ふ だ し き | タイフーン | |
札×式 | 嵐 | 道中記 その3 前編 |
「コラーーーー!!!!」
ぴかぴかに晴れわたった空の下、ミコトのよく通る怒声が大気を震わせた。
驚いて飛び立つ鳥達を背に、彼女は道ばたに座りこんでいるサオを見下ろす。
サオは何故怒鳴られたのかわからずに、首をかしげてミコトを見上げた。
「あんたには協調性っちゅーもんがナイのっ!?」
太雄の家を出てから3日目。
読者ももう忘れているだろう「高価な札」もちゃっかり太雄からせしめ、ミコトは村をあとにした。
それからの3日間というもの、サオはあっちでちょろちょろ、こっちでちょろちょろ。
「あのね、サオ」
彼女はサオの肩に手をおいて、云いきかせるように言葉を選ぶ。
「目覚めたばっかでめずらしいものいっぱいなのはわかるわよ?でもね」
拳をにぎり、肩においた手に力を込めるミコト。
「迷子になったその先でいちいち物壊さないでくれるかなぁ?」
サオは視線を足元にむける。そこには無残な姿のお地蔵様が。
ミヤがミコトの後ろで「バチあたりな・・・」とつぶやいている。
「ちょっと触っただけだよ」
大きな体を小さく丸めて、彼は云う。声は悲しそうにくぐもって聞こえた。
ミコトはため息をひとつついて、やれやれと頭をかく。
「あんたまだちゃんと力の加減ができないのよ。こーゆーことはあんまりないんだけど・・・」
どうしよう、とミコトは考える。何しろこんなことは初めてなので、どう対処していいかわからない。
「小さくなれば良いではないか」
天の助け舟、ミヤの一声。ミコトは「え?」とふり返る。
「小さくなればその分、力は減るのじゃ。ただし、腕力だけでなく、術力もじゃがの。
“気”も半減されるから、敵からはねらわれにくいが、いざというとき発動させるのに時間がかかるのじゃ。
それでも良ければ小さくなるがよいぞ」
ほほほ、と上品に笑うミヤを見ながらミコトは「そーだったんだ・・・」と新しい知識に感動さえおぼえたり
していたが、ここに太雄がいれば「知っとけ!!」とツッ込みが入ることは必至だと思われる。
「基本事項じゃよ、ミコト」
「うっ」
・・・太雄がいなくても良かったようだ。
「とにかく!!小っちゃくなればいいのよね」
「そうじゃ」
「じゃ、サオ、さっそくなって」
「小っちゃく?」
「そうよ」
「わかった」
サオはすっくと立ち上がると目を閉じ、術力を発動――・・・。
と、サオの姿が消えた。
「あ、あれ・・・?」
ミコトはあたりを見回すが彼の姿はどこにも見えない。
「まさか・・・」
彼女ははっとすると、おそるおそる足元を見おろしてみる。
サオは、そこにいた。豆つぶほどの大きさになって。
「小さすぎだっつーの!!」
一応ツッこんでみるものの、あまりにもお約束な展開に、ミコトはぐったりとうなだれた。
「サオ・・・それじゃ不便だから、ミヤぐらいのサイズで・・・お願いします」
慣れない敬語まで使いはじめたミコトに、サオはふんふんとうなずくと再び術を使う。
「・・・今度はうまくいったみた・・・・・」
ミヤと色ちがいの服装に同じくらいの身長。それに犬耳、犬しっぽ。
「い・・・・・?」
サオにはたれた犬耳が2つとふさふさのしっぽがついていた。
「・・・なんでそんなオプションついてんの?」
お買得セールじゃあるまいし、そんなものついてても邪魔になるだけでは?とミコトが指し示すと、サオは自分の頭と
尻をさわってみて顔を輝かせた。
「えーっ何コレ何コレ!!耳としっぽだぁ!!コトコトッオレに耳としっぽ生えてる!!」
きゃあきゃあはしゃいで喜ぶサオを見るところによると、本人も何故生えているのかわからないらしいということがわかった。
しかもかざりではなく、耳もしっぽも動かせるようだ。
害はないらしく、本人は平気そうだが・・・・・。
(一体何のために?)
つまるところ、作者の趣味であろうか、はたまたAYAの――・・・。
ゲフゲフ。
どこからか咳をするような音が聞こえたような気がした。
さておき、ミコトは先を急ぐことにする。
サオの耳としっぽは「かわいいので良し!!」というミコトの声で話題からはずれ、原因は謎のままとなった。ビジュアル的に
良ければ何でも良いものである。
日はまだ真上に来ていなかったが、彼女らは腹がへっていた。サオはかなり元気に動き回っているだけあって、よく食べる。彼の
生活は、食う・寝る・遊ぶで構成されているのだ。式神は食べなくても死なない体をもっているが、エネルギーを得るために食事は
必要不可欠である。食料に余裕のあるときは共に食事をとるのが普通だ。
ところが、サオは加減を知らなかった。動いたら、動いた分だけ摂取するので、5日分の食料はまたたく間になくなったのである。
今日は朝から何も食べていない。近くに町があると知ってこうして急いでいるのだが、正午までには到着したいところだ。
「お昼までには着きたいところなんだけど」
ミコトはうなる。
「行けども行けども町なんて影も形もないじゃないのよ!!」
すでにサオがミニになってから3時間はたとうとしている。
「どーなってんの・・・?」
彼女が空をあおごうと視線を上げると、その途中に人影がちらりとのぞいた。
あわててもどす目線の先には、何だかよくわからない衣装に身をつつんだ糸目の男が立っていた。
「こんにちは、お嬢さん。お困りですか?」
いかにも優男風のその男はにっこりと笑ってミコトに声をかける。
ミコトはとっさに身構えた。ミヤもムッと眉をひそめている。
何だかめちゃめちゃ怪しい感じがしたからだ。
(新手のナンパ?それとも宗教勧誘かしら)
彼女は相手をじっとにらんでみるが、男はひるんだ様子もなく云ってのけた。
「近いはずの町にいつまでたってもたどり着けず、困っている。そうでしょう?」
「!!・・・どうして・・・」
「まあまあ、僕がその謎を解いてあげますよ。背中を見せて下さい」
にこにこしながら近づいてくる男を警戒して、ミコトは一歩、あとずさった。こんな怪しいを通りこしてもはや妖しい男となりさがった
奴に背をむけるなどもっての他だ。
(何されるか、わかったもんじゃないわ・・・!!)
「おやおや」
彼はため息をついて、殺気むき出しのミコトを見、困ったように苦笑して、
「しかたないですねぇ」
と云った。
そして、ミコトがまばたきをして目を開けると、彼はいなくなっていたのだ。
「え?」
目を見開くミコトのすぐうしろで、ストン、という軽い音がした。
「ああ、やっぱりあった」
それからのんびりとした声。
「んなっ・・・!!!」
ミコトが勢いよくふり返ると、男はもうすでに3mほど離れたところに立っていた。
「消えたように見えました?」
開いているのかさえ疑わしい目をさらに細めて彼は云う。
「僕はそんなことできませんよ。さっきのは飛んだんです」
「とぶ?」
いぶかしげに眉をよせるミコトに男はうなずいた。
「そう、ジャンプしたんですよ」
「・・・・・まさか」
彼の“気”はたしかに人間のものだ。人間にそんな跳躍力があってたまるものか、と彼女はその可能性を否定した。
すると男は“お手上げ”のポーズをとり、「まぁいいですけど」と苦笑して一枚の札をかかげてみせた。
「・・・・・何よ、ソレ」
ミコトが無愛想に訊き返すと、彼は札に書いてある文字を読み上げる。
「“この者が開ける道は闇なり・迷”とかいてありますねぇ」
「?そんな札、聞いたことない・・・」
「どうやら、オリジナルのようですよ。あなたのまわりにそれほどの実力者の心あたりは?」
「そんなコトきいてどうすんの」
警戒はしているものの、だいぶものごしがやわらかくなったミコトに、男は笑いかける。
「あなたの背中についていたんですよ、コレ」
ミコト、しばし呆然。
やがてがっくりとひざをつくと、地を拳でたたいた。
「・・・・・っ不覚っ・・・・・!!」
本気でくやしがっているミコトを見ながら、男は(大げさなリアクションだなぁ)と思いつつ、
「心あたりありそうですね」
のほほんとたずねた。
「あるもないも、こんなコトすんの・・・」
ミコトはもはや怒りでワナワナとふるえている。
「太雄のバカ師匠ぐらいよっ!!!!」
出発する前に『がんばれよ』と背中をたたかれたから、多分その時につけられたのだろう。
嫌に機嫌が良かったので何かあるとは思ったが、まさかこんな手の込んだイタズラをしかけていたとは・・・。
いや、いやいやいやそれよりもっっ!!!
「あたしがこんなアホらしいものに気づかないなんて!!!」
どうやら“気がつかないように”術がかけてあったようだ。いつまでたっても町にたどり着けないわけだ。
ムカツク〜!!と頭をかきむしってから、ハタ、と気がついた。
「そういえばあんた・・・、何者?」
太雄の札に気づいたり、はがしたり。これは太雄と同等、もしくはそれ以上の力の持ち主でないとできるものではない。
それに、飛んだ。
本当かどうかわからないが、一瞬で背後に移動したのだ。
(こいつは・・・かなりの実力者?)
彼は相変わらず笑っていた。質問に答える気はないらしい。
何も言わずたたずんでいる彼に、ミコトは回れ右をして背をむけた。
そしてスタスタと歩き出す。
ミコトの突然の行動に、ぽかんと彼女を見上げていたサオとミヤもあわてて後をおいかける。
「ミコト?どうしたんじゃいきなり」
「気味が悪いわ・・・」
ミコトは顔を険しくする。
「人間なのに・・・あんな――」
そこまで云った時、彼女の頬をかすかな風がなでた。
耳のすぐそば。彼の、落ちついた静かな。
「・・・運命が・・・あなたを導いてくれますように・・・」
ささやき。
「・・・・・ッ!!」
ミコトは、自分の反射神経と運動神経のすべてをもってして、後ろをふり返った。
(・・・いない・・・)
彼女の肌をもう一度、ふわりとした風がかすめる。
耳ざわりのいい彼の笑いを含んだ声が、頭の中にひびいて、じん、と痛みが走った。
今は誰もいない、さっきまで彼のいた場所をにらんでから、背をむける。
(何なのよ・・・何がしたかったの?あいつ。札がほしかっただけなんじゃ・・・)
はっ。
「ああっ!!あいつ、師匠の札、もってっちゃったじゃん!!」
彼女は頭をかかえた。悪用しないのならば何ら問題ないけれど、もしもということがある。オリジナルの札は作った本人のみ
使用可能だが、あいつならもしかしたら使えてしまうやも・・・。
「あ゛ーっ!!考えてもキリがないわっ!!だいたいあんな札なんか作るあのオヤジが悪いのよ!!」
あたし知ーらないと云って再び歩を進めるミコトについて行きながら、ミヤは嫌な予感をぬぐい去れないでいた。
(あの者・・・・・、何かある・・・)
ふと隣を見やれば、何やらサオも難しい顔をしている。
「どうした?」
そういえばさっきから静かだったなと声をかけると、不安そうな緑の瞳でみつめられ、ミヤはうっと言葉につまった。
「は・・・腹でも痛いのか・・・?」
サオはふるふると首をふる。そして口を開いた。
「あいつ・・オレどっかで見たことあるような気がする・・・」
「何?」
「でも、思い出しちゃいけないんだ。すごく怖いことがおこる・・・!」
あの男を見たときの感情・・・。恐怖と、なつかしさと安堵がまざりあったような、よくわからない気持ちになった。
ずっと目がはなせなくて、でも、声を出すことさえできなかった。
「・・・サオ・・・・・?」
黙りこくってじっと自分の小さな手をみつめる彼に、ミヤはいぶかしげに呼びかける。
「ミヤ〜、オレどうしよう〜」
「えっ?」
再度こちらに向けられた瞳は涙でうるうるとぬれていた。
ミヤはやっぱ声かけるんじゃなかったと後悔しながらとりあえず「何が」と訊き返す。
「何かヘンなかんじだよー・・・。あいつのコト思い出そうとすると胸がもやもやしてキモチわるいんだけど・・・ぎゅーって
なって苦しい・・・・・」
(何だ、それは)
胸がもやもやしてキモチ悪いけどぎゅーってなって苦しい・・・・・。
(ん?)
何だかどこかでよく聞くフレーズ・・・。
(たしか、マイが昔よく云っていたかの・・・?)
『あのねっ、胸がもやもやしてぎゅーってなるのはぁ、恋をしている証拠なのよ』
―――――――――――・・・・・・。
「恋!!!?」
うしろを歩いているはずのミヤが驚いたように声をあげるのを聞いて、ミコトはふりむいた。
「何?どうしたの?」
顔面蒼白になってショックをうけているミヤと、それを「?」とながめるサオと。
「ミヤ、“コイ”って何だ?」
たずねるサオにミヤは、
「いや・・・何でも・・・」
とひどく曖昧に答えた。彼女は混乱する頭を整理しようと必死だ。
(まさかとは思うが・・・いや、マイの云うことはあんまりアテにならんしのう・・・しかし、万が一ということもあって・・・
サオのあの表情はのう・・・・。・・・どうしたものか・・・)
何だか本人も知らない他人の秘密を自分一人知ってしまったような境遇に立たされ、考えこんでいたミヤはミコトの「もうすぐ
着くわよ」という声に我に返った。
町の中に入ると、何やらザワザワとさわがしかった。
「?何かあったのかしら・・・」
奥の方では言い争うような声まできこえている。自然とそっちに足がむくミコトにミヤが、
「ミコト、昼飯を食べるんではなかったのか。今食べておかないと後にひびくぞ」
と、店を指さす。昼飯というには遅すぎる時間帯だが、何しろ朝からな何も食べていないのだ。彼女の言い分はもっともである。
しかし、ミコトの野次馬根性にはすでに火がついてしまっていた。
「だってー気になるしー」
「どうせ、めんどうなことにまきこまれるのがオチじゃ。ここはおとなしく・・・・・」
そう云ってミコトを見やると、彼女はすでにそこにはいなかった。
ミヤの頭に怒りマークが大きく表示されたのは、言うまでもない。
「ちょっとすいませーん」
自分も野次馬の1人になるべく、野次馬の人々をかきわけ、前へすすもうとするミコト。
しかし、なかなか野次馬の壁は厚いようだ。
(ぬぅ〜この先で何がおこってるのー?気になるー)
相変わらず、言い争うような罵声が飛びかっているのが聞こえるだけで、何も見えはしない。しかし、大声をあげて罵っているのは
1人だけのようだ。どうやら一方的にせめたてているらしい。
耳からの情報はそれが限界だったので、しかたなく隣の男にたずねてみた。
「何かあったんですか?」
「あぁ、何でもこの町で嫌われ者で有名な奴がお偉いさんにぶつかったんだとよ」
男の口にはニヤニヤ笑いがうかんでいる。おもしろがっている風の彼にミコトは眉をよせた。
「オレもここに住んでいるわけじゃねェからな。くわしいことはどうも・・・ね」
「そうですか・・・ありがとうございます」
とりあえずお礼を云って再び前進しようとしたとき、周りの人々のざわめきが大きくなり、逃げ出すように人ごみから離れる者が出てきた。
(?何・・・)
人が少なくなったからか、ざっと前がひらけて、ミコトはざわめきの原因を知ることができた。
中心ではいかにも剛腕そうな男が、小柄な少年の胸ぐらをつかみ、高々と持ち上げている。少年の顔は、頭ごとフードのようなもので
かくされ、ミコトからは見えなかった。
そして、少年の首には、つきつけられた長刀。
白いフードに血がにじんでいるのが、遠目でも見ることができた。
「オイ・・・!!いいかげんに何か云ったらどうなんだ!黙りこくりやがって・・・貴様何をしたのかわかっているのか!?アァ!?」
すごむ男から目をそらしているらしい少年は、そう云われても沈黙を守っている。
イラついた男が刀にぐっと力を込めたとき、
「もうよい。やめよ」
制止に入ったのはきらびやかな衣装を着た男。
「しかし・・・お屋方様・・・」
「やめよと云っている。こんな所ではぐれ者1人殺したところで何になる。つまらん。わしは早うあのお方の下に行かねばならんのだ。
時は金なりという言葉を知らんのか」
「承知・・・」
男は舌打ちして乱暴に少年を投げ下ろすと刀をおさめた。
「命びろいしたなガキ。まぁ大方恐怖で声も出なかったんだろうが、今度会った時は・・・その生意気なツラ切り刻んでやる」
自慢なのだろう迫力のある低音でそう云って男は身をひるがえす。
彼は知らない。
地面に座りこんで立ちあがろうとしない少年が、その桜色の唇に薄く弧を描いたことを。
「あの・・・大丈夫?」
いざこざがおさまって、少年が立ち上がっても、彼にかけよったりする者は1人もいなかった。それは彼が人々にどういう風に思われている
のかを物語っていて、ミコトは声をかけずにはいられなかったのだ。
一方。
「いっっったぁーいっ!!乱暴にしないでよっ!!もぉっ何なのよ一体!!」
捕らわれのお姫さまをと化したマイは、自分をさらったと思われる男に抗議の声をあげた。
「黙れ。こうるさい娘だな」
「なんですっ・・・もがっ!」
「黙れと云っている。ここからはリアン様の領地だ。めったな事を云うと、たとえお前でも殺されちまうぜ」
口を手でおおわれ、言葉も発することも封じられても、マイはまだもごもごと何か文句を云っていた。
マイが今どこに居るかというと、空の上だ。と、云っても、大空を悠々と飛ぶ大鷹の背の上に乗っているのだが。
(この鳥・・・何食べてこんなに大きくなったのかしら・・・)
と思うほど、この鳥はでかかった。人2人を乗せて平気で飛んでいるのだから、まああたり前といえばあたり前である。
鷹は一度大きく羽ばたくと、ゆっくり降下してゆく。
どうやら目的地についたようだ。
きれいに着地した鷹からおろされたかと思うと、いきなり後ろ手にしばられた。
何故さらわれたのか理由も聞かされていないマイは、混乱するばかりだ。
(もしかしてあたし・・・ここで死んじゃうのかな・・・)
ふいにそんな考えが頭をうかぶ。町ではぐれたホムラのことを思い出して、マイは泣きそうな気持ちになった。
鷹使いの男が、大きな門を押しあけ、マイは連れられるがままに屋敷の中へ足をふみ入れた。
何だかどこもかしこもきらびやかで、和風と洋風がまざりあったような、良く言えば豪華、悪く言えば悪趣味といった内装だ。
それにどこか・・・、人を不安におちつかせなくさせる、嫌な空気がただよっていた。
マイを連れる男が、ひときわ大きな扉の前で止まる。そして、本当にむこうがわに聞こえているのか疑わしいほどのささやかな
ノックをし、「失礼します」と云ってドアノブに手をかけ、扉をあけた。
部屋の中は真っ暗だった。その上、どこかに違和感を感じる。
入口からのびた廊下の光だけを唯一の光源に、マイは闇に目をこらした。
「リアン様、おられますか、リアン様」
男が闇に向かって呼びかける。
「んだよう、うっせーなぁ」
応えたのは、かすれた不機嫌そうな声だった。闇の一部がもぞり、と動いたのが見て取れ、マイは小さな悲鳴を上げる。
「これは・・・申し訳ありません、おやすみ中でしたか?」
「別に眠っちゃいなかったがよ。おやすみ中でしたな。あんだよ、用件は」
姿は闇にまぎれてまったく見えないが、声からして男であろう人物はねむそうなあくびをする気配を見せた。
「は・・・失礼ですが、リアン様は・・・」
「あ?なんだ姉貴に用事かよ。・・・ったくめんどくせぇなぁ・・・おーい姉貴ーあんたの犬が呼んでるぜー?」
姉を呼ぶ間のびした言葉のあと、しばしの沈黙がおとずれた。
マイは足下に視線を落とし、口をひきむすぶ。言葉がかわされなくなったとたん、どっと恐怖がおしよせて、いてもたってもいられなくなった。
目の前に広がる闇が、これからの自分を暗示しているようで、見ることができない。
(怖い・・・・・あたし、どうなるの・・・?)
「あーだめだ。寝てるみてェ」
男の言葉に鷹使いは「そうですか・・・」と残念そうに肩を落とした。
自分の寿命がとりあえず少しは延びたらしいことを察してマイは胸をなでおろす。
が。
「お?何だその娘」
安心したのもつかの間、男に自分の存在を気づかされてしまった。マイはギクッ、と身を固くこわばらせ、見えなくても感じる、男の
なめるような視線にたえた。
「ふーん、純情そうでカワイイねぇ。・・・もしかしてアレか?姉貴がさがしてた・・・ホレ、例の・・・」
「ご存知でしたか」
「そら、まぁね。姉貴もやり方乱暴だな、しかし。さらって来たんだろ?最悪じゃん」
鷹使いは目をしばたたく。
「・・・そうでしょうか?」
「あったり前ー。オレらのイメェジ悪くなっちゃうデショ」
「・・・イメージ?」
「そう」
男は断言するが、困惑気味の鷹使いにはよく意味がわからなかった。
何故なら「イメージ」という言葉の意味は知っていても、それを良くする必要など彼らにはないのだから。
「・・・では、リアン様が目覚められたら、娘を連れてまいりましたとお伝え下さい」
うやうやしく礼をして出ていこうとする鷹使いに、男は制止の声をかけた。呼び止められた彼は「まだ何か?」と部屋の中に向き直る。
「まぁまぁ、もうちょっとじっくりその娘の顔をおがませてくれよ」
云って、男が闇の中から姿を表した。
その登場のしかたに、マイは全身に鳥肌が立つのを自覚する。
・・・まるで、溶け出してきたかのようだった。
黒い水の上にぽっかりうかびあがる死体のように、彼は闇から抜け出した。
この闇は何?この男はどこにいた?
あんなに声が近かったのに気づかなかった。
廊下からの光は四角く切りとられ、部屋の床しかてらしていない。
違和感の正体はこれだったのだろう。
この目の前の真っ暗な空間は、妖術によって作られたものだったのだ。
そしてこの男、その闇と同化していた。
(・・・コイツ・・・!!妖怪・・・!!)
噛みしめた奥歯がギシリ、と鳴った。
男は長くのばした黒髪をかきあげて、喉の奥で笑う。
「そんなおびえた顔すんなよ」
そしていきなりマイに顔を近づけて。
「殺したくなるじゃねェか・・・」
静かな、とても静かな低音。
ベットで女に愛をささやくかのごとく、彼は云った。
マイは声もなく、床にぺたりと座り込む。
本当に、本当に殺されると思った。彼の放った一瞬の殺気だけで、ああ、もう死んだ、と思った。
でも生きている。いや、生かされているのか。
彼のような大物の妖怪にとって、人間などちっぽけだ。塵1つの価値もない。
(・・・・・遊ばれてる・・・。こんなの・・生きてても死んでるのと同じだわ・・・!!)
体の震えが止まらない。精神状態をまともに保っていることが精一杯だった。
彼はマイから少し離れて、たばこに火をつける。
「マジで殺したりしねェよ。オレが姉貴に消されちまう」
煙をはき出して、男は不敵に笑う。
「やっと手に入れた如月家の人間だからな」
(え?)
マイは耳を疑った。先ほどの恐怖などすべてふっ飛んでしまうほどに。
「今・・・何て?」
「ん?」
「如月って・・・」
「お前のコトだろ?」
「・・・・・・・・・・え?」
「・・・・・・・・・・おい、まさか・・・・・」
マイの明らかな表情を見て、男は冷や汗を流す。
「ひ、人違い・・・・・とか?」
彼の言葉を聞き、マイはうつろな微笑みを向けた。
「人違いです」
合掌。
中編に続く