福富草紙
 京の七条あたりに、オナラの芸によって財を築いた福富織部(ふくとみのおりべ)が住んでいました。その隣りには、あい変わらず貧乏な乏少藤太(ぼくしょうのとうた)が住んでいました。この藤太には、鬼姥(おにうば)という姉さん女房がおりました。
 ある日のこと、鬼姥は織部夫妻の暮らしをねたみ、夫の藤太をけしかけました。
「あなただってオナラの芸くらい習ったらできるはずよ」
 しかたなく藤太は隣りの織部に、自分を弟子にとりオナラの芸を教えくれるよう、頼みました。織部はそんな藤太の様子を可笑しがり、黒い丸薬二粒を、オナラがよくでる薬だと嘘をついて手渡しました。
 藤太はさっそく鬼姥に報告し、はやく芸を披露しようと胸躍らせました。
 藤太は、織部にもらった薬を飲んで、今出川(いまでがわ)の中将殿(ちゅうじょうどの)のお屋敷へと出かけました。途中、お腹がゴロゴロとくだってきましたが、必死でがまん。しかもお屋敷のお庭へ通された藤太は、お腹が痛むというのに、用意されたご馳走を平らげました。そしてとうとう堪えきれなくなり、さっと衣をめくり、力んだとたん、ブビューッと中身をもらしてしまいました。
 中将殿のお屋敷は目も当てられぬ惨状。逃げようとしたところを、中将殿の家来につかまり、さんざんに笞(むち)でたたかれました。
「下手のおならこきめが。なんという失態! 打て打て!」
「酒に黄色い臭いが混じっているようだ」
「あぁ、クサイ! クサイ!」
 額から血を流しながら、藤太はほうほうの体で帰りました。打たれた腰の骨はズキズキ、すりむけた膝頭もヒリヒリ。どこかで休みたかったのですが、臭い匂いのためにできませんでした。
 鬼姥は、大路を帰ってくる藤太を遠目に見つけ、血で真っ赤に染まった姿を、褒美でもらった赤い小袖を着ているのだと勘違い。古い着物を全て燃やしてしまいました。
「ケムイ! ケムイ! 好かれているのか、わたしにばかり煙がなびく」
 帰った藤太は、血と汚物で汚れた衣服を脱ぐと、着替えがありません。裸でブルブルとふるえるほかないのでした。おかげでその晩も明くる日も、下痢がつづき腹痛に苦しみました。鬼姥はそんな夫の藤太を不憫(ふびん)がり、献身的に介抱しました。
「こんなことになったのも福富織部のせいだ!」
 鬼姥は河原に出て、数珠をじゃらじゃらと鳴らしながら、熊野の神に祈りました。
「復讐が叶いますように!」
 日ごと夜ごとに藤太は衰弱しつづけました。今では便所さえ自力で行けず、「おぶ~、おぶ~」とひっきりなしに飲み水をほしがりました。鬼姥は、医師の和気清麿(わけのきよまろ)から薬を処方してもらいました。
 織部といえば、このところ夢見が悪く、占い師から物忌みをするよう助言されていました。しかし慢心した織部は、朝早く社寺参詣に出かけてしまいました。早朝から待ち構えていた鬼姥は、千載一遇の好機を見逃しませんでした。織部を見つけた鬼姥は、すぐさま、ガブリと噛みつき、夫の恨みを晴らしましたとさ。
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