学校長より
洲本高等学校 校長
越田 佳孝
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119年前の明治30年(1897年)、私たちが学ぶ兵庫県立洲本高等学校が生まれました。「兵庫県洲本尋常中学校」。洲本市ですらない津名郡の洲本の地に生まれた県下で4番目に古い高等学校です。そして、昭和23年10月、太平洋戦争後の新しい高等学校制度が発足するのと同時に定時制が生まれました。今から68年前の話です。県下で1番古い定時制です。
私たちが学ぶ県立洲本高等学校は、兵庫県下に150校あまりある他の高校とは違う一つの大きな特徴を持っています。それは「設立された」とか「創立された」というように「受け身形」で語ることのできない存在であるということです。洲本を中心とした淡路の人々の「教育」や「学び」に対する凄まじいまでの欲求、真摯な渇望が、学校を作ろうという運動を呼び起こし、その運動の成果が実を結んで、生まれた学校だからです。しかも、洲本高等学校119年の歴史で、そういう運動は三度もありました。一つは、明治30年、県下で4番目の旧制中学校として洲本中学校設立の時です。二つ目が、明治36年、現在の洲本高校のもう一つの前身である旧制県立淡路高等女学校が県下で2番目の県立高等女学校として生まれた時です。三つ目が、今、私たちが学ぶ洲本高等学校の定時制の設置運動です。
太平洋戦争後の昭和23(1948)年1月、「働く青年のために夜間学校をつくろうという」というポスターが、洲本市内いたるところの電柱や家々に貼り巡らされました。「洲本市夜間高校期成同盟」に集まった少年たちの「学び」に対する真摯でひたむきな魂の叫びの運動です。それは「学びたい」、しかしもろもろの事情で働かなければならない。そういう少年たちの「学び」にたいする渇望の声、「学ぶこと」のすばらしさを知る者の真摯な叫びでした。
この運動では、市内全域にわたって行った戸別訪問で、短期間の間に約5000人の署名が集まり、それを洲本市長に提出しました。結果、その年の6月には、洲本市の全面的な支援のもと、洲本市立幼稚園を間借りして「夜間高校準備教育」が始まりました。記録では6月25日から9月25日まで授業を行ったとあります。まだ正式に定時制が発足する4ヶ月も前の話です。この洲本高校定時制の歴史は、学校のために「学び」があるのではなく、「学び」のために学校がつくられたという、「教育」と「学び」の本質を体現しています。
校長室の本棚に『夜学の歳時記』という冊子があります。「夜学」とは古い表現ですが「夜間学校」のことで、定時制のことを表わしています。「歳時記」とは一般に俳句の季語を集めて解説した本のことですが、ここでは「一年中の行事とそれにまつわる生活等の記録」を意味しています。『夜学の歳時記』は、その年度に洲本高校の定時制で学んだ者たちの「1年間の成長の記録」です。それを繙いてみれば、洲本高校定時制の一年間の歩みが分かります。私がいつもしっかり読み込んでいるのが生徒生活体験発表会の原稿です。
定時制通信制生徒生活体験発表会は、定時制・通信制高校に通う高校生が、学校生活を通して、感じ、学んだ貴重な体験を、自らの「ことば」にして発表する大会です。校内大会から地区大会を経て、県大会そして全国大会につながります。今年、全国大会は「64回」ですが、兵庫県大会は「66回」で兵庫県の方が古いのです。昭和26(1951)年11月に「定時制弁論大会」として始まったからです。洲本高校定時制は第一回から参加していました。
今日は、その『夜学の歳時記』に掲載されている二年前に卒業した先輩の生活体験発表会の原稿を紹介します。題名は「僕らしく」です。彼は6歳の時にLD、学習障害と判定されました。知的発達に遅れはありませんが、聴く、話す、読む、書く、推論するなどを難しく感じてしまうのです。小学校の時、彼のお母さんは、彼がほかの子どもと同じように学べるように、担任の先生や校長先生にお願いました。最初は特別指導員をつけるお金があればプールの塗装費に使ったほうがましだと言われたそうです。中学校では特別指導員のつかなくなったため、授業にもついていけなくなり不登校になりました。そして地域の適応教室「ぴゅーぱる」に通ったそうです。そして中学三年生になったころ、周りの子と同じように学びたいと思い、洲本高校定時制を受験したのです。洲本高校の定時制では陸上部のキャプテンとして全国大会にも出場し、生徒会長にもなりました。卒業して、今は公務員として働いています。生活体験発表会では、彼以外にも多くの生徒が、小中学校時代に悩んで、悩んで、悩み抜いて、やっと見つけた自分自身が落ち着いて学べる場、安心して友だちとつながることができる居場所、それが洲本高校定時制だったと語ってくれています。皆さんが学んでいる学校はそういう学校なのです。
学校のために「学び」があるのではなく、「学び」のために学校がつくられた。こんな簡単な教育と学びの本質を、私たちはややもすると忘れがちです。小松君の発表を例にとったのは、こんな当たり前の理屈を忘れがちになるという現実を知ってもらうためです。
69年前、寒風吹きすさぶ洲本の町中にポスターを貼り、署名を集めまわった先輩たちの精神は、69年後の今も脈々と息づいています。学校のために「学び」があるのではなく、「学び」のために学校がつくられた。現在の洲本高校定時制は、69年前「洲本市夜間高校期成同盟」に集まった少年たちの、「学ぶこと」に対する真摯でひたむきな魂の叫びと努力の上に成り立っていることを忘れてはなりません。今日は、本校の「歴史」と「伝統」、そして「誇り」の一端について話をしました。本校の「歴史」と「伝統」、そして「誇り」について今一度確認する。創立記念日とはそういう日です。そして、今日から、私や教職員そして生徒のみなさんが一丸となって、創立以来営々と築かれてきた本校教育の新しい一頁を加えていきましょう。応援歌に歌う「築け洲高の定時制」とはそういう意味です。今日は高らかに心を込めて一緒に歌いましょう。
平成28年5月9日
兵庫県立洲本高等学校長 越田 佳孝
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