
第3話 一電脳の牢獄−
「…その言葉、本気? 私が誰なのか、分かってて言ってるの?」
ネシスの声が、部屋の暗闇に吸い込まれて行く。
「無論だ。」
答える声は、若い男の声である。が、暗闇に紛れ、その顔は見えない。
「ハッカーに、似合わないわね。私との契約には、こんなことなかったわよ。」
「報酬は、君が望むだけ与えよう。」
「それだけじゃ、ねぇ…。」
「要求も、可能な限り聞く。不服かね?」
「他の奴にやらせたらいいじゃない。私は、CCばらまいていりゃあ、それで十分なのよ。」
「適任者は、君以外、いない。君の能力を見こんでの事なのだ。」
数秒間の、沈黙。それに続く、ネシスの大きなため息。
「…さっきから聞いていると、どうしても私にやらせたいみたいだけど…。もしかして、これって、断れないわけ?」
「…そのように聞こえるかね?」
「だって、今までで私がごねたら、『それなら、別の者にやらせよう』とか言っていたじゃない。」
「…そのとおりだ。君が適任者、というより、君意外にはできないことなのだよ。」
「どうして、そう素直に言えないわけ?」
「頭ごなしに言って、君がOKしてくれるとは思わなかったものでね。強制的にやらせたら、機嫌を損ねて、故意に失敗すると考えたのだよ。」
「…言えてるわ。」
彼女は、少しの間考えて、
「…分かったわよ。引き受けるわ、その仕事。」
「感謝するよ、ネシス。」
会話はそこで終わり、部屋に残ったのは、男一人となった。
それ故、彼の独り言は、誰にも聞こえることがなかったのである。
「…実験台には、いい材料だ。罰として、せいぜい、奴には、苦しんでもらうとしよう。」
西暦にして、2499年。
コンピュータ内に作られた仮想現実世界は、人々にとって、必要不可欠なものとなっていた。
今やそこは、仕事の場であり、娯楽の場であり−
そして、逃避と、新生活の場所でもあった。
現実世界に絶望したり、生きる気力を消失したり、罪を犯したりして、自らの生活の場を仮想世界に移した者達。
そのような人々が集まって、コンピュータ内に、いくつもの生活の場を作っていた。
いつの頃からか、その場所は、city・village・townの頭文字をとって、「CVT」と呼ばれるようになっていた。
現実世界を棄てた者達。一時は、現実世界の町よりも大規模になり、数が多くなったほどであったCVTだったが、最近では、たて続けに、その姿を消している。
その原因の予想は、簡単なものだった。
そう…、CCの出現である。
すでに、5桁を超える、CVTに生きる人々が、奴らの餌食になっていた。
そして、今現在も、その命は、奪われつづけている。
「そう…セイルも、フォルトゥスも、まだCCに遭ってないのね? …そう、私のほうも、まだ。…うん、分かってる。現れたら、連絡するから。それじゃ、また後で。」
そう言って、ファトルからの通信を切るリディア。
彼女は今、現在残っている中で、最大級のCVTにいる。
先ほど、CG達に、このCVTに、CCが出現するという情報が入ってきたのである。
事の起こりは、先週。仮想現実世界で設定されている「北」にあるCVTに、CCが出現。以後、CCは、そこから、南にほぼ一直線に進み、通り道に位置するCVTを、次々と襲撃していった。
CCの容姿などについては、まだ分かっていないのだが、おそらく、同じCCのはずである。
ちなみに、セイルやフォルトゥスは、離れたところで、CCの出現を待っている。
「…それにしても…まさか、またここに来ることになるなんてね…。」
リディアが、そうつぶやいた時である。
<リディア! そっちに出たぞ!>
ファトルの叫びと、ほぼ同時だった。
ドウッ!!!
衝撃が、周囲一帯を覆う!
「っ!!」
避ける間もなく、リディアの体は吹っ飛ばされ、地面をすべった。
「…う…っ!」
ほぼ同時に、背中に痛みが走り、彼女は思わず、呻き声を上げる。
と、その瞳に、信じられない光景が映った。
「…暗くなっていく…。…雲ひとつ、無いのに…。」
まるで、空に、フィルターがかかったようだった。
太陽の光が、何かに遮断されていくのである。
いまだ背中に残る痛みをこらえ、体を起こすリディア。
その視界に入る景色も、やはり、すべてが暗い。
「…CCの仕業? それにしても、これは一体…。」
「…終わりだ…、もう…。」
突然の声に振り向くと、一人の男が、そこに立っていた。
見たところは、40歳前後。その顔には、絶望の色が浮かんでいる。
「…ここでも、同じだったんだ…。やはり…逃げられなかった…!」
「あなた、何か知っているの?」
言いながら、リディアは、男のほうへ、歩み寄っていく。
「…ああ、知っているとも。だが、そんなことを聞いて、一体何に…。」
「サイバード・ガンナー、リディア。それが、私の名前よ。」
周囲にいた人々に、どよめきの渦が広がっていく。
「これが、CCの仕業だとしたら、私の力で、何とかできるかも。詳しい話、聞かせてもらえるかしら?」
「あんたのうわさは、いろんなところで聞いているよ。わずか2〜3年で、クラス<オメガ>に昇格した、超天才CGってね。」
酒場でグラスを1杯飲むと、男は、落ち着いたのか、口数が多くなり始めた。
「…誉め言葉として、受け取らせてもらうわ。で、アルフス=ラウツさん…」
「アルで結構だよ。」
「…それじゃあ、アル。あなたの知っていることについて、話してくれない?」
「ああ…分かった。」
−一週間前のことである。アルフス=ラウツは、ここより北にあるCVTで、今とまったく同じ現象に遭遇した。
まるで、空にフィルターをかけたように、太陽の光がさえぎられてしまうのである。
「といっても、CVT全部が、こんなに暗くなるわけじゃない。結構広い、ドーム状型になっているんだ。そして、この中には入れないし、こちらから出ることもできない。さながら、牢獄さ。」と、アル。
「閉じ込められたってわけね…。」
「…それだけだったら、良かったんだがな。」
そこから彼は、声をひそめる。
「…一定時間ごとに、一人ずつ、人が消えていくんだよ。まるで、死刑囚が、牢獄の中から、連れ出されていくように、な…。」
「…!」
「前触れは、何も無い。気が付いたら、消えているんだ。」
「…で、あなたは、どうして無事なわけ?」
「2日間、この中にいれば、ドームは消える。結局、残ったのは、俺のほかに5~6人くらいだった。…でも、その後が、参ったよ。」
「?」
「よほどついてないのか、それからも、この牢獄に、閉じ込められつづけているんだ。
…それにしても…ここまで来ても、まだ、逃げられないなんて…。」
そこまで話すと、彼は、大きくため息をつき、肩を落とした。
「…俺が知っているのは、ここまでだよ。」
「そう…分かった、ありがと。」
その時だった。
リディアの耳に、女性の声が、届いてきたのである。
それは、間違いなく…悲鳴。
条件反射で、外に飛び出すリディア。
声のほうに向かい、周囲の人々に、先ほどの叫びについて、尋ねる。
突然のことに、混乱する人々の情報をまとめると、次のようになる。
外を歩いていた男性が、一緒にいた女性の前で、突然、消えた。
何の前触れも無く、まるで、初めから、その場にいなかったように。
女性の叫びは、彼女の、数秒間の硬直が解けた後のものだという。
リディアが目的の場所についたとき、そこには、不気味な静寂が流れていた。
「…本当に、何も無い…。」
「だから、言っただろ?」
後ろから、アルがやって来ていた。
「普通、事件や事故の現場には、何かしら、それらの痕跡が残っている。野次馬は、それを見たくて、集まるのさ。…だが…。」
「ここに、そんなものは、何一つ無い。野次馬も、集まりようが無いってわけね…。」
CCの本体を探すために、リディアは、ドームによって遮られたエリア内を、進み始めた。
それと並行して、聞き込みを行っていく。
しかし…収穫は、ゼロ。
あまり期待せずに、通信機を使ってみたが、まったく作動しない。
そして、1時間後。
さすがに疲れがたまり、しゃがみこむリディア。
「…ふう…。これだけ回って、何も無いなんて…。」
恨めしげに、光を遮断している、上空のフィルターを見上げる。
「…あれが無くなるのを待っていたら、どれくらいの人が消えるんだろう…。」
「<オメガ>が、聞いてあきれるわね。」
リディアの心臓が、大きく跳ねた。
「…あんたなの? こんなことをしたのは…。」
彼女に、声の主を見る必要は無かった。
「恨み言なら、雇い主に言ってくれない?」
「…何しにきたの?」
「か・ん・さ・つ。人のおびえる姿ってさ、見てると気分いいんだよね。」
「……。」
「さっき、あんたの知らないところで、また人が消えたよ。確か、若い男女のカップルで、女のほう。」
「……。」
友人に、自分の体験したことを、告げるような口調だった。その声は、ただ、明るく、軽い。
しかし、リディアにとってのそれは、心を傷つける、邪悪な刃。そのことを承知で、言葉を流しだす。
「詳しく言うとねえ…」
「ネシス!」
たまらず、リディアは、相手の名を叫ぶ。
「…何? あ、こういう話、嫌い?」
誰が好きなものか!と、リディアは、胸中で叫ぶ。口に出すのも、馬鹿らしかったのだ。
と、その時である。
2人の耳に、声が聞こえてきた。
「…泣き声…?」
「こりゃあ…小さな、女の子ってとこだね。」
ヴュっ!!
背中の翼を広げ、ネシスは、声の方向に飛んだ!
「……!?」
リディアには、彼女の真意はわからなかった。
しかし、恐ろしい予感が、彼女を包み込む。それに突き動かされ、走り出した。
行くこと、数分。
予想通り、泣き声の主は、見たところ3〜4歳の、女の子だった。
「…どうしたの? 何で、泣いてるの?」
信じられないことに、その言葉は、ネシスの口から出ていた。
それに応じる女の子の言葉は、泣いているため、非常にたどたどしい。それでも、母親が消えた、と言っているのが、さほど難しくもなく、分かった。
「…そう…。…よし、分かった。じゃあ、お姉ちゃんが、あなたに、魔法をかけてあげる。」
「…え…?」
「お母さんに、会わせてあげる。」
「…ほ…、ほんと…?」
うなずくネシス。それを見た女の子の、涙が止まった。
その光景を、呆然と見つめるリディア。
女の子に、やさしい言葉を投げかけるネシスは、まるで、別人のようである。
「(…ネシス…、一体何を…?)」
「じゃあ…目を閉じて。」
「う…うん。」
目を閉じる、少女。
「3つ、数えて。」
ネシスの言葉に従い、少女は、数を数え始めた。
「ひとおーつ…、ふたあーつ…。」
そして− 少女が、「みーっつ…」と、言おうとした−
瞬間!
ザンッ!!
なんと、ネシスは、双剣−ウィング・ソードで、少女の体を、十字に斬り飛ばした!
リディアの視界が、一瞬、暗黒に閉ざされる。
同時に、彼女には、頭の中の何かが切れた音が、はっきりと聞こえた。
視界が戻ったとき、そこには、平然とたたずむ、ネシスがいた。
「お母さんのところへ、行ってきな。」
少女の亡骸に、その言葉を投げかけて、彼女は、リディアのほうを向く。
「…ねえ。いいことした後って、気持ちいいもんだね。」
「…いいこと…?」
「母親は、CCの力で、消えてなくなった。この子は、母親のもとへ行きたいって言った。で、私が、送ってあげた。何か、間違ってる?」
リディアは、もう、答えなかった。
向き合う二人。
ネシスは、リディアが仕掛けてくることを察し、NCUを展開させて、避ける体制を作る。
−静寂。
1秒。2秒。3秒−
刹那。
ゴッ、という音が、ネシスのすぐ近くで、響いた。
ほぼ同時に、鈍い痛みが走り、視界が揺れる。
そこに映るのは…殴りかかってくる、リディア。
痛みに耐え、ネシスは、それを避ける。
「(遅い…!)」
体制を整え、リディアと向き合い、考える。
「(今のは…、一体…。)」
と−
リディアが、ネシスに向かって、突っ込んできた!
それを、再び避け−
「…えっ?」
彼女は、手首を、つかまれていた。
一瞬、応援のCGではないかと思った。
しかし、この半円ドームの中にいるCGは、リディアだけのはず。
と、言うことは−
ガヅっ!!
こめかみに走る痛み。思わず、よろけるネシス。
その視界の片隅に、信じられない光景が映る。
リディアが、『殴っていた』のである。
それは、先ほど、ネシスの頭があった場所を、通っていた。
「(そんな…、ありえない…。)」
ひとつの結論に達した、ネシスの考え。それは、常識では、到底考えられないことであった。
「(残像が、遅れている…。…動きが、見えないどころか、遅れて見えるんだ…!)」
ガッ、ドゴオン!
リディアの蹴りが、ネシスを吹っ飛ばし、壁に叩きつける!
「ぅ…ぐうっ!」
そのあまりの衝撃に、彼女は、息をつまらせ、苦悶する。
その姿を見ても、リディアは、まったく表情を変えない。氷のような瞳で、ただ、じっと、ネシスを見据える。
そして−
ヴュゴオンッ!!!
二つの音が、重なり合って聞こえた。
一つは、リディアの、風を切る疾走。もう一つは、ネシスの腹に叩き込まれる、拳の音である。
衝撃は、体を突き抜け、後ろの壁を貫いた。
瓦礫が飛び散り、視界が遮られる。
その隙に、ネシスは、NCUを展開させ、空中へと飛んだ。
「…人間なの…、あいつ…!?」
彼女の声は、すでに、悲鳴に近いものがあった。
と−
ギュギュギュアアアアアッッ!!!!!
ネシスに向かって、「イレイザー」のエネルギー弾が、飛んできた!
一つ、二つではない。何百…いや、何千。まるで、アサルトライフルの連射である。
「ひっ!」
おびえの声をあげ、NCUの力を最大解放させて、どうにか、エネルギーの雨を避けるネシス。
しかし、あまりにも急激なスピードの増減は、彼女の体に、骨のきしみと痛みを与える。
「…っ!」
それらに耐え切れず、ネシスが、空中で停止した−
その時。
ヴンッ!
彼女の前に、リディアがいた。
「(この高さまで…跳んだ!?)」
ネシスは、とっさに、距離を離そうと−
して、気が付く。
リディアが、すでに、振りかぶっていること。そして、その意味を。
「(動きが、遅れて見える…。ということは、つまり…!)」
身体が、思考に、ついていかなかった。
ドゴオッ!!
ネシスは、一瞬、自分自身が、砕けたかと思った。
リディアの一撃は、それほど、強烈だったのだ。
一秒にも満たない、空中の移動。
ガアン!!
「が…っ!」
壁に身体が張り付くと同時に、ネシスは、声をあげた。
現実世界でなら、吐血しているだろう。
朦朧とした意識で、ネシスは、リディアを見る。
彼女は、地面に降り立ち、じっと、ネシスを、見据えていた。
その瞳の色は、いまだに、まったく、変化が無かった。
「…どう…して…。」
人間が、こんな強さを…。
言葉の後半は、苦しみのため、声にならない。
「(セイルといい、リディアといい…。…CGってのは、何で、こんな化け物ばかりがそろってるの…!? …元々は、普通の人間のはずなのに…!)」
ネシスの言葉に、間違いは無い。
『セイル』である修一も、『リディア』である里美も、ごくごく普通の人間であり、セイルやリディアにしても、CGの訓練を受けてはいたが、このような動きが出来る術を教わったことは、まったく無い。
では、なぜ?
それは、彼らが、CG・クラス<オメガ>であることに、起因している。
…少しの間だけ、それについての、詳しい話をしていこう。
CGは、基本的に、<ガンマ>までしか、階級を上げられない。普通にCCを倒していった場合、どれほどその数が多くなろうが、<オメガ>に階級が上がることは、決してないのである。
では、セイルやリディアは、どうやって、<オメガ>の階級を、取得できたのか。
結論から言うと、『仮想現実世界内で、どのように動けばいいのかが、分かった』からである。
そもそも、現実世界と、仮想現実の世界で、普通の人々は、同じように生活しているのだが、実際には、微妙な違いがある。
一言で言えば、それは、『思考の伝達方法』。
たとえば、現実世界で、腕を動かそうとしたとき。
脳で思った、その事柄は、神経回路をとおり、わずかなタイムラグを生じさせて、腕の末端神経に到達する。
一方、仮想世界。
普通に生活していればまったく同じなのだが、こちらの場合、身体は、コンピュータのデータによって、構成されている。そして、そこに、現実世界と同じ『感覚』が備わるのである。
その結果、現実世界では脳や神経などに分かれている、体の内部が、仮想世界では、全て一つにまとまった。
言ってみれば、体の内部は、全てが脳であり、全てが神経なのである。
では、そのようになった仮想世界では、現実世界と、どのように、思考が伝わるか。
仮想世界で腕を動かそうとしたとき、その事柄は、まったくのタイムラグ無しに、身体の隅々まで行き渡る。
そして、身体は、全身でその命令を了解し、その通りに全身を動かす。
−これを上手くコントロールすれば、身体の一部分に、瞬時に力が働き、通常と比較にならないほどの能力を発揮できる。
そう。<オメガ>になるためには、この条件をクリアしなければならないのだ。
だが、もしも、コントロールに失敗すれば?
そうなった場合、自分の力に振り回される。腕や足がちぎれたり、最悪の場合、死に至る。
ちなみに、普通の人々は、無意識に脳が力をセーブするため、このことには気づかない。
その力を断ち切る方法は…つまり、CG<オメガ>になる方法は、後々、明らかにしていくことにする。
なぜなら、それは、セイルやリディアの過去と、つながって行くから。
−それでは、話を、本筋に戻そう。
「…ねえ…。あんた、あの子が目の前で死んだだけで、何で…こんなに、切れてるの?」
息を荒げながら、ネシスは、しゃべり続ける。
リディアから放たれる威圧感をごまかすには、その方法しかなかったのだ。
「…あんたにも、子供がいるわけ?」
「…。」
「…そうだ…、あんたと一緒に、その子も殺してあげようか?」
恐怖が身体を駆け巡るが、それでも、口は止まらない。
「でも…子供が泣くのって、実は、大嫌いだから…まず、その子から先に…。」
ザッ…。
リディアの足音が、ネシスを凍りつかせた。
「…おしまい?」
あまりにも冷たい、リディアの声。
彼女は、手に力を込め−
ヴュッ!!
レーザーが、リディアのすぐ横をかすめた。
その隙を突き−
ヴァッ!
ネシスが、飛ぶ!
一瞬で、彼女の身体は、フィルター近くまで、上昇した。
「…危険すぎるよ…、あんた…。」
「…。」
「…手段は、もう、選ばない!」
ヴガゴォッ!!
音とともに、フィルターに小さな穴があき−
ズアッ!
そこから、大量に、何かが入ってきた!
それはまるで、小さな虫が、何万匹と集まったような、黒い粒。
「BUG! そいつを、消せ!」
それは、ネシスが使う、コンピュータ・ウイルスの名前だった。
どんなに名の通ったハッカーでも、自分が仮想世界にいるときに、コンピュータ・ウイルスをばらまくことは、まずしない。
下手をすれば、自分も消されてしまうからである。
おまけに、ウイルスは、自我を持っていないため、一度命令を聞けば、それを、自分が消えるまで、実行する。
その場合、命令の変更は、不可能である。
要するに、破壊力は保証できても、操ったりすることは、無理。そのようなことなら、CCを飼いならしたり、CCのデータをもとに、自分用にCCを飼いならしたほうが、よほど使い勝手がいい。
だというのに、ネシスが、ウイルスを放ったということは、どれだけ彼女が追い詰められていたかを、はっきりと物語る。
「CCとは、わけが違うんだ! BUGに、食われてしまえぇっ!!」
リディアに迫る、BUG!
そして−
ギュウッ!
リディアの放った「イレイザー」は、BUGの一部分だけを、消し飛ばす。
それを、無駄なあがきと判断して、ネシスが笑おうとした−
刹那!
ギュオウアアアアアアアッ!!!!
「イレイザー」が、光の洪水となって、BUGを全て飲み込んだ!
「な…!」
ネシスは、まるで自分が、奈落の底に飲み込まれていくように感じた。
「こ…こんな、ことって…!」
リディアがやったのは、間違いない。
彼女が、腕の力を使い、すさまじい速さで、銃を撃ったのも、間違いない。
先ほどの、アサルトライフルのような連射と、同じように。
しかし…これは−
「(…本物の、化け物だ…!)」
ネシスは、何の迷いも無く、逃げることを選んだ。
開いていた穴から、外へ飛び出し、穴をふさぐ。
「…BUGが…ウイルスが、人間に、やられた!? …夢だ…こんなの、悪い夢だ…!」
そういい残して、ネシスは、どこかへと消えていった。
<…リディア。>
「!? ファトル!?」
突然、通信機から聞こえた彼の声に、リディアは思わず、声をあげた。
それが引き金になったかのように、彼女に瞳に、温かさが戻る。
「…今まで、通信機は、使えなかったのに…。」
<さっき、そのドームに、穴があいてな。そこから、回線がつながった。>
「…今、穴、ふさがってるけど…?」
<完全にふさがってはいない。わずかだが、隙間が残ってる。>
「そう…。」
<…ところで、リディア。おまえ、さっきまで、『バースト』になってたろ。>
「…うん。」
『バースト』とは、理性の消失により、力の抑制が不可能になって、さきほどのような、すさまじい能力を発揮することである。
<つくづく、感じたよ。おまえを怒らせてはいけないってな。>
「…。」
<しかし、おまえが『バースト』になるのは、てっきり、セイルが殺されたときくらいだと思ってたがなあ…。>
「…。」
<…で、だ。異存、無いな?>
「ええ。私の力の10%封印、お願い。」
『バースト』を起こすと、罰として、『バースト』の発生を押さえつけるリミッターが強化され、CGとしての能力が、10%低下する。
これで、CCとの戦いが不利になっても、『バースト』を起こされるよりはまし。CG達の所属する企業、ディフック・カンパニーは、そう考えているのである。
ちなみに、リディアは、これで、3回目。
今回で、能力は、30%落ちたことになる。
<ああ、それと、リディア。>
「?」
<そこにいるCGの、本体の位置がわかったぞ。>
「本当!?」
<ああ。それは…>
「どうしたんだ、一体? 人を、外に引っ張り出して…。」
と、アル。
リディアは、酒場で飲んでいたアルを見つけ、外の道に、引っ張り出してきたのである。
「わかったのよ。CCを倒し、ここから出られる方法が。」
「何っ!? 本当か、それは!?」
「ええ。」 リディアは、一呼吸置き、
「…ところであなた、昔、ずいぶんな悪党だったそうね?」
「!? …ああ。…おい、俺は、今…!」
「わかってるわよ。あなたが、今は罪を償っているって。」
「な…なんだ、驚かすなよ。」
「で、聞きたいんだけど…。…その仕事上、危険なこともあったらしいわね?」
「ああ。そのせいで、俺の右目は、つぶれて−」
「アル。その右目に、手を当ててみて。」
「? …ああ。」
アルは、リディアの言葉に従って、右目に手を当て−
そこで、凍りついた。
「…目が…開いている…!?」
近くにあった、ガラスのショーウインドウで、自分の顔を見る。
「…そんな…一体、どうして…。」
アルが、全てを悟ったのは、そのときだった。
「…まさか…、これは…。」
リディアはうなずき、おもむろに、アルの右目の辺りに、爪を立て−
「CCは、ここにいたのよっ!!」
ズアゥッ!!
右目を、一気に、もぎ取った!
それは、地面に落ちた後、形を変えて、大きさ約2cmの、羽蟻になる。
「これが、CCの正体ね。」
「…俺の目に、擬態していたのか…!」
ズギュウッ!
リディアが、CC向けて、銃を撃つ!
しかし、わずかに、CCの動きのほうが、早かった。
ヴン、と羽音を周囲に響かせ、CCは、上空へと舞い上がる。
「逃がさない!」
後を追うリディア。
ヴン!
CCの羽音が、大きくなった−
その時!
ジウ!
わずかな音を立てて、リディアが先ほどいた地面が、消失する!
「プログラムの、完全分解! …原理は、イレイザーと、似たようなものか…!」
CCが移動中であったのが幸いして、狙いがわずかにはずれたが、あの攻撃を、まともに受ければ−
「…どんなものも、消えて、無くなる!」
おそらく、CCの羽音が命令となって、フィルターから、分解エネルギーが、照射されるのだろう。
追跡すること、数分。
フィルターの壁が、リディアの視界に入ってきた。
「…あの壁…。銃で撃っても、壊れなかったけど…。…もしかしたら…!」
リディアが、唐突に、走るのをやめる。
CCも、空中でホバリングを行い、身体の向きを反転させて、リディアを見る。
対峙する、両者。
そして−
ヴン!
羽音が聞こえたと同時に、リディアは、わずかに身体を動かし−
ギュウッ!
銃を撃つ!
ジウ!
分解エネルギーが、リディアをかすめた!
一方、リディアの放った、イレイザーは−
CC…の横を抜け、フィルターを直撃した!
瞬間!
ヴァギイイインッ!!!
フィルターが、派手な音を立てて、割れる!
同時に、空中で、激しく身をよじり、苦しむCC。
「…やっぱり。あのフィルターは、あいつにとって、エネルギーでもあったのね。」
あのCCが、フィルターをどこから作り出したのか。消えたフィルターが、どうしてまた現れたのか。
そのあたりから考え、リディアは、結果を導き出した。そして、それは、的を射たのである。
彼女は、ゆっくりと、銃を構える。
フィルター全てに伝わっていく破壊を背景に、苦しみつづけるCC。それは、まるで、自分の創造した世界を壊され、それにすがりつこうとする、哀れな神のようだった。
「…この世界は、おまえのためにあるわけじゃない…!」
そして、神経を集中させ−
「…消去!」
引き金を、引いた!
ズバアアンッ!
CCは、光に飲み込まれ、…その全てが、消滅した。
完全にフィルターが消えてなくなり、リディアや、中に閉じ込められていた人々は、ようやく、明るい世界に、戻ってきた。
<リディア! やったな!>
「ええ。…にしても、あれから、たった2時間くらいしか、経ってないのよね。」
<ずいぶん長く感じたか?>
「そりゃあ、ね。」
「リディア!」
声のほうを向くと、アルが近づいてきていた。
「恩に着るよ。」
「礼には、及ばないわよ。…で、あなたは、これからどうするの?」
「罪を、償いつづけようと思ってる。」
「…そう。そればっかりは、誰も手助けしてくれないものね。CC退治と違って。」
「確かに。…なあ、また、会えるか? 今は無理かもしれないんだが、いつの日か、改めて、礼を言わせてほしいんだ。」
「…そうね。多分、きっと会えるわ。」
そして、リディアは、アルが差し出した手を、握りしめた。
−しかし。
CGたちの物語は、まだ、終わっていなかった。
どうして、リディアを、セイル達が助けにこなかったのだろうか?
リディアが、一人で戦っていた頃、セイル達は、どうしていたのか?
−実は、彼らも、激しい戦いを、繰り広げていたのである。
<セイル! おい、セイル! リディアが…>
「っさい! 今、話しかけんな!」
言葉を乱暴に吐き捨てて、セイルは、通信機のスイッチを切る。
「(…こんな状態で、CCに気づかれたら…終わりだ!)」
彼としても、無駄に死ぬつもりは無い。生きる望みをかけ、力を振り絞って戦うと、心に決めている。
しかし…彼には、廃人をかばいながら戦う自信は、無い。
今、セイルがいるのは、CCの攻撃でぼろぼろになった、廃ビル。
そして、彼のそばに、抜け殻のごとく、横たわっているのは−
「…う…うう、う…ああ…。」
あの、セティルである。
「…ああ、あう…。…うう…、るふぁーど、るふぁーどぉ…。」
時折、呻き声の中に、自分の乗っていた、巨狼の名を挟み込む。
「…。」
それを見るセイルの目には、何かの思いが湧きあがっていた。
「…馬鹿、野郎が…。…CCを甘く見ているから…。」
彼女が、このような状態になってしまったのは、10分ほど前のこと。
順を追って話すと、まず、2時間前…つまり、リディアがCCの作り出したフィルターに閉じ込められた時と、ほぼ同時。セイルがいた場所に、大量のCCが出現した。
すぐに、フォースや他のCGたちも戦いに加わり、大混戦となった。
戦いつづけること、1時間。そのときに、セティルが、現れたのである。
彼女は、前に現れたときのように、有翼の巨狼、ルファードにまたがって、周辺を飛び回り、CCを次々に倒していった。
「…おい、やめろ! 調子に乗りすぎだっ!」
セイルは、セティルに叫ぶが、彼女の耳には、まったく入らない。
だが、彼の言葉どおり、セティルは、CC達に、近づき過ぎていた。
高ぶっていた感情が、彼女の目を、曇らせていたのである。
そして…それは、起こった。
ガズヴァアン!!
「!?」
セティルが、CCのうちの一匹を倒した瞬間、別のCCの攻撃が、ルファードを、直撃したのである。
「ル…、ルファードっ!」
ルファードは、レーザーに身体を貫かれ、地面へと転落していく。
それに伴い、セティルも、ルファードの背から投げ出され、地面に落下した。
「…くっ、だから、言っただろうが!」
叫び、セイルが、彼女に近づこうと−
した時!
「っわああああああーーーっ!!」
セティルが、突然、絶叫を上げ始めた!
「ぐあああっ、ぎゃああああっ!!」
彼女は、頭を抱え、地面をのたうちまわる。
「お、おい…、どうしたんだよ!?」
セイルの言葉にも、彼女は、ただ、叫び声を上げるだけ。
「どうしたんだよ…、おい!」
「あ…あああ…! ル、ルファード…!」
「…!?」
「ルファード…、どこ、にい、るの…!? ルファー、ド、ォ…!」
「…! おまえ…まさか…!」
セイルは…いや、修一は、今のセティルの状態に、思い当たるものがあった。
佑里が眠っている病院で、見たことがある。
それは、『依存』と呼ばれていた。
患者の体内に異常が起こり、体内の各器官が正常に作動しなくなった場合、体外の、別の何かに、それらの機能を、移し変えるというもの。
要するに、人工心肺が、改良されたものだ。
おそらく、セティルは、ルファードに、自分の正常な思考を、依存させていたのだろう。
「…とにかく、ここには置いとけないな。」
そして、セイルは、彼女を担ぎ上げて、移動し−
今にいたる、というわけである。
「…ばかやろう…ばかやろう…!」
ぼろきれのごとく、床に横たわったセティルに、言葉を繰り返し、投げかけるセイル。
「…だから…だから…、おまえらみたいな奴は…嫌いなんだ…!」
その時、セイルは、自分の中で、感情が爆発するのを、はっきりと感じた。
彼女に近づき、すでに焦点の合っていない、セティルの瞳を見据え、言葉を吐き出す。
「…いいか、言っておくぞ! 少しくらい、聞いとけ! …いいか…、おまえらみたいな…おまえらみたいな奴が…いたからなあっ!!」
涙が、セイルの頬を伝い、セティルにかかる。
「おまえらみたいな…奴がいたから…、…俺の父さんは、死んだんだよ! …おまえらみたいな奴を…かばって、父さんは、CCに殺されたんだ!」
セティルは、何も、反応しない。
「…うう…っ、くそお、くそお…! おまえらが、おまえらが…!」
それは、明らかな八つ当たりだった。
そのことは、セイルも、もちろん分かっている。
しかし、激情が、流れ出る言葉に、歯止めをかけさせない。
「おまえらのせいで…おまえらのせいで…!」
「そのくらいにしておけ。」
腹に響く、強い声が、彼の口を閉ざした。
セイルが、その声のほうを向くと−
「…あんたは…!」
その顔を、セイルは、よく知っていた。
CGの、訓練過程の勉強で。学校の、授業で。何度も、顔を見ていた。
加えて、2mを超える、体格。
CGの生みの親、ラーゲット=ディフックの、長男。
「ヴォルト=ディフック…!」
「俺の事を、知っていたか。」
「耳にたこが出来るほど、あんたのことは聞かされているよ。…会うのは、初めてだけどな。」
「俺も、おまえのことは、色々と聞いている。天才CG、セイル、か。…ただのガキに見えるがな。」
「…そんなことを、言いに来たのかよ…?」
ヴォルトは、その答えを、行動で示した。
彼は、セティルに近づくと、その身体を抱えあげ、そして、セイルに背を向ける。
「…こいつは、俺のところで、治す。」
「…出来るのかよ…?」
「心配されるようなことではない。 …それにしても…おまえは、親父に、よく似ている。」
「!?」
「優しすぎたんだよ…あいつは。」
「…なんで、知っている!?」
CGのプロフィールは、普通、自分から正体を明かさない限り、公開されることは無い。
その管理は、非常に厳しいはずなのだが−
「…仲間だった。あいつの死は、誰も望んでいなかった…。」
「…。」
「…おまえは、あいつの後を、追うんじゃないぞ。」
そう言うと−
ヴィシュン!!
ヴォルトは、セティルとともに、消えた。
「…仲間…? 父さんの…?」
セイルは、少しの間、呆然としていたが−
「…とりあえず…これで、CCと戦うことに、専念できるってわけか…。」
それから、約10分後。
その場にいたCCは、ようやく、根絶された。
ドンッ!!
「全っ然、話と違うじゃない!」
机を叩く音に、ネシスの叫びが重なる。
「CGの<オメガ>が、あんな化け物だって、何で言ってくれなかったのよ!?」
「君が知らなかったとは、思わなかったものでね。」
ギリ…ッ。
歯ぎしりの音が、部屋に響く。
「大体、油断していたのは、君のほうではないか?」
「…。」
「元々は、CGたちを全員、囮のCCの大群とぶつける予定が、わずかに狂って、一人だけ、巻き込んでしまった。…早急に取り除かなかったから…。」
「…認めるわよ…、CGを甘く見ていたこと。」
「…それで、だ。こちらからも、言わせてもらって良いかね? 話が違う、と。」
「…ネット4923・41と、CVTでの、相次ぐ失敗でしょ? …ええ、確かに言ったわ! 私は、請け負った仕事は、必ず成功させるって!」
「結果は?」
「……。」
「私は、自分を、それほど寛大とは、思っていない。ましてや、これほど大きな仕事を、2度も続けて…。」
ガタンッ!!
ネシスは、そこで、勢いよく椅子から立ち上がり、部屋を出て行った。
「…今まで、雇ってもらって、どうも!」
それを、捨て台詞として。
「…実験は、失敗か。あの個体も、処分することにしよう…。」
男の声は、闇に吸い込まれ、消えていった。
時に、西暦にして、2499年。そして、月日にして、10月12日。
ここに来て、ついに、全ての役者が、出揃った。
物語は、一つの呼吸を置いた後、終わりを見据えて、…走り始める。
−To be continued