
 「!!セヤくん!」
 「寧禰・・・すみませ・・・」
 「え?」
 セヤは目を閉じたまま途切れ途切れに言葉を紡ぐ。
 「すみませ・・・やく・・・て・・・」
 「何?セヤくん?」
 寧禰は、よく聞こうとセヤに顔を近づけた。
 「やく・・・そく・・・。」
 「約束?・・・ッ!」
  『何があっても寧禰を護ります。そして、決して寧禰が悲しんだり、辛い思いをするようなことにはしません。』
   『必ず』 『護ります。』
 「セヤくん・・・」
 「ね・・・ね・・・」
 セヤの血に濡れた手が、寧禰の頬を包んだ。そして、ほんの少し、本当に軽く、セヤの唇が寧禰の唇に触れた。触れるか触れないかの、微かな口づけ。寧禰は驚いて薄茶色の瞳を見開いた。セヤが目を開けて寧禰を見つめる。
 「すき・・・。」
 そう言って微笑み、セヤはまた目を閉じた。そして、寧禰の腕の中にセヤの重みが全て預けられた。
 「・・セヤくん?あ・・・うそ・・・うそだよね?ね、セヤくん?セヤ・・・くん?・・・ッ!いやっ・・・セヤああああああああああ!!!!!!」

 莉央の瞳からも、涙がこぼれそうになっていた。しかしそれをこらえ、キッと春姫を睨み付けた。春姫は、悪びれた風もなく笑った。
 「ほうら、何も出来なかった。なにが神の子。全く笑わせてくれることよのう。」
 「私は・・・確かに何も出来ないし何も知らない。」
 莉央がぽつっと言った。その言葉に、トキと侑岐が反応した。
 「本当に何も知らない。何が真実だとか、本当に光が正しいのかとか、何も知らない。でも・・・」
 「莉央?」
 莉央の瞳から、涙が溢れる。瑠璃色の瞳には、どうしようもない怒りが宿っていた。
 「でも、許さないッ!貴女だけは許さない!!」
 瞬間、莉央の勾玉から今までにないほどの光が溢れた。そして、それは真っ直ぐ春姫へ放たれた。
 「なっ!」
 春姫はその光に弾かれ、後方の木へ身体を打ち付けた。その頬に、一筋、二筋紅い線が走る。次の瞬間、さらに強い衝撃が春姫の身体を襲う。
 「っ!!」
 背中の痛みとその衝撃で、春姫は一瞬息が出来なくなった。
 「なっ・・・に・・・。」
 突然のことに、思考がついていかない。何とか身を起こそうとしたが、その度に激痛が走り、立つことが出来ない。自分の手に扇があるのかどうかも分からなかった。しかし、急にふわりと身体が浮くのを感じた。
 「・・・?兄君?」
 そう、春姫を抱き上げていたのは侑岐だった。春姫がはじき飛ばされて瞬間、侑岐はトキの剣を弾き返し春姫の方へ身体を翻したのだった。
 「帰ろう。」
 「え・・・?兄君?」
 「いいから。春、すまなかった。」
 「え?」
 侑岐は莉央とトキに背を向けた。
 「待って!」
 莉央は侑岐を追おうとしたが、侑岐が振り返った瞬間何故か足が止まった。侑岐は低い声で静かに言う。
 「またいずれ会う。決着はその時でいいだろう?」
 そして、再び歩き出した。何処か哀しみを帯びた侑岐の声。莉央は、それ以上追うことが出来なかった。
 「夕夜!」
 琥珀が叫んだ。だが、
 「私は『夕夜』ではない。」
 侑岐はただ呟いた。
 「貴方は夕夜よ!忘れてしまったの?・・・私を。」
 侑岐は振り返ろうともせず、静かに闇の中へかき消えて行った。闇に溶けるように───



  
作者より
 大変長らくお待たせした上、こんな続き方で申し訳ありません・・・(汗)
 どうやら凪には『計画性』とゆーものが欠けているようデスネ、アハハン♪(開き直り?)本当にすみません!!セヤりんファンの方々!!(いるのか?)それから、『瑠璃の巫女』の主役は莉央ちゃんです!いや・・・一応ね。
   ということで、次は『七.闇の宮 其の弐──  決戦へ───』デス☆
   か・・・完結は、夏休みまでに出来るかな?・・・したいな・・・アハハ(爆)
                                      凪恵
 P.S 感想下さい!!ブーイングでも何でもOKです!!かなり切実にお待ちしてます!『ラストはこんなのがいい!!』っていうのがあれば、是非!まだ決まってないんで!(コラ)
 

作品設定 すぺしゃる番外編 投稿ページ 凪だより 第5話其の壱 第5話其の参 TOP