この甲冑は、草摺(くさずり)が4間、脇楯(わいだて)がつくなど大鎧の特徴を備えたものですが、制作年代は19世紀になります。18世紀の末以降、古物研究の深化とともに、古式を模した甲冑が好んで注文・制作された時期があり、この甲冑もそうした時流の中で生み出された「復古調」と呼ばれる作品の一つです。この甲冑の場合、小札(こざね)を綴る威毛(おどしげ)の色が卯の花色(=白色)で、形式が大鎧なので、「卯の花威大鎧」という名称になります。
またこの甲冑は、兜の鉢のみは鎌倉時代の古物を転用しています。兜は星兜で、鉢の鉄板が合わせて16枚で構成されているので、「十六間星兜」という名称になります。
この甲冑は播磨国明石(兵庫県)藩主の松平家に伝来したと伝えられています。兜の左右の吹返(ふきかえし)には、飾り金物の上に徳川一門を示す三つ葉葵紋が据えられています。兜の天辺(てへん)には大型の獅子形香炉がつけられており、臑当(すねあて)も実際に着用できるものではないなど、実用品ではなく装飾品であることが明らかですが、形式としては大鎧を模して作られています。
この甲冑は装飾の豪華さがみどころです。草摺や大袖、兜の(しころ)の裾金物、大袖の冠板(かんむりのいた)、鳩尾(きゅうび)の板や栴檀(せんだん)の板など、各所に牡丹文様を精緻に高彫りした飾り金物がふんだんに施され、威毛の白色によく映えています。大名道具として鑑賞するにふさわしい甲冑といえるでしょう。