ふ だ し き   タイフーン
札×式  嵐  道中記 その2


 本日は晴天なり。
 風は心地良く、日差しも柔らかく、清涼で温和だ。
「ねー、コトー」
 鳥のさえずりと、ざわめく木々の音以外、何も聞こえてはこない。
「コートー。コトーコトコトコトコトー」
 何も・・・・・。
「コトってば。ねーねーコトコトコトコトコ」
「うぅるっっっさいわね!!!」
 彼女は閉じていた目をカッと開かせると、声の主へつかみかかった。
「コトコトコトコト、あたしは沸騰中のミソ汁かっての!!」
 胸ぐらをつかみ上げ、前後にそれをゆさぶりながら彼女は怒鳴る。
 ちなみにミソ汁はあまり沸騰させないほうが好ましいのだが、彼女にはそんなことはどうでもいいらしい。
「あたしのこと“コト”って呼ぶのは別にかまわないけど、あんまり連呼するようなら“ミコト”って呼ばせるわよ!?」
 無理やりにでもね!!と彼女、如月ミコト(16)は人指し指を男の額につきたてた。
 男はがっくん、と首を後ろへ折る。
 が、そのまま動かない。どうやら目を回しているらしい。
(ちょっと強くやりすぎたかしら・・・)
 彼の胸ぐらをつかんだまま、ミコトはムゥ・・・と顔をゆがませた。
(でもこんなもんで目ェ回すなんて、なっさけないわね)
 めずらしく反省したかと思いきや、さっさと責任を転嫁させ、彼女は鼻でため息をつく。
 せっかく考え事をしていたのに邪魔されてしまった。
 楽天的な彼女を思考の淵に沈めたのは他でもない、目の前でのびている男、サオが原因だった。


 サオは人間ではない。式神である。
 もっと詳しく言えば、つい半日ほど前に手に入れたミコトの式神、である。
「どうゆうこと?」
 サオとの契約が終了してすぐ、ミコトは太雄につめよった。
「何が」
「とぼけないでよ。何で他人が実体化させた式神があたしのものになっちゃうのよ!!」
「いいことじゃねェか」
「良かないわよ!」
 こんなこと前代未聞だわ!!と彼女はわめく。
 絶対に暴走する、と思っていたわけではない。もしかしたら、と考えたからだ。
 だから名付けと契約を行った。
 そしたら本当に自分の物になってしまった。
 暴走もしない。いたって正常だ。
 この事実を否定したいわけでもないのだが、彼女は理由を問いつめざるをえなかった。
 あるはずがない。
 あってはならない。
(こんなの、こんなこと、まるで―――)
「お前の親父だよ」
 ミコトはビクリ、と体を震わせた。
「な、何・・・」
 声も掠れている。
 そうかもしれないと思った。
 そんなことが出来るのは彼しかいないと。
 太雄の言葉はミコトの考えを確信へと導く。
「あいつしかいねェよ、こんな非常識なコトできんのはな。あいつは不可能を可能に変えちまう。それほどの力を持っているんだ」
 太雄は煙草に火をつけた。ちらりとミコトをうかがうと、彼女は落ちつきなくまばたきをくり返している。彼は1つ息をつくと、紫煙をくゆらせながら言った。
「恐ろしい奴だよ、お前の親父は」
 その言葉は、ミコトの耳にこびりつき、長く離れることはなかった。


「で、これがその恐ろしい親父があたしのために作った式神・・・ねェ・・・」
 彼女はうなる。
 ナルト目になっているサオを観察しても、別段変わったところは見られないからだ。
 ミコトはサオの着物の襟から手を離すと、屋敷の縁側から空を見上げた。
 確かに恐ろしい男だった、と彼女は思う。
 何故なら、ミコトは彼の札師としての強さを目のあたりにしたことがあるからだ。
 幼かったミコトの目に飛び込んで来たのは、朱。
 彼は全身を真っ赤に染めて、ミコトに背をむけていた。
 たたずむ彼の目の前には、大きな、とてつもなく大きな、「何か」が横たわっていた。  「それ」は、小さなミコトに襲いかかろうとした物ではなかっただろうか。
 一瞬にしてはじけ飛んだ「それ」の前に、彼は立っていた。
 返り血を、いたる所からしたたらせて、彼は立っていた。
 ミコトは声も出せず、ただただ、それを見つめた。
 禍々しく、美しく、そして恐ろしい光景だった。
 彼女はその時の情景を思い出し、軽く身震いする。
 ミコトを襲った「それ」が国の精鋭部隊も匙を投げた、凶悪な妖怪だったと知ったのは、しばらくしてからのことだった。
 一躍有名になりかけた彼だったが、そのころにはもう、彼の姿は消えていた。
 ミコトは今や消息不明となった彼に、想いを馳せる。
(今・・・生きているのかしら・・・)
「父さん・・・・・」
 声に出してつぶやいてみて、ひどくなつかしく感じた。
 何年ぶりだろう、その言葉は、ミコトの父を表す唯一の名称である。
 彼女は、彼の名前を知らないのだ。
 誰も教えてはくれなかった。そのうちミコトも訊かなくなった。
 知ってはいけないような気さえ、した。
「あ――――っ!!!もう!!!」
 突然発せられた彼女の大声に、隣でのびていたサオがガバッと身をおこす。首をせわしなく動かして辺りを見回し、ミコトをとらえてサオはきょとんとした。
「暗い・・・・・暗いわ。まだ2話目だってゆーのにしょっぱなからこんなダークでいいの!?いいえ!!良くないわ!!(反語)」
 わなわなと震え、わけのわからないことで嘆きつつ、ミコトは勢い良く立ち上がる。
 その表情にさっきまでの憂いなどカケラも残ってはいなかった。
「こんなときは!!」
 彼女は意気込む。背後ではミコトを真似てガッツポーズを作るサオが「こんなときは!?」とくり返し、ミコトはミコトで、
「Let′sナンパよ――――っ!!」
と拳をふり上げていた。
 しかし。
「待て」
 今まさに屋敷を飛び出さんばかりのミコトとサオに、どこからあらわれたのか、見かねたミヤが制止をかけた。
 ミコトはムッと唇をつき出すと、
「もぉー何よおー」
と遠慮なくブーイングする。
 ミヤはそれをサラリと流すと冷静な声で言った。
「今日はマイの所にあいさつに行くと、きのう清一郎に言っていたのは誰じゃったかのぉ」
「あ、そういえばそうだった」
 ミコトはハッとするとそそくさと準備をはじめる。
「なーんか色んなことが一度にあってスッカリ忘れてたワー」
 なんて、いいわけがましい言葉を付け加えながら。


 隣の清一郎の屋敷をたずねると、出むかえてくれたのは屋敷の主人だった。
「いらっしゃい、ミコトちゃん」
 清一郎はいつ見ても変わらぬ笑顔をミコトに向けて、屋敷の中へと彼女を促す。
 ミコトは「あいさつに来ただけですから」と柔らかくそれを遠慮し、手土産を差し出した。
 そのときになって初めて、清一郎の頬に絆創膏がはられていることに気づく。
「どうしたんですか?それ」
 ミコトが指で差し示しながら問うと、彼は「いやあ、ハハハ」と照れ臭そうに頭をかいた。
「実は昨日の夜、マイとケンカしてしまって・・・・・」
「え、マイとですか?めずらしいですね」
 思ったままを口にするミコトに、清一郎は腕ぐみをしてうなる。
「何だか機嫌が悪かったみたいで。帰って来たとたん、『パパのバカー!!』だったからなぁ」
「嫌なことでもあったんですかね」
「うーん。『毎日毎日ママが忙しいからって隣のオジサンのとこ行っちゃうなんてサイテー!!』とか『そんなんだからママも帰ってこないのよ』  とか『ミコトのところはライバルだって言うのに仲良すぎよ』とか今サラなこと色々言われたけど・・・」
「八つあたりじゃないですか?」
 心配ないですよとミコトが声をあげて笑うと、清一郎もそうだねと笑った。
 笑いながら、(八つあたりなんかでケガさせられちゃたまんないよなぁ)と2人は思った。
 もしかしたら一番お互いを理解しあえるかもしれない人物を目前に、2人はしばらく笑い合う。
 そんな光景を、ミヤは一歩ひいて、サオはめずらしそうに、見守っていた。


 それからしばらくして、ミコト達一行は散歩がてらその辺をぶらぶらしていた。
 本当はマイに会うつもりだったのだが、あいにくと彼女は不在だったのだ。
「あーあ、つまんなーい」
 ミコトは一言不平をもらすと、足下の小石を思い切りけり上げた。
 小石は予想以上に飛距離をのばし、道の脇の林へと落下する。
 と。
「ぎゃっ!?」
 何とも間ぬけな声がした。どうやら林の中に誰かいたらしい。
 ミコトのけった石の落下地点にいたと思われる人物は、ミコトがすたこらと逃げ出すよりも速く、林の中から姿を現した。
「何奴!?」
 頭に古典的なたんこぶを作って現れたのは。
「あ―――っ!!!ホムラ!!」
 ミコトは出現した男に向かって大声をあげた。もちろん人指し指をつきつけて。
 ホムラと呼ばれた男はミコトほど驚きもしなかったが、その表情は思いきり「嫌」と言っている。
「貴様・・・、如月ミコト・・・」
「なぁによ、1年ぶりに会ったって言うのにその顔は」
「は、貴様こそあいさつも抜きで石をぶつけるとは、救いようのない卑怯者だな」
「何ですって・・・?あんなの不可抗力に決まってるじゃない。バッカじゃないの」
「何だと?」
「何よ」
 ゴゴゴゴゴ。
 バックにそんな効果音を引き連れて、2人は「やんのか、コラ」なオーラをさっそくかもし出していた。
 そこへサオがとたとたとやってきて、雰囲気を全然察していないらしく、ズバリ一言。
「このオジサン、誰?」
「オジ・・・!?」
 引きつったのはホムラだった。ミコトは一瞬きょとんとしたが、すぐに口を手で覆うと、
「あーっはっはっはっは!!!」
と爆笑した。
「オ・・・っオジサン!!ナイス、サオ!!」
 ミコトはサオの背中をばっしばっしとたたきながら喜んでいるが、ホムラはオジサンと称されるほどの外見をしているわけではない。せいぜいサオより少し年上、といったような体だ。サオがホムラをオジサンと呼んだのは、多分、サオの精神年齢が低いためだと思われる。
 当然それをホムラが気に入るわけもなく、わりと美形な顔には大量のタコマークがはりついていた。
「・・・ミコト・・・貴様の連れはずいぶんと礼儀知らずらしいな・・・?」
 わななくホムラをきれいに無視して、ミコトはサオに笑いながら教えてやっている。
「あのねー、あのオジサンは、ホムラといってスッゴイ嫌な奴だけどマイの式神なのよー」
 “オジサン”を強調するのも忘れずに。
 それを真面目くさって聞いているサオにも憤りを感じ、ホムラはもう一度口を開いた。
 その時。
「もー、ホムラってば何やってんのー?」
 言いながらひょっこりと林から顔を出した可愛らしい少女に、ホムラはぎょっとすると慌ててかけよる。
「マ・・・マイ様!!あの場所から動かれぬようにと申しましたのに・・・!!」
「だって来るのがおそいんだもん。待ってるのタイクツで・・・って・・・」
 顔を上げたマイの瞳は驚きに見開かれた。
 目線の先には・・・。
「イヤーン マイー元気だったぁー?」
 ミコトがいた。
 ミコトはマイの姿を確認すると、がばぁっと抱きつく。
「キャーッ!!?」
 マイのそれは歓喜の叫びではなく、恐怖の悲鳴に似ていた。
 ホムラはただちにミコトをひきはがすと、マイを後ろ手にかばいながら腰に下げてあった刀をスラリとひきぬく。
 構える彼を見てミコトはチッと舌打ちした。
「あいかわらずベタベタね」
 皮肉を込めた彼女の言葉はホムラには通じなかったようだ。
「ほざけ。マイ様には指一本触れさせん」
「いーじゃないのよ。再会の喜びをわかち合うぐらい」
「駄・目・だ!!」
 ムカッ。
 一言一言句切った言い方がエラそうで気にくわなかったらしいミコトはキッとホムラを睨んで叫んだ。
「何よ!!ホモラのくせに!!」
「何ィッ!!?」
 さすがのホムラもこれにはガビーンて感じだった。
 ミコトはやーいやーいとくり返し、「ホモラ」という新しい言葉に興味を覚えたサオは
「ホモラホモラー」
と喜々としている。
 傍から見れば子供のケンカだったが、ホモ・・・いや、ホムラは容姿に似合わず結構大人げなかった。
「・・・・ッ!!!」
 刀をにぎり直し、殺気をゆらめかせた彼の着物を後ろからがっしとマイがつかむ。
「駄目よホムラ!!挑発に乗ったら相手の思うツボなんだから!!」
「くっ・・・マイ様・・・しかし・・・!!」
「わかるわホムラ。言葉が言葉だものね。だけど、あなたがそんなんじゃないってちゃんと知ってる。だから大丈夫・・・!!ミコトなんかにふり回されちゃダメ・・・!!」
「マイ様・・・!!」
 彼は泣いた。男泣きに泣いた。
 ちょっと情けなかったが、そんなことは気にならないぐらい彼らの辺りは清く澄んでいた。
 ほろりとくる感動的なシーンにも、ミコトにとっては「いいかげんにしとけよ」って感じだったのでとりあえず邪魔しとくことにする。
「ちょっとー、マイにひっつきすぎよオジサン」
 ミコトに背をむけていたホムラの頭に、怒りの十字キーが1つ増えた。
 それをよしよしとなだめながらマイはミコトに言う。
「1年ぶりね、ミコト。もう帰ってこなくても良かったのに」
 たっぷり嫌味をねり込んで言ってやったが、
「そりゃあマイに会うためだもの
全然伝わらなかった。
「あぁんたねぇーあんたのおかげであたしがどんなに苦労してるか・・・っ!!!」
「え?マイ苦労してんの?大丈夫?」
「大丈夫じゃないわよ!!あたしに彼氏ができないの、あんたのせいなんだからね!!」
「あたしのせい?」
「そうよ。何でかわかる?」
「あたしとマイがお似合いだからでしょ」
「違う!!!」
 マイは「ああん、もう!!」とばかりに地面をけった。こんな不毛な会話を続けていても意味がない。
「あんたがいつもいつもあたしの周りにまとわりついてきてたからよ!!」
「え、じゃあマイ今フリーなんだ。やったー
「とらえるところが違うでしょ!?あんたのせいなんだっつーの!!」
 言ったところでマイは、はぁっと息をついた。怒鳴りっぱなしで疲れたのか声のトーンを落とし、ゆっくりと思い出すように彼女は言う。
「それでもミコトがいなかった1年間の間に、彼氏ができそうになったことは何度かあったわ。だけどみんなこう言うの。『君は僕じゃない、他の誰かを見ている』ってね。あたしそんなつもりなかった・・・。だけど、たしかにあたしはその人を重ねてしまっていたわ・・・。誰だと思う?」
 マイはくもらせた大きな瞳でミコトを睨む。まっすぐにミコトを指さし、彼女は叫んだ。
「如月ミコト、8才のあんたよ!!!」
 ドガシャーン!!
 マイのセリフと共に、ミコト達一行の背後に雷が落ちた。
 もとい、落ちてもおかしくないシチュエーションだった。
「当時あたしは7才。初恋だったわ・・・。元気で、カッコよくて、優しい“男の子”だと、信じて疑わなかった」
 涙ながらに語る彼女を見ながら、ミヤが足下から
「そうじゃったのか?」
と訊いてくる。ミコトは苦笑しながら答えた。
「まぁ、あのころあたし一人称「僕」だったしね。他人からは「コトくん」なんて呼ばれるし誤解されることもしばしばあったわよ」
 で、そのいい例が目の前の彼女である。ミヤは嘆息するしかなかった。
 マイはと言えば、当時のミコトの姿を頭の中に思い描いたらしく、ほぅ、とため息なんかついている。
「あんなにあたしの理想にぴったりな人、他にはいなかったわ。だからっ・・・だからあんたが女の子だと知ったときのショックといったら・・・!!」
 ああっ!!と身悶える彼女の隣で、ホムラが「おいたわしや・・・!!」とばかりにもらい泣き、袖で涙をぬぐった。
「あんたがみんな悪いのよ!!!」
 言うと同時にマイは懐から鈴付きの短剣を取り出す。舞師の彼女が愛用している戦闘用武具だ。
 舞師というのは舞を舞うことで呪を発動させる術者のことを言う。一般的に札師と舞師は対立関係にあるが、最近では協力しあうべきだという声が強いらしい。
 一方ミコトは、突然物騒な物を取り出したマイを見、驚いたような表情をしたが、すぐにそれは明るい笑顔へと変わった。
「マイってば、ちっともかわってないね。そんなところが可愛いんだけど」
 ミコトがほとんど動揺しないのは、1年前から何かにつけてはケンカをふっかけてくるマイがあたり前だったからなのだが、マイにはそれが余裕の態度と見てとれたらしく、面白くなさそうな顔をする。
「フン、余裕ね、ミコト。たしかに1年前まではあんたの圧勝だったわ。だけど、今のあたしは違う!!」
 マイは短剣の銀鈴を短く鳴らした。
「覚悟!!!」
 彼女の“気”が一気に高まって―――・・・。
「ちょーっとまったぁ!!!!」
 突然、大気を震わせるほどの大声が辺りにひびき、マイの攻撃は中断された。
 ここにいる人物の声ではない。
 そう判断したミコトはすばやく頭をめぐらせるが、彼女達以外の人影は見あたらなかった。
「フッフッフッフッフ・・・」
 不気味と言うには少し高めの笑い声がこだまする。何となく自分の背後のような気がして、  ミコトは勢い良く、「誰!?」と叫びながらふりむいた。
 そして、そこには。
「・・・・・・・・・・ナ、ニ?」
 何だか得体の知れない物があった。いや、いた。
 身長は2m30cmほどで、頭からすっぽりと白い布のような物をかぶり、それで身をつつんでいる。人間にしては大きすぎるし、頭部と思われる部分が身長のわりにあまりにも小さい。おまけに何だか、いびつだ。
 ミコトはごくり・・・と唾を嚥下させ、頭の中でこの物体について仮説をいくつかたててみた。
 1.妖怪。
 2.変態。
 3.妖怪でしかも変態。
 4.かろうじて人間だが、妖怪になったほうがいいんじゃねぇのって感じの変態。
 5.と見せかけて、実は激マブ女の子。
 5以外ろくなモンじゃなかった。
(ってゆーか・・・)
 ミコトは上から下までじっくりとそれを観察する。
(肩ぐるま、してるよねぇ・・・?)
 どっからどうみても、そうとしか考えようがなかった。たとえ布をかぶっていようと、上に乗っているのが子供であろうというのも一目瞭然だ。
 しかも、乗せてやっている大人と思われる人物の目のあたりに穴まであいてしまっていては、布をかぶっている意味などありはしないのではないだろうか。
 ミコト達が呆然と見上げていると、その物体はニヤリと不敵な笑みをうかべた。(ような雰囲気だった。なにせ布でかくれていて口元は見えないので)
「フフ、如月ミコトだな?」
 やはりあまり迫力のないボーイソプラノでそれはたずねてくる。
 ミコトは「はぁ・・・」と生返事を返すが、相手は変わらず薄笑いだ。
「我はヨミの国の王である。お前は我の花嫁に選ばれた!!ありがたく思え!!」
「・・・・・・はぁ?」
 わけがわからなくて、ミコトは素っ頓狂な声を上げた。
 いきなり出てきて、ヨミの国の王だとか花嫁だとか、何を言っているのか、この物体は。
 混乱しつつも頭の中を整理しようとしていると、それが「わぁ!!」と声を上げた。
 何事かと見やれば、上に乗っていた子供が、布ごと地面に下ろされている。そして布の下から背の高い男が姿を現した。
 歳は32、3歳というところか。太雄や清一郎とあまり変わらないだろう。しかし、その体躯が放っているオーラから、彼がただ者ではないことを、ミコトは感じていた。
 離れていても伝わってくる威圧感は、ピリピリと彼女の肌を震わせ、発汗作用を狂わせる。怜悧に細められた瞳からは、何の感情も読みとることができなかった。
 ミコトを見すえている彼の足下でモゴモゴと布と格闘していた子供は、やっとこさ出口を見つけたらしく、布から金髪の頭をつき出す。そして男を見ながら怒鳴った。
「何すんねん、親父っ!!せっかく、ええとこやったのに!!」
 キーッと何かの動物のごとく布をばたばたさせるその少年に、男は先程の表情など嘘のように優しいまなざしを向ける。
「ごめんごめん。でもキガが悪いんだぞ?『花嫁』になんてパパ聞いてないし、びっくりして気絶するところだったじゃないか」
 ウソつけ!!!とつっ込みたい気持ちをぐっとこらえて、ミコトはマイをふり返った。男が放った“気”にどうにかなってはいないかと、心配だったのだ。
 マイは無事だった。それどころか、器用に目をハート型にさせていた。
(げっ・・・)
 思わず「まずい」の3文字が頭にうかぶミコトだ。マイがほれっぽいのを忘れていた。
 隣でホムラが「マイ様、マイ様」と声をかけているがまったく聞こえていないらしく、
「カッコイイ・・・あの冷めた瞳と子供にむけるまなざしのギャップがたまんないわ・・・
 なんて、胸の前で手をくみ合わせている。
 ミコトはマイにかけよると止めようとするホムラをふり切り肩をゆさぶった。
「マイ!!目をさまして!!あいつはただ者じゃない上に7、8歳の子供までいるのよ!?」
 言いつのるが、マイの瞳はどこか遠くを見ていて、ミコトの声は届かないようだ。
 ミコトはため息をつくとがっくりと脱力した。
(想い込んだら一途なのよねぇ・・・マイは)
 8年前のマイもそりゃあもう一途だった。一途すぎてちょっと困ったことになるくらい一途だった。
(やばいわね・・・)
 彼女は、にこにこしながら自分の息子と話をしている男を見やる。
(だって多分・・・あの男は私達にとって・・・敵になるだろうから)
 漠然とだが、ミコトはそんな気がしてならなかった。
 男は嬉しそうにキガの話を聞いていたが急に
「キガはかわいいなぁーっ
と何の脈絡もなくキガを頭から抱きしめた。
「ぎゃあ!!やめんかーっ!!」
 キガはじたばたと暴れたが、彼はかまわず頬ずりしている。
「親バカだけど・・・・・」
 ミコトはうつろな笑みをうかべてそうつぶやいた。
 それが聞こえたのか、男はミコトと目線が合うとキガを解放して立ち上がる。そして顔は正面のまま、むくれている愛児にたずねた。
「あの女の子が、キガの好きな娘なのかい?」
 唐突な質問にキガはぼっと頬を赤くそめる。
「おっ・・・親父・・・!!・・・・・そうやけど・・・何や?何か文句あるんか?」
「大ありだ・・・・・!!」
 勝手に進んでいく話に、当人のミコトは「え?え?」と2人を交互に見、キガの父は口に微笑をうかべながらも目はマジだった。
「な、何やて?親父協力してくれるんちゃったんか?」
「あぁ、可愛い可愛い息子のためならば何だってしてやるつもりだったんだが・・・結婚っていうのは初耳だな・・・」
「ミコトはオレの嫁にって決めたんや。・・・親父に言うたら会わせてもらえんやろ思て、だまっとった・・・」
 うなだれるキガは幼い子供特有の愛らしさを放っていて、彼を見下ろす父は胸が痛くなると同時に、頭から食べちゃいたい衝動に駆られた。彼はそれをかなり苦労して黙殺すると、「心を鬼に」と胸の内で何度も  何度も言いきかせる。
 何とか自分を取りもどした彼は、鬼になったつもりで厳しく言い放った。
「キガ、身分というものを考えなさい。お前の将来は誰よりも期待されている。はっきり言わせてもらうが、 あの娘にはお前のパートナーはつとまらない。あきらめて・・・」
 そこまで言って彼ははっと息をのんだ。
 キガが目に涙をいっぱいためて、彼を見上げていたからだ。まばたきをしたらこぼれるだろう涙は、 まつげといっしょに小さく震えていた。
「親父の・・・」
 ぬれる瞳からとうとう涙の雫があふれ出す。
「親父のアホンダラ―――――ッ!!!!」
 罵倒の言葉はかなりの声量だった。ミコト達は耳をふさいでそれに耐えたが、彼の父だけはピクリとも 動かず、キガを見つめている。
 同時にダッシュをかけようとしたキガの腕を、彼の父はとっさにつかみ、ひきよせた。
 小さな体はすっぽりと胸の中におさまる。
「ごめんよキガ・・・パパが悪かった。もう、泣かないでおくれ・・・」
「親父・・・・・ほんなら・・・」
 目をかがやかせる息子ににっこり微笑み、
「それとこれとは話が別だ」
と彼はキガの柔らかい金髪をなでる手に力を込めた。
 とたんに、キガは気絶するように眠りに落ちる。力の抜けた彼を抱き上げた彼の父は、ミコトを見つけて フッと流し目をよこした。
 アットホームな修羅場を見たくもないのに見せつけられてうんざりしていたミコトはその勝ち誇ったような 微笑にムッとしたが、次の瞬間、表情は驚愕に引きつった。
 彼が宙に浮いていたからである。
 どんなに強力な呪力の持ち主でも、重力にさからうことはできない。しょせんは人間なのだ。
 と、いうことは。
(コイツ・・・人間じゃない・・・!?)
 ミコトの胸の内を知ってか知らずか、彼はこの場を去ろうとしているらしい。
 彼女は「待て」と呼びかけようと身を乗り出す。
 が。
「待ってっ!!」
 ミコトより速く、マイが叫んだ。
 やっと状況が把握できたか!?とミコトがふりむくと、彼女は必死な顔でこう言った。
「せめてお名前を!!」
 ずるうっ。
 麺類をすする音ではない。ミコトがズッコケたのである。
 そぉじゃねェだろォーとオーラでツッ込みながらミコトは頭をかかえた。
 浮いている男は冷ややかにそれを見ていたが、
「ジオだ」
 と簡潔に名のると、ミコトに向かって口を開く。
「お前とは、また相まみえることもあるだろうが・・・息子を渡す気はない。おぼえておくんだな」
 そう言って、風のようにかき消えた。
 一方的に現れて一方的に去っていったジオに、ミコトは
「別に取り合ったおぼえはないわよっ!!親バカも度が過ぎると嫌われるんだからね!!」
と悪態をついた。
 もしかしたら聞きつけて戻ってくるかもしれないと彼女は構えたが、そのような気配もなかたので、  ため息をついて空を見上げる。
 彼らが何者なのか、ミコトにはわからなかった。
 でも、まぁいいか、と彼女は思う。彼はまた会うだろうと言った。だったらその時にでも聞けばいい。
(すんごい知りたいってわけでもないしね)
 ミコトは肩ごしにふりむいてニッコリ笑う。
「帰ろっか!」
 その笑顔が8年前のミコトと重なって、マイが胸をトキめかせたことをミコトは知らない。
 もちろんそのあとで、マイは深く自己嫌悪におちいったのだが。


*  *  *


 同時刻。
 人里離れた山岳地帯。
 殺風景な岩肌からとび出した岩に、2人の少年が腰かけていた。
「いた・・・」
 そのうちの1人、遠くを見るように目を細めていた少年が、小さく声を上げる。
「どうした、紺」
 紺、と呼ばれ、ちらりと自分の隣にいる人物を見やりながら、彼は告げた。
「いたよ、みつけた」
「・・・・・そうか。どこにいる?」
「村だ。けっこう大きな・・・」
「間違いないか?」
「ちょっと見えにくいけど・・・間違いないよ、兄さん」
「・・・・・ふぅん」
 彼は形のいい唇に弧を描いて、「お前の千里眼はいつも優秀だな」と紺をほめる。
 紺は「そんなことないよ」とゆるく首を振り、とても小さな声でつけ加えた。
「兄さんのほうが、ずっと・・・」
「何か言ったか?」
 彼がたずねてきた。紺はもう一度、首をふる。
「なんでもないよ」と。
 兄は苦笑して立ち上がると、少しのびをした。
「そろそろ帰るか。こんな所にこんな格好でいると妖怪どものいいエサだ」
「そんなの、相手にもならないよ」
 紺も兄にならって立ち上がり、束ねた長い髪を風になびかせて言う。兄は喉の奥で笑うだけでそれ以上は  何も言わなかった。
 とん、とん、と兄は軽やかに岩を伝って下へとおりていく。
 彼の背中は自分よりも小さい。距離が離れるにつれ、ますます小さくなる背中は、どこか頼りなげに見えた。
 その背中が向きを変えて、「早く来い」と紺をうながしている。
 紺は笑う。
「今行くよ」と投げかけて、小さな兄を追いかけた。






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