学校長より
洲本高等学校 校長
越田 佳孝
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「identity 自分が自分である根拠(二学期始業式定時制)」
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今日から二学期です。終業式で皆さんに話した、私の願い、皆さんの願いでもあるでしょう、「9月1日には全員が元気に会いましょう」がかなって嬉しく思います。
終業式では「生活体験発表会」での作文について話しました。生活体験発表会に向けての作文は、「定時制で学ぶ生徒の成長の物語です」という話です。私は、作文や文章を書くということは、ある意味で自分との「対話」であると思っています。作文として文字で書き表すことで、自分というものを客観化できるからです。たとえて言うと、自分の中にいるもう一人の自分が、自分の前に現れてくる感じです。考えていることがあるから書くことができるのではありません。書くことによって考えていることが明らかになるのです。
作文を書いている途中で、「自分はこんなことを考えていたのか」という思いを持ったことはありませんか。私はあります。文章を書いている過程で、「ここは正確にいうとどうなるのだろう」とか「誰かがこんなこと言っていたよな」、「あの本にこんなことが書いてあった」と考えながら文章を書いていきます。書き上がった時には、最初に何となく考えていた時より言いたかったことが明確になっています。同時に、最初に考えていたことより、考えが広がっています。そういう経験を自分のものにするには、頭で考えている限りではダメなのです。「対話」にならないからです。作文とは、自分も知らなかったもう一人の自分との「対話」です。さらには自分以外の「他者」との「対話」です。「他者」には本も含まれます。
いつも話していることですが、「成長」とは、昨日に比べて今日、昨年に比べて今年の「変化」をいいます。これまでの自分に比べて現在の自分の「変化」です。作文を書く前の自分と、作文を書いた後の自分の変化です。「成長」を実感しないと次の「成長」はありません。そこに生活体験発表で作文を書く意味があります。もう一つ大切なことは、他者の前に自分を曝すことです。自分を曝すことでそれを聴いた他者(仲間)との対話が生まれます。仕事やアルバイトをしている人は実感が持てるでしょうが、社会へ出るとそうそうたやすく自分を曝すことはできません。そういうことが心置きなくできる、失敗を成長の糧として叱られもするが許してもらえるというのは、学校の中での先生と仲間との関係性の特徴です。
青年期は「私とは何か」「自分は何者なのか」を問い、答えを求めて思い悩む時期です。英国の精神科医D.レインは「ひとは自分の行動が意味するところを、他者に知らされることによって教えられる、言い換えると、自分の行動が他者に及ぼす効果によって、自分が何者であるかを教えられる」(『自己と他者』みすず書房)と言いました。「他者の他者」であるかどうかは、他人の中に自分が意味ある場所を占めているかどうかにかかっています。二学期は体育祭・文化祭・球技大会と生徒が中心となる行事がたくさんあります。そういう場で積極的に活動することも「自分らしさ(identity)」を確かなものにすることに繋がります。
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