
県立神戸高等学校
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1学期 始業式 式辞
県立神戸高等学校 校長 中野 憲二
今日から新学期、新学年が始まります。3年生は進路目標に向けての大事な一年になります。2年生は本校の中核学年として、部活動や自治会活動をリードしていく大事な学年ということになります。
午後には1年生が入学し、久しぶりに3学年がそろい、活気のある生活が始まります。
あらためて自分の夢や志、目標をもってその実現に向けて頑張ってほしいと思います。
進路指導部から「自己実現」という通信をいただきました。その中に「5年後、10年後に、この道(進路)を選んで良かった、と思えるような志望の設定を」と書かれていました。先生方の思いを受け止めてもらいたいと思います。
今日は、最初ですので1つだけお話をします。
「知識」と「知恵」と「経験」いうことについてです。
皆さんは豊臣秀頼を知っていますか。豊臣秀吉の3男ですが映画やテレビでの描かれ方は様々です。2メートル近い身長、100キログラムを遙かに超える体重で、凡庸な主君という描かれ方の半面、プリンス豊臣として徳川家康を恐れさせたとする描かれ方の両側面があります。史実としては、1615年の大坂夏の陣の際、母淀君とともに大坂城で亡くなった豊臣家最後の人物です。
豊臣秀頼と徳川家康が京都の二条城で会見した話があります。その会見は1611年。大坂冬の陣の3年前です。このとき秀頼は18歳、徳川家康71歳といわれています。
ここからは、史実というより教訓です。
秀頼は、大阪城を出たのが12年ぶりで、このとき、牛を見てずいぶん恐がったそうです。家康の家臣たちは、秀頼は牛も知らない、しかもひどく怖がった、ことなどから、会見後、家康に「秀頼は愚か者だ」「取るに足りぬ」と馬鹿にした態度をとったそうです。
ところが、家康は、「牛を怖がったのは牛を知らなかっただけだ。自分も牛を初めてみたら怖がるだろう。」「『知らないこと』と『知恵』は違う。」と家臣をたしなめたということです。結果、会見時の秀頼の態度からその賢さを見抜き、秀頼が成長すると徳川家の脅威になるとして、大阪の冬の陣、夏の陣で豊臣氏を滅ぼしたという構成のお話です。
秀頼が家康と会見した時の年齢は、皆さんとほぼ同じです。神戸高校の皆さんは、能力・ポテンシャルは極めて高いです。ただ、学ばなければいけないこと、身につけなければならない知識はまだまだ、たくさんあります。高校時代だけでなく大学でも、社会人になってもそうです。能力はあっても「知識」がなくてはその能力は発揮できません。
豊臣秀頼は、結局その能力を発揮する前に、経験豊富な家康に滅ぼされたともいえます。
私たち教員も、皆さんがこれから伸びて私たちを超えていく存在であるとの認識で教育活動に当たっていくべきと考えています。
皆さんが日常の勉学、部活動に取り組まれる際、少しでも心にとめ、参考にしてもらえたらと思います。
2017.4公開