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cross第九章 『神魔!』
「殿下! 大変です!」
神界に来て二日目の朝は、ロウウェルのこの声で始まった。
「何だ? そんなに慌てて、一体何があった?」
ロウウェルにしては珍しく、息を切らせている。
「と、とにかく、話は後で、今すぐこちらに来て下さい!」
僕は、訳がわからないなりにも、尋常ならざる雰囲気を感じ取り、歩調を速めて後について行った。
辿り着いた先は、水鏡の間―
―底に魔方陣を描いた湖があり、魔方陣によって結ばれた別の湖から、
魔術によって映像や音を伝えるテレビ電話のような物―だ。
「…………繰り返す。
予はルーク帝国皇帝、ガロード=ラ=ルーク3世。予の手の内には、古代人の残せし遺産がある!
予はこの力を持って世界に覇を唱える者なり! 予に従う者には命と財産の保証をしよう!
だが! 予に反旗を翻す者には血の粛清を与えん! ………。」
父上の行っていた事は正しかったと言う事か……。
しかし、
「大変な事になってきたな、これではゆっくりしている訳にも行かなくなって来た。」
「殿下、それもありますが、後ろを、ルーク帝の後ろをご覧下さい。」
「後ろ?」
ルーク帝の後ろには将軍と思しき面々が従っている。
「!!! ルシファー!?」
その中に、一人だけ魔族が混じっていた。
朱い髪に蒼いバンダナ、間違い無い、幾分歳は取っているが、それは父の仇、ルシファーだ。
「あいつ……。」
ギリッ 食い縛った歯が軋んだ。
「ちょっと、ゼフ?」
「分かってます。どうせ、居場所は判ったんです。
ケガが治ってからでも充分です。」
ベルの心配の声にそう応え、僕は水鏡の間を後にした。
その後の軍議の結果、相手の古代兵器の危険から、短期決戦を目指し、
こちらから打って出る事となった。
なお、僕らはケガが治った後、第2陣に参加する事に決まった。
―軍議の後、謁見の間―
今、ここにはオーディンと、ゲイムハルトの二人だけが対峙している。
「…今、何と申されましたか?」
ゲイムハルトは驚きを隠せなかった。
「聞こえなかったか? お前に王位を譲る、と言ったのだ。」
オーディンは、静かに繰り返した。
「しかし、陛下はまだ……。」
ゲイムハルトの声を遮るように、オーディンが玉座から立ち上がった。
「予には、もはや時間が残されていない。」
そう言って、服を脱ぎ捨てた。その体には包帯が幾重にも巻かれている。
「それは!?」
「あの時、予もまた、終焉の炎にあてられたのだ。」
包帯をとると、皮膚が落ちた。
オーディンはわずかに顔をしかめた。
「あの後、アルテミスにも見せたのだが、後1月、持つかどうかと言う事らしい。
戦の途中で国の柱たる王が倒れる事は士気に大きく関わる。
だから、お前にはオーディンの名を継いでもらう。
将としてではなく、王として兵を率いて戦え。」
「しかし、私には……。」
「よいか、ゲイムハルト…いや、オーディン8世よ!
お前には王家の血が流れている。
王者は退かぬ! そして、お前には前に進む力がある。」
一切の反論を許さぬ、王の言葉であった。
そして、その後にはこう続けられた。
「大丈夫だ、お前は予のたった1人の息子だ。
立派に責を果たす事もできよう。」
―息子!―
この言葉にゲイムハルトは息を呑んだ。
格式高い神界王家の門の内では、オーディンはやはり畏敬すべき王であり、
ゲイムハルトは、あくまでもゲイムハルトであった。
しかし、今、オーディンは、王としてではなく、父としてゲイムハルトに語りかけたのだ。
知らずゲイムハルトの頬を、熱い雫が流れた。
「この命に替えましても! 必ずやこの乱を鎮め、
再びこの国に繁栄をもたらしてご覧にいれましょう!」
オーディンは、満足げに頷くと、再び、王、オーディンへと戻った。
上着を着、マントを羽織る。
「着いて来い。」
一言そう言うと、しっかりとした足取りで歩き出す。
王は、その最後の時を迎えるまで、決して弱みを見せない。
ゲイムハルトは、生涯、この王の姿を忘れる事は無かった。
「司祭を呼べ! これより戴冠の儀を執り行なう!」
王の言葉は朗々として響き渡り、時代は古きより新しきへと受け継がれた。
新たなる王、オーディン8世誕生の瞬間である。
――それより一週間後、ヴァルハラ宮近郊――
ギイィン
ここでは、ゼフやベルを始めとする、第二陣として出る事になっている兵が訓練を行っている。
僕の傷は、皆の予想を超えた早さで回復し、今ではこうして訓練に参加出来る程に回復していた。
まさに、アルテミスの腕と、魔王の血があってこそ成せる技である。
ジャキィィ
ベルのハンマーを僕はエクスカリバーで受け流す。
「どうしました? この程度ですか?」
ピシッ
「言ったわね? いいわ、絶対ゴメンナサイって言わせてやるんだから!」
今回は天井の無い屋外という事で、力の限り跳び上がる。
「メガ=レイ……。」
しかし、僕とて何度も同じ手を食うほどバカじゃない。
今回はこっちから攻める。
「エアロ・スミス!」
突き出した腕より、息も詰まる突風が吹き出し、ベルを飲み込む。
「きゃああぁぁぁぁ!」
上空にあったベルの体は、いともあっさりとバランスを崩すと、そのまま風に飲まれて飛んで行った。
「これで終わりと思ったら、大間違いよおぉぉぉぉ………!」
飛ばされながらも、しっかりと負け惜しみだけは言っているあたり、やはりベルである。
「昼食までには戻って来て下さいね〜。」
などとふざけていた時、
ヒュッ 鼻先を掠めてオレンジ色の光体が飛び去っていった。
ドゴオォォ!
その光体はその先にあった岩に突き刺さると、猛烈な熱気を放って爆発した。
「すいませ〜ん! 大丈夫ですか〜?」
わたわたとミスティとアルテミスが駆け寄って来た。
「何ですか、今のは!」
「ゴメンナサイね〜。まさかこんな所に人がいるなんて思ってなかったから。」
ミスティの首に巻きついたアルテミスがそう答える。
「一体何をしてたんですか?」
「何って、ミスティちゃんが訓練するって言ったら、弓ぐらいしか無いでしょ?」
ミスティの手には聖霊弓シャーウッドが握られている。
しかし、その弓には弦が張られていない。
アルテミスいわく、これがシャーウッドの本来在るべき姿で、念じながら弓を引くと光の矢が現れる。
人魔大戦の映像の中で、ロビンが操っていた物だ。
「そう言う事を言ってるんじゃありません!
どうしたらミスティが、あんな風に狙いを外すんですか!?」
その言葉にアルテミスは心外だと言う様な表情を見せると、
「やぁねぇ、私のミスティちゃんが狙いを外したりする訳無いじゃない。」
そう言って、けらけらと笑った。
「じゃあ、アレですか? 僕がいるのが分かってて撃ったんですか?」
僕は、ジト目でミスティとアルテミスを見据える。
「い、いえ、撃ったのが岩の向こうで、見えてなくて、その、ゴメンナサイ!」
「? どう言う事です? 確かに矢は岩の方に向かって飛んで行ったはずですけど?」
視線の先には、矢を受けて大きくえぐれた岩がある。
「そっちじゃなくて。」
アルテミスが反対側を指差す。
「あっち。」
振り返ると、そこにもやはり岩があり、よく見ると、岩に1つ穴があいており、煙を吹いていた。
「! あれを突き通したんですか!?」
「そ。すごいでしょ? 岩1枚貫いてあの威力! さすがミスティちゃん!」
そう言ってアルテミスはミスティを抱きしめる。
いや、まあ、別にいいけど………。
「…ともかく、気を付けて下さいよ。」
「は〜〜い。」
ミスティとアルテミスが、わいわいやっているのを傍目に、僕は歩き出した。
――昼食時――
「まったく、もう少し手加減してくれても良いじゃない。」
「手加減? してますよ。」
ベルの不平にさらりとそう応えると、ベルは何も言い返せずに詰まってしまった。
「ベルは正直過ぎるんですよ。力も持ってるんですから、もっとフェイントとか使わないと。」
「むー。」
ベルは唇を尖らせるとぷいとそっぽを向いてしまった。
「全く、相変わらずじゃな。」
不意に背後から声が掛かった。振り向くと、そこには見なれぬ老人が1人。
「! おじいちゃん!!?」
ベルは立ち上がり、驚きの声を上げる。
ベルのおじいさんと言う事は……。
「ギース大公!!」
小柄で、白髪、褐色の体は筋肉に覆われ、年齢を感じさせない。
手には凝った意匠の彫刻が施されたスレッジハンマーを抱えている。
「何でおじいちゃんがこんな所に?」
「ん? なに、ちぃとばかし用事があってな、ところで……。」
ギースはこちらに視線を送る。
「あ!」
慌てて片膝を付き頭を下げる。
「私、魔王ディアブロが第一子、ベルゼブブと申します。」
「ほう、お主が……。」
聞き覚えがあるらしく、一言そうつぶやいて、品定めするように頭からつま先まで視線を這わせる。
そして、ベルの方に振り返って、
「こやつがベルのお気に入りか?」
ボンッ
「な、いきなり何言い出すのよ!」
ベルは耳の後まで真っ赤に染まる。
「もういいでしょ? 帰ってよ!」
ベルはそう言ってギースの腕を引っ張るが、ギースは構わず、
今度はこちらを振り向いてこんな事を言い出した。
「ベルゼブブとか言ったな? どうじゃ、一つ手合わせ願えんかな?」
四精王が一人、土精王ギース=ハワード。
その存在は、聖霊王に次ぐ地位を占め、本人を見たと言うだけでも、
田舎の小さな村ならちょっとした自慢になるような存在である。
そんな彼から手合わせの願いである。
その程は推して知るべしと言った所か。周囲がざわめく。
「何、ただの興味本位じゃ。結果がどうだ等と言い立てるつもりは無い。
どうじゃ、引き受けちゃあくれんかな?」
ギース大公にこう言われて断る奴がいるだろうか? いや、いない!
「喜んで!」
こうして、その日の午後はギース大公との手合わせを行う事になった。
周囲はギャラリーに囲まれ、黒山の人だかりとなっている。
5m程離れて対峙し、こちらはエクスカリバー、対してギース大公は素手である。
これはまあ、ハンディである。
「さあ、いつでもいいぞ。」
と、ギース。
しかし、そうは言っても、特に構えを取るでもなく、ただ自然体で立っているだけである。
しかも素手。
かかって来いと言われても、行きにくい事この上無い。
「どうした、来ないのならこちらから行くぞ。」
そう言って一歩踏み出した。
特に大股と言う訳でもなく、ごく普通に踏み込んだ筈なのに、その一歩で5mの距離を渡り、僕の懐に潜り込んでいた。
―ヤバッ―
ボウッ
僕が後に跳ぶのと同時にギースの掌打が走った。
もっとも、本当に掌打か、それとも正拳だったのかは判らない。
速すぎて手が見えないのだ。
ただ、撃った後の姿勢からそう判断しただけである。
まともに喰らえば骨の一本や二本、砕けてもおかしくない一撃だ。
危ない危ない。すっかり忘れていたが、仮にも相手は土精王。
元から相手の心配など不要。殺すつもりで掛かっても勝てない相手なのだ。
それならば!
「おおおお!」
―――
――ドゥ
「プファ ハッ ハッ ハッ ハァッ もう無理……。」
大の字に倒れ、荒い息をつく。
「なかなか楽しかったぞ。」
そう言って笑うギースの顔には汗一つ見当たらない。
結局僕は、まともに一撃入れる事も出来ずに終わったのだった。
「ど……どうも…ありがとうございました…。」
それだけ言うと、僕は再び突っ伏した。
「さてと、ついでじゃ、ベル、相手をせい。
どれだけ成長したか、確かめてやろう。」
「ええ〜? わたし〜?」
すこぶる嫌そうだ。
「他に誰が居る、さっさとせんか。」
「ううう、もう、どうにでもなれぇ!」
―――
―――
ゴシャッ「にぎやぁぁぁ!」
ギースの鉄拳がベルの後頭部を叩く。
「何じゃベル、この位避けれんでどうする!」
ギースはため息混じりに叱り飛ばすが、ベルはそれ所ではない。
頭を押さえ、ゴロゴロとのたうち回る。
「まったく、しょうのない奴じゃ。…わかった。
しばらくワシが稽古をつけてやる。」
聞こえているのかどうかは定かではないが、ベルは、ビクリと痙攣して、そのまま動かなくなった。
「さてと、それではわしは先に休ませてもらうとするかな。」
そう言ってギースはヴァルハラ宮へと帰った。
「お疲れ様。」
ヴァルハラ宮で、アルテミスはティーカップを片手にギースを迎えた。
「どうだった? あの2人。」
「悪くはありませんな。訓練次第と言った所でしょうか。」
「そお? ま、ギーちゃんの悪くないは褒め言葉だしね。」
アルテミスはカップに口を付けながらそう答える。
どう言った間柄か、アルテミスは土精王ギースに対し、全く遠慮が無い。
「所で、アレは見つかった?」
「もちろん。道順までしっかりと。」
「そ、じゃあ詳しく話してちょうだい。」
2人の密談は夜遅くまで続けられた。
その後、城の付近で訓練の名の下に、城下で爆発があったり、絶叫があがったりしながら、
あっという間に1ヵ月がたった。
安息の時は駆け足に過ぎてゆき、僕達は再び血泥の中に身を投じる。
出陣の日の朝、城外には朝日を浴びて輝く、銀色の兵が整然と並んでいた。
神界より出発する第2陣は、僕やベル、ミスティ、オーディン、アルテミス、ロウウェル、等、
主だった面々に加え、スクルド率いる新生神界騎士団3,000。
神族のもてる全兵力の、実に2/3に相当する数である。
(神、魔、精霊族はその力と、長い寿命と引替に、その人口は極めて少ない。
これは生態系の食物連鎖ピラミッドを想像してもらえれば分かりやすいだろう。)
この事から見ても、この軍の、反乱鎮圧に懸ける意気込みが見て取れる。
後の守りについては、終焉の炎にすら耐え得る古代人の遺産、ヴァルハラ宮がある。
城門さえ閉ざしてしまえば、例え万の兵が攻めて来ようとも、決して陥落するような事は有り得ない。
そして一行は、神聖竜の背を越え、カイエンの街へと辿り着いた。
「よう、ゼフ。久しぶりだな!」
出迎えたのはジークフリートと、連合軍の将軍達である。
「船は港に待たせてある。いつでも出れるぜ。」
ジークフリート艦隊及び連合軍艦隊総勢100隻が港に、沖にと所狭しと並んでいる。
しかし、反乱軍は主だった国に対し、終焉の炎の狙いを定めており、大きな動きは出来ない。
実際に終焉の炎によって2つの国がすでに地図上から消えてしまった。
結果、船、兵、武器の大半は反乱軍が没収してしまっており、兵力的にはこれでもまだ劣っている。
「まあ、そう悲観するな。確かに数じゃ負けてるが、こっちにゃ神族兵がいるし、
都合上船の大半が新造の最新式だ。そう簡単にゃあ負けねぇよ。」
まるで僕の心を読んだかのように、ジークはそう言い切った。
「お主がジークフリートか?」
オーディンが前に出て尋ねる。ジークはあからさまに顔をしかめ、
「人に名を尋ねるときは、まず自分から名乗るもんだぜ?」
うわぁ、何を言い出すんだ! 周囲に緊張が走る。
しかし、周囲の予想とは裏腹に、オーディンは冷静に対していた。
「これは失礼した。我は第8代神王オーディン。そなたの名を伺いたい。」
それを聞き、ジークは姿勢を正し、表情を引き締める。
「俺の名はジークフリート。海帝ジークフリートだ。
まさか神王自らお出ましとは、恐れ入った。」
「何、それよりも此度の協力、感謝する。」
「大した事じゃねえさ。こっちこそ、よろしく頼む。
…それで、だ。船は港の方に待たせてある。
2時間後に出るからそのつもりで準備してもらいたい。」
「承知した。」
「それと、ゼフ、ベル、ミスティの3人は後で付いてきてくれ。」
――波止場にて――
「しかし、無知と言うものは恐ろしいものでございますね。
あのジークフリートとか言う男、見ているこっちがはらはらしました。」
乗船の指示をしながら、新神界騎士団長スクルドは、側に立っているオーディンにそうもらした。
「無知? それは違うな。奴は全てわかっていた。その上で我に名乗らせた。
全くもって面白い男よ。」
「では、陛下はその事を御承知の上で、あのような男に頭をお下げになられたのでございますか?」
「我には自尊心はあるが、それ以前に礼儀と言う物も心得ておる。」
「は、それは失礼いたしました。」
スクルドは慌てて頭を下げる。
「構わん、それにしてもあの男、人間の身でありながら、なかなか出来る。
一度手合わせしてみたいものだ。」
「陛下! 不謹慎でございますよ。」
スクルドは小さくため息をつくと、その後2人して笑った。
その頃僕らはジークの案内で街中を歩いていた。
「ジーク! さっきのあれ、わかってて聞いたでしょう?」
僕はジークに詰め寄ると声を落として問い詰める。
「まぁな、誰なのかまではわからなかったが、相当高い位の奴で、
それ以上に、俺じゃあ手も足も出ねぇ位、強ぇ奴だって事ぐらいはな。」
「じゃあ、何であんな相手を怒らせるような事を!?」
ジークは足を止めると、こちらを振り向く。
「いいか? 俺は海賊だ。海賊は金と、義によってのみ動く。
まぁ、言ってみりゃあ、さっきのはちょっとしたテストさ。
あれで名乗らねぇようなプライドの塊だったら、俺はあいつに手を貸さねぇつもりだったんだがな。
なかなか面白ぇ奴だな。」
そう言うと再び歩き出す。
一見何も考えてないようだが、色々と独自の考えを持っているようだ。
「さぁ、そんな事より、着いたぜ、ここだ。」
―ソードフィッシュ・イン―
辿り着いた先は何の変哲も無い宿屋兼酒場だ。
「何ですか? ここは?」
「ここは昔の海賊仲間のやってる店で……まぁ、そんな事ぁどうでもいいや。
中に入ればわかるよ!」
そう言ってジークは3人まとめて店の中に放り込んだ。
カラン カラン
乾いた鐘の音を立てて、ドアが開く。
「いらっしゃいま……せ?」
元気良くあいさつしたウェイトレスは、僕らの顔を見るなり、笑顔のまま硬直してしまった。
白いエプロンドレスに身を包み、頭にカチューシャを付けている。
切れ長の眼に褐色の肌、黒い髪、どこかで見たような………?
カラン カラン
再び鐘の音を響かせ、ジークが店に入ってきた。
「よう、セシル。呼びに来たぜ。」
「あ! 今日はこれであがらせてもらいます!」
呼ばれて正気を取り戻したセシルと言う名の女の子は、急いで店の奥に駆け込んだ。
セシル……聞いた事の無い名前だな。
ベルとミスティも、聞き覚えが無いらしく、首を傾げる。
「あのセシルって子、誰なんですか?」
「なんだ、まだ気付かねぇのか? 良く知っている相手だぜ。」
その時、店の奥からセシルが姿を現した。
「待たせたな、行くぞ。」
やや赤面しながらそう言ったのは……。
「! ドレイク!?」
黒を基調とした海賊服に着替えたその少女に、まずは驚きの声が、
次いで大爆笑が起こった。
「ド、ドレイクが、ウェイトレスのかっこして、いらっしゃいませぇ〜って。」
ベルがオーバーリアクション気味にドレイクの真似をすると、再び大爆笑が起こる。
「も、やめて、し、死ぬぅ!」
ミスティはお腹を抱え、うずくまって本当に笑い死に寸前だ。
「おいこら、ジーク! 何でこいつらまで連れて来てるんだ!?
呼びに来るならお前一人で十分だろうが!」
ドレイクはジークの襟首を掴んで揺さぶる。
と言うより、ほとんど絞めていると言った方が正しいが。
しかし、ジークは平然として答えた。
「いやぁ、面白いかなぁって思ってな。」
プルプルとドレイクの肩が震える。
ゴゲン!
「もう知らん! 私は先に行くからな!」
そう言ってドレイクはスタスタと行ってしまった。
「あぁあ、ちょっとイタズラが過ぎたかな?
まあ、そう言う訳で、セシル=ドレイクだ。説明はいらねぇな。
それじゃあ、そろそろ俺達も戻るとするか。」
港に戻った頃には、兵の乗り込みは8割方片付いていた。
「で、僕らはどの船に乗るんですか?」
「出来れば揺れないやつで頼むわね。」
僕やベルの問いに、ジークはニヤリと笑い、
「セシル! 呼べ!」
「……りょーかい。」
まだ怒っているようだ。セシルは一つ、大きく深呼吸すると、
「来ぉぉぉい! ノア!」
大音声でノアなる人物を呼びつける。
ゴゥン
ゴゥン ゴゥン程なくして岬の向こうから、規則的な重低音を響かせながら、黒く輝く巨大な船体が姿を現した。
「!! あれはクロガネ! しかし、でも、まさか!
確かにあれは沈んだはず! 何故こんな所に!?」
僕らは思考を停止し、呆然としてその巨体を見つめた。
オーディンらは、始めて見るその巨体に、別な意味で驚嘆の声を上げる。
「どうだ、驚いたろ? クロガネ改め、魔道艇ノア。
古代人の遺産にして、俺の新しい母艦だ。」
「お前のじゃない! こいつは私のだ!」
すかさずセシルが突っ込む。
「まぁ、誰の船かはどうでも良いとして、どうやって引き上げたんですか?」
「おぉ、それよ、良く聞いてくれた。実は、なんと!
こないだあの海域を走ってた時なんだが、いきなり水面が盛り上がったと思うと、何が出たと思う?
水精王が現れたんだ!
それでもって、海底からこいつを引き揚げて来てな、俺に引き渡していったんだよ。」
「水精王!?」
周囲に驚きの声が上がる。
「おうよ! まぁ、相手が相手だけに、にわかにゃ信じられねぇだろうが、ありゃあ凄かったぜ!
お前らにも見せてやりたかったよ。何でも、誰かに頼まれたとか…。」
水精王に頼み事?
まさか!
土精王と言い、水精王と言い、いずれも魔王、神王を凌ぐ地位にある人物だ。
まぁ、確かに水精王は比較的温厚な人物だと聞くが、頼み事などと、そんな事一体誰が?
まさか、聖霊王?
……いや、それは考え過ぎか?
「………おい…おい! 聞いてるか?」
ジークに呼ばれ、はっと我に返る。
「え? あ! はい、聞いてますよ。」
「ほぉ? じゃあ、さっき俺が何の話をしてたか言ってみろ。」
「………すいません。聞いてませんでした。」
「ノアの、こないだの戦闘で起動して無かった分が起動して、性能が上がったって話をしてたんだよ…。
はぁ、まぁいいや、乗りな。出発するぜ。」
ジークは一気にテンションダウンして、艦内へと入っていった。
なんだか悪い事したかなぁ?
艦内はとてつもなく広く、見た事の無い機械が並んでいた。
また、その大きさゆえ、海上であるにも関わらず、全く揺れを感じなかった。
「すっごぉい! 全然揺れないのね!」
船酔いの心配が無くなり、ベルは大喜びだった。
「さぁ、全員乗ったな? 目的地はルーク帝国沖70海里、第1海戦区!
全艦、出航!」
ジークの声に応え、魔道艇ノアを先頭に、第2軍、戦艦100、神界兵3,000、
連合軍20,000総勢23,000の大艦隊はその威容を示しながら、一路南へと向かった。
ここで、一度、作戦の概要を説明しておこう。
僕らはここ、ネイスンの港を出た後、途中2度の補給を受けながら、
ルーク帝国海戦区域へと向かい、先に出ている第1部隊と合流する。
しかし、2度目の補給―前線の手前数kmの港町で行なうのだが、
そこで、僕とベル、ミスティ、オーディン、アルテミスの5名は、補給の際の喧騒に紛れて船を降り、
別働隊として行動する。
海上には、第2軍合計兵数45,000、戦艦400、各要所の守備を除き、ほぼ全ての兵力がそこに存在する。
彼らは沿岸部をゆっくりと進み、反乱軍へとその存在を知らせる。
全兵力を賭けた囮部隊である。
乾坤一擲、最後の勝負だ。そう考えるならば、相手もその兵の大半をこちらに向ける。
いや、向けざるを得ないはずだ。
そうなれば、当然陸上の守りは手薄になる。
そこを僕達少数精鋭の別働隊で一気に攻め、反乱軍の指導者―ルーク帝と、ルシファーの2人を叩き、
終焉の炎を確保する。
…と言う物である。
なお、終焉の炎の処理方法については、アルテミスが担当する事になっている。
どうするのかは知らないが、時々よく分からない知識を持っていたりする人だし、
本人が大丈夫だと言っているので、まぁ大丈夫だろう。
「陛下、どうかご無事でお戻り下さい………。」
ノアの甲板部で、その夜、スクルドは何度目かの祈りを天に捧げた。
この時代、基本的に戦闘は昼に行なう。
これは夜間の戦闘は同士討ちや混乱の危険があるためである。
「ご心配ですかな?」
背後から声が掛かり、スクルドは驚いて振り向く。
いつの間に現れたのか、そこにはロウウェルが立っていた。
「これは、ロウウェル様。いえ、別に私は心配など……。
陛下はお強いですから。ただ、私は神界騎士団長。
本来なら、陛下の背をお守りするのが私の仕事。
なのに私の力不足で………。」
「それは、違うと思いますよ。陛下は貴方の事を信頼しておればこそ、
この45,000の軍を貴方にお任せになられたのではありませんか?」
「そのような事! そのような事は、分かっています! ただ、私は……。」
スクルドは船の縁を握り締めた。
「失礼かとは存じますが、もしや、オーディン様の事を好いておいでで?」
「な! 何を、そんな! ………いえ、そうですね。その通りです。
私は陛下の側に居たい一心で神界騎士団に志願し、
少しでも陛下のお役に立ちたいと鍛錬を続け、今では神界騎士団長。
…不純ですよね。こんな理由で、誇り高き神界騎士団へ入隊したなんて。
しかも肝心な時には側に居る事すら出来ないなんて…。」
スクルドは、そう言って寂しげに笑った。
「いえ、『大切な人の力になりたい』。立派な理由ではございませんか。
ところで、この事は、オーディン様には?」
「まさか! そんな事、言える訳がありません。所詮私は一介の兵士。
陛下には、もっと素晴らしい御方がたくさんおられます。
どうせ叶わぬ思いですから……。私は今のままで十分です。」
その目元は、月の光を反して輝いていた。
「すいませんでした。変なお話をしてしまって。
それでは、私は船内の警備がありますので、これにて失礼させて頂きます。
ロウウェル様も、お風邪を召されぬようにお気をつけ下さい。」
そう言ってスクルドは踵を返した。
「………陛下は、エイリーン様とご結婚なさった事、後悔なされた事はございますか?」
甲板の上で、ロウウェルは1人、今は亡き魔王ディアブロに問い掛けた。
冬の夜空は、粛然として、透徹していた。
場所を移して、こちらは別働隊。
僕とベル、ミスティ、オーディン、アルテミスの5人は、今、反乱軍勢力圏内を移動している。
途中、斥候や見張りがいたが、それらのことごとくがミスティの矢の前に倒れた。
普通、弓の射程距離は約100m、長弓でも200m、ダメージを与えようとするならその半分である。
しかし、ミスティの持つ聖霊弓は、射程が、そのままその距離となり、
その距離はミスティの視界内という広さ、加えてミスティの腕である。
敵はこちらの姿を見つけた時には、すでにミスティの射程の内にあり、気付いた時にはその体は地に伏している。
おかげで僕らは、これと言って大した戦闘もなく、帝都近郊まで近づく事が出来た。
今、僕らは森から平野へと抜ける手前にいる。
「ざっと1000と7,800て所かしら。」
木の葉に隠れながらベルが呟く。
「魔術士部隊にドラゴンやグリフォンなんかもいるわよ。」
アルテミスが返す。この平野を渡れば帝都はすぐそこ。
事実上、反乱軍の最終防衛線と言った所だ。
「よし、ミスティ! 任せた!」
ベルはミスティを指して命じた。
「えぇ! あれを全部ですかぁ!?」
ミスティは、どうした物かと考え込んでしまった。
「冗談はそれ位にしておけ。行くぞ。」
オーディンが立ち、僕らもそれにならう。
スタァン
突然、反乱軍の将の1人が倒れる。これが戦闘開始の合図となった。
「て、敵襲ー!」
反乱軍の部隊は色めき立ち、急いで陣列を組む。
しかし、その間にもミスティの矢は正確に将を討ち取って行く。
将を失った部隊は浮き足立ち、統制を失い、右往左往する。
「いたぞ! あそこだ!」
兵の1人がこちらを指差して絶叫する。
将を失った部隊は、陣形も無く、闇雲に突っ込んでくる。
それを見てベルは、
「やるわよ。」
僕に合図を送り、魔術式を構成する。
今まで使った事は無かったが、元々ギース大公の血を引く直系の孫娘だ。
1ヶ月で、土属性魔術は僕と互角に渡り合える程になった。
ベルはハンマーを振り上げ、地面に叩きつける。
「覇王の―!」
ズゴゴゴゴゴゴゴォォ!
叩きつけたハンマーを中心として、扇形に大地が吹き上がり、巨大な岩の槍が突き出す。
反乱軍部隊がその姿を消す。
「ひるむな! 奴らこそ陛下に仇成す怨敵ぞ!」
それでも生き残った兵は、ドラゴンやグリフォンを引き連れて押し寄せる。
しかし、まだ甘い。これで終わりじゃない。
僕は、聖剣を天に掲げ、頭上に小さく円を描き、振り下ろす。
「行軍!」
上空で、突風が巻き起こり、それはすぐに巨大な竜巻へと姿を変えた。
竜巻は先の岩の槍を巻き込み、荒れ狂う。
質量を得た風は、質量を持たぬそれの比では無い。
触れる物全てを掻き消し、それでもあき足らず、近くに在る物を巻き込み、ついには自ら雷を生み出す。
合体魔術と呼ばれる物の、最も強力な組み合わせの1つだ。
竜巻が消えたとき、そこには大きくえぐれた大地だけが残った。
「何する物ぞ! 敵は少数! 槍隊前へ! 弓隊、魔術師部隊は援護せよ!」
てっきり恐れをなして逃げ出すかと思いきや、部隊を整え、再び突撃を開始した。
「なんだ? こいつら、恐怖とか言う感情はないのか!」
相手の兵力は残り500程度、部隊の3分の2以上を失ったにも関わらず、全く士気が衰えていない。
「これが教育と言う奴だ。全くもって下らん!」
豪槍一閃、オーディンは先頭部隊を薙ぎ払いながら、吐き捨てるように呟いた。
その顔には明らかに怒りの表情が刻み込まれていた。
全知全能なる戦神は、清冽なる怒りの中に槍を振るう。
戦闘は1時間を待たずして終わった。
「教育は、民を民として扱わぬ。
民は次第に自らを兵と認識し、国の為に 殉ずる事を至上の幸福と感じる。
正に外道の業よ。」
オーディンは戦いの後、それだけを告げた。
ともかく、僕らは帝都へと向かった。
帝都に入ると、警備兵を蹴散らし、一気に城を目指した。
「城の地下には終焉の炎が格納されているはずだから、あんまり大技は使わないでね。」
アルテミスは、釘を刺すと、ミスティを連れて別方向、―終焉の炎―が在る地下施設へと向かった。
「分かってますよ。」
もっとも、大きな都市や城には封魔結界―その名の通り魔力を封じる結界が張られており、
マナ(魔素)の流入が制限される為、ある程度以上大きな魔術は使えないのだが。
城が見えると、僕らは堀や城壁を飛び越して、そのまま城内へと侵入した。
「侵入者だー!」
すぐに兵士が集まってくる。すぐに中庭は兵士で埋め尽された。
「くそ、一体何人出てくるんだ!?」
大技を使えない上に、いくら倒しても、その屍の後ろには次の兵が押し寄せている。
さすがにきついか?
「一体どこのネズミかと思えば、まさか御大自ら出向いて来ようとはな。」
突如、上方から声が掛かった。
「ルシファー! ルーク帝まで!」
2人は、数人の兵士を従え、バルコニーから姿を見せた。
「下がれ。」
ルシファーの一言で、周りの兵がすっと下がる。
僕らの前に出来た空間に、ルシファーとルーク帝は、音も無く降り立った。
「お前がベルゼブブか。」
ルシファーは、生気の篭らぬ眼で、こちらに視線を送る。
「そうだ、ルシファー。貴様、これは一体どう言うつもりだ!
こんな事をして、ただでは済まないぞ!?」
「ふん。」
全く興味が無いと言う風に、鼻で笑うと、キッとこちらを見据えた。
「お前は、今の世界をどう見る?」
「何?」
「今の世界は混沌としている。神魔の血をひくお前なら、分かっているはずだ。」
一瞬、頭の中を、幼い日の暗い記憶がよぎる。
「俺は、この世に、真に平等な世界を創る!
「あらゆる垣根を無くし、1つとなる、完全な世界をな!」
そこで、ルシファーは一旦句を止め、今度は緩やかな口調で語りかけてきた。
「どうだ、こちらに来るつもりは無いか?」
「何を!?」
「お前となら、分かり合えるはずだ。共に、この世に理想郷を創り出そうではないか。」
「何を言う! 貴様、自分が何をしたか、忘れたか!
父上を殺しておきながら、そんな口車に乗るとでも思ったか!?」
ピクリとルシファーの眉が動いた。
「どこでそんな情報を……まあ良い。交渉は決裂だ。」
ルシファーが走る。
ギャリィィ!
地面を滑るようなルシファーの一撃を、エクスカリバーで受け止める。
さすがは元軍人、速く、重い。しかし、決して防げ無い程でも無い。
しかし、反撃に移ろうとしたその時、
スパァァン!
一瞬何が起こったのか分からなかった。
ルシファーの回し蹴りが、こめかみを穿った。
先の一撃はフェイントか! あまりに綺麗に決まった
それは、視界を大きく揺らす。そこをルシファーの凶刃が襲う。
何とかそれを防ぐが、防ぎ切れなかった一撃が肩口を掠めた。
「うぁ!?」
掠めただけの一撃は、まるで腕ごと切り落とされたかの様にな激痛を与え、僕は思わず剣を取り落とす。
止めとばかりにルシファーが走る。
ゴヴァ
もう終わりか、そう思ったその時。
僕とルシファーの間を剛槍が走り、大地が弾ける。
ルシファーは足を止めざるを得ず、その隙にオーディンとベルが割って入る。
「チッ。」
ルシファーは忌々しげに舌打ちする。
「何やってんのよ! その位のかすり傷で、ちょっと大げさ過ぎるわよ!?」
僕は、痛みを推して、再び剣を取る。
「いや、あれは、降魔の剣!」
降魔の剣『大典太光世』―
魔族に対して絶大なる攻撃力を誇ると言われる、魔王家に伝わる魔剣の1つだ。
「運の良い奴だ。」
ルシファーはもう一振りの魔剣―神封じの刃『鬼丸国綱』を取り、ルーク帝に投げてよこした。
「陛下には、オーディンをお願いします。」
「うむ、任せておくが良い。」
魔剣を片手に、ルーク帝は鷹揚にうなずいた。
「親衛隊の者は陛下の援護。残りの者はあの小娘を始末しろ。」
ズラァン
ルーク帝は魔剣を抜き、不敵に笑った。周りの兵が再び動き出す。
「ったく、どうして私が露払いなのよ!」
ベルのハンマーが周りの兵をまとめて吹き飛ばす。
しかし、露払いと言っても半端な数ではない。
個々の能力はともかくとして、兵数は今いるだけでも50を数え、それでもなお増えつづけている。
凶刃きらめく銀色の波が、ベルをめがけて押し寄せる。
「せい! は! やぁ!」
ギィ ガッ ギリィィン!
ルーク帝の連撃を受け止めながら、オーディンは反撃の機会をうかがった。
技や力だけなら、オーディンの苦労するような相手では決して無かった。
しかし、その剣、鬼丸国綱は、純血の神族たるオーディンにとって、
掠めただけで命取りになるような、何よりも厄介な武器だ。
本来、道を極めた者は、皮1枚の戦い方をする。
しかし、それはあまりにも危険だ。
結果、自らの望まぬ戦い方を強いられる事となる。
しかも、周囲を囲む親衛隊は、反撃をすれば自らルーク帝の盾となり、
距離を取ろうとすれば、死する人壁となってその道を防ぐ。
正に人ならざる者の持ち得る強さであった。
しかし、オーディンはその戦いの内に、隙を見出した。
「もらったぁ!」
オーディンの一撃がルーク帝を襲う。ルーク帝は、片腕をかざしてそれを防いだ。
ズガ! グングニルはルーク帝の手甲を貫き、その額の手前で止まった。
しかし、片手を貫かれたにも関わらず、苦痛にひるむ事無く、それどころか不敵な笑みを浮かべ、刀を一閃する。
さすがにオーディンも、これは予想外だった。
ズガン
オーディンの鎧が紙の如くザックリと切り裂かれる。
紙一重で体には届かなかったが、さすがにオーディンは冷たい汗が流れるのを止められなかった。
「代わりを持て!」
ルーク帝が叫ぶと、すぐに親衛隊の1人が手甲を用意する。
ガチャ
ルーク帝の腕が、肘の所から外れた。
「! 義手だと!?」
そう、それは手甲ではなく、精巧に作られた義手だった。
「驚いたか! 余の腕は痛みなど感じぬ! 貴様らとは違うのだ!」
まさか、こいつ、それだけのために自分の腕を……?
狂っている!
オーディンは吐き気を覚えた。
その頃、ルーク帝国沖海戦場。
「第2、3、4艦隊下がれ! 第1、5艦隊は援護! 第10、11艦隊は敵右翼へ………。」
ジークは、声を枯らして艦隊の指揮をしていた。
船の間では矢や魔術の応酬が繰り広げられ、傍目には総力戦の様に見える。
しかし、実際にはこちらはほとんど手を出していない。
その証拠に、魔道艇ノアは、未だ、指揮艦として働き、前線には出向いていない。
「一体、いつまでこんな事を続けるつもりだ!?」
指揮をしているジークの背後で、セシルが問い掛けた。
セシルは明らかにイライラしていた。
「こっちには、ノアと、合計400の艦隊が在る!
総攻撃すれば勝てないはずのない相手だぞ!?」
ジークは、椅子を回し、セシルをその視界に捉える。
「期間は、ルーク城より終焉の炎確保の合図があるまで!
今日中にゼフ達がルーク城に侵入する手はずになっている。少し落ち着け。」
「しかし、何で私達が囮なんだ!? 本来なら、私達が主力として戦うべきじゃないか!?」
「はぁ。」
ジークは1つため息をつくと、突き通す様な視線でセシルを制止した。
「セシル、お前は、敵味方合わせて80,000の兵を道連れに心中したいのか?
ここで俺達が勝つような事になれば、向こうは必ず終焉の炎を使うはずだ。
街1つ消し飛ばすような物から、この艦隊をどうやって守るつもりだ?
相手を考えろ。」
ジークは立ち上がり、セシルに近づく。セシルは、1歩、2歩、後ずさる。
「分かったか?」
ジークはセシルのすぐ側まで詰め寄り180cmを越える長身がセシルを見下ろす。
エレンは黙って頷いた。
「まぁ、ずっと戦場に立ってりゃ、気が立つのも仕方ねぇわな。
ちと早いが今日はもう休め。」
そう言ってジークはセシルの頭をグシグシと乱暴になでて笑った。
「子ども扱いするな!」
セシルはジークの手を払いのけるとそのまま船室を後にした。
「さてと、それじゃあ、もうひとガンパリするか。」
ジークは、やれやれと頭を掻くと、再び元の席に着いた。
それでは、アルテミス達はどうしているのか?
ルーク城地下、アルテミスとミスティの2人は終焉の炎目指し、ひた走っていた。
普通に考えると、狭い通路に侵入するのに、弓使いと言うのは明らかに人選ミスである。
しかし、ことミスティに関しては、それは全く例外だった。
ミスティは走りながら弓を引き絞り、特に狙いを定めるでも無く矢を放つ。
しかし、放たれた矢は、自ら意思を持っているかの如く的確に兵を射抜いていった。
しばらく走ると2人は大きな扉の前に辿り着いた。
その扉には頑丈そうな鍵が掛かっていたが、アルテミスは構わず手をつくと、一言、
「開け。」
それだけで、鍵は外れ、扉は自ら開いた。
「! これが、全部終焉の炎ですか!?」
ミスティが驚きの声を上げる。
扉の奥には、巨大な地下室があり、大小併せて百数十の『終焉の炎』がそこにあった。
「まったく、よくもまぁ、これだけの物を今まで隠し持っていた物ね。」
アルテミスは半ば呆れ顔だ。
「ミスティちゃん。危ないから下がってて。」
ミスティを下げると、アルテミスは表情を引き締める。
アルテミスは瞳を閉じて、精神を集中させる。
その強大な力の前に、封魔結界は、いともたやすくその働きを失い、多量のマナが流れ込む。
「我は天を創造し、地を開闢(かいびゃく)せし者なり。
汝、人の手により作られし、我が意に背く鉄塊よ、その姿打ち捨て無に還れ!」
ゼフやベルが使う物とは全く異なる術式を持つ、あまりに強大な魔術は、
発動と共に、地下室の中央の空間を歪ませ、黒い闇を、いや、無を、
光すら存在せぬ無を生み出した。無は、急速に広がり、終焉の炎を、
地下室を飲み込み、遂にはアルテミスの鼻先まで迫った。
パチンッ
アルテミスは、頃合いを見計らって、指を鳴らした。
すると、無は膨張を止め、収束を始めた。
同時に、無より解放された空間に空気が流れ込み、突風を生み出した。
「ひあぁぁあぁ!」
アルテミスは飛ばされそうになるミスティを抱き寄せ、自らは平然としてしばらく収束する無を見つめていた。
「さて、行きましょうか。」
アルテミスは踵を返し、髪を風になびかせながら歩き出す。
ビシィッ!
そして、それに合わせたように地下の崩壊が始まった。
地下の崩壊は程なくして地上の城にもその影響を表した。
基盤を失った城は、自らの重量に耐え切れずにその形を歪め、一角が音を立てて切り崩れる。
「何事だ!?」
ルーク帝は自らの城の崩壊に注意を奪われる。
ほんのわずかの隙だったが、オーディンには十分過ぎる隙だった。
「倭伝夢想流 奥義 沙羅双樹!」
ズドドォ!
「があぁ!!」
断末魔の悲鳴を上げ、ルーク帝が沈む。
「終わったか。」
オーディンにしては珍しく、安堵の息を吐く。
「これで……ラストォー!」
同じ頃、ベルのハンマーが最後の兵を叩き伏せた。
「ぷはぁ、はぁ、はぁ、はぁ、…これで、後は、はぁ、ゼフだけね。」
最終的に百数十を数える兵士を相手にしたベルは、荒い息をつきながら、
それでもなお、自らの足で立っていた。
ルーク城の崩壊は、狼煙を通じてジークらのいる海戦区にも伝えられた。
「やったか!」
その知らせを聞き、ジークは思わず立ち上がった。
「
全艦、突撃ぃぃ!」オオオォォォォ!
大気を震わすときの声が上がる。
ひたすら忍耐を重ねた艦隊は、ノアを先端とする三角錐を形成し、
鎖を解かれた竜の如く、不動の勢いを持って反乱軍に迫る。
「目標は督戦隊! 戦う意志の無い奴は相手にするな!
ただし刃向かう奴は、かまわねぇ! 容赦無く叩き潰せ!」
竜の顎(あぎと)が反乱軍を噛み砕いた。
――ギィィン!
ギリギリ……僕の上段の一撃を、ルシファーは剣を横に構えて受け止める。
「ルシファー! そもそも、何故そこまで今の世界を憎む!?」
「何故だと?」
ガッ ルシファーは剣を押し返し、距離を取る。
「良いだろう、1つ、昔話をしてやろう。
昔、俺には1人の愛する者がいた。
しかし、彼女は、フィリスは、神族、しかも天使族だった。」
天使族―俗に第2神族とも呼ばれた。
「やがて、俺とフィリスは、新しい生命を授かった。しかし! 父は!
ベリアルは俺を裏切った! 奴は裏で手を回し、どこの医者も俺達を受け入れてはくれなかった。
結果、子は、この世に声を上げる事すら許されず、フィリスもすぐにその後を追った。
何故こんな事をしたのか? 俺はベリアルに問いただした。何と返って来たと思う?
『一国の将たるお前が、いつまでも異国の、あのような民との
情事にかかずらうべきではない。これも全てお前の幸せを思えばこそだ。』
等とほざきくさった。俺はその時誓った。
いつか、この世界を変えて見せると!
その後、俺は各地を放浪し、この地で終焉の炎の存在を知り、
この地の王に仕えたのが今から二百数十年前…、
そして、今、ようやく俺の夢が叶うのだ!」
ルシファーは、しばし瞑目し、再び剣を構えた。
「今、ここで終わる訳にはいかんのだ! 話は終わりだ、いくぞ!!」
ギィン ガッ ギギィ ヂィィン
降魔の剣は、先程にも増して、鋭く、速く舞い踊る。
ギィィン
さっきとは対照的に、今度はこちらがルシファーの一撃を受け止める。
「しかし、何もこんな方法でなくても、他にも方法はあったはずだ!」
「世迷言を! 人とは、愚かな生き物だ。
絶対的な力の下で統治せねば、真の平等など実現し得ぬ!」
降魔の剣が額に迫る。
「そんな事は無い! 人は、分かり合える!」
「若僧が! 寝言は寝て言え!そんな物、ただの理想論に過ぎん!
理想では世界を変えられんのだ! 何故それが分からん!?」
「出来る!! 父も、僕も、そして、ルシファー!」
ッギィィィィン
僕の、渾身の一撃が、ルシファーの手から、降魔の剣を弾き飛ばした。
「これまでだ。投降しろ。」
チャリ
エクスカリバーがルシファーを捉える。
「くっ、まだだ!」
ガッ ルシファーの蹴りがエクスカリバーを弾き、そのままルシファーは降魔の剣に手を伸ばす。
しかし、その手が届く前に、ミスティの放った光の矢が降魔の剣を弾き飛ばした。
そして、そこにはオーディンが、背後にはベルが構えている。
そして、更に、
ドゴォ!
背後で、城門が打ち壊され、ロウウェル、ジーク、スクルドらを始めとする海上部隊が姿を現した。
ルシファーはしばらく黙って、その光景を見つめた。
「今度こそ、本当に終わりだな。」
「…ふっ。」
ルシファーは自嘲的に笑った。
「これが、お前の選んだ道か……。
いいだろう、貴様の言う理想の世界とやら、創って見せるがいい!」
終わったか。皆がそう思った。
その時、
「しかし、投降はせん。この命は誰にも渡さん!」
ルシファーの手の内で魔術式が構成される。
「!! 待っ…!!」
ドウッ
一筋の光条がルシファーの胸を貫いた。
紅い命の花が散り、ルシファーの体がゆっくりと崩れる。
「…フィリ…ス……。」
愛する者の名を呼びながら、ルシファーはその命に幕を下ろした。
「何故………、何故こんな!?」
怒りとも、哀しみとも着かない感情がこみ上げてくる。
肩が震えているのが自分でも分かった。
「きっと、彼は寂しかったんでしょうね。」
アルテミスは、ポツリとそう洩らした。
その通りだと思う。
ルシファーは、誰よりも一途で、愚かな程に純粋な人間だった。
だからこそ、父ベリアルに裏切られた事に、愛する者を失った哀しみに耐えられなかったのだろう。
その時、視界の隅を白い雪が舞った。
見上げると、空からは1つ、また1つと、雪が降り続けていた。
まるで、死者を悼むかのように………。
こうして、人、神、魔、三界を巻き込んだ乱は終結を迎えた。
勝者とは誰か? 答えを知り得る者は誰もいない。
争いは何も産み出さない。
あるのはただ、死と哀しみのみ。
雪は、それらを覆い隠すかのように、いつまでも降り続けた………。
第九章『神魔!』完
cross解説講座 〜
中世の戦闘方法〜
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