ふ だ し き | タイフーン | |
札×式 | 嵐 | 道中記 その3 中編 |
七里の云う「自宅」は、村から徒歩10分弱の少し離れたところにひっそりと建っていた。
七里に案内された部屋で遠慮なくくつろぐミコトに、ミヤが見かねたとばかりに声をかけた。
「ミコト・・・、おぬしまさか、あの男を信用しきっているわけじゃあるまいな?」
眉根を寄せて問う式神に、ミコトはちらり、とだけ視線をよこして言う。
「・・・・・まぁ、ね。でも、あの人の云ってることはあながち嘘じゃないとあたしは思う。なんとなく、だけどさ」
「罠かもしれんのだぞ」
だんだんと声音が重くなってゆくミヤに対して、ミコトはひとつ笑って肩をすくめた。
「わかってるわよ。・・・・・あの兄弟から、人間の気配がしないことも」
よほどの者でしかわからないであろう、かすかな臭い。
あれは妖怪のものだ。
人間のそれに似せて、巧妙に隠されてはいるが、小さいころから一流技術をたたき込まれているミコトには無意味だった。
出会ったときから、うすうす勘づいてはいたんだけどね、とミコトは嘆息する。
「わかっているのなら、何故」
ミコト同様、彼らの正体に気づいていたミヤは、ミコトに鋭い眼差しをむけた。
「うーん、何でかなぁ・・・。何だかあの2人、ヘタな人間より人間っぽいような気がするのよね。ちょっとしたしぐさや、言葉づかいや表情なんかに、心の動きが良く出てるの。
特に弟くん、紺・・・だっけ?『兄さん大好き』ってゆーのと『お前らなんか嫌いだ』ってゆーの、すごい良くわかるもん」
「だからかも」と言って、ミコトは思い出したかのように軽く笑う。
「あの兄さんも、紺くんのコト、すごい大事にしてるのが見え見えだし。妖怪なのに、めずらしいよね」
きっと妖怪の世界でもかなり浮いているだろうあの兄弟は、心を互いに支え合って生きている。ただ、相手を大切に思うあまり、すれ違うことも多々あるだろう。
彼を守るためならば、自分は犠牲になってもかまわない、と。
けれどそれは、残される側の気持ちを考えないただの身勝手なエゴで。
(・・・そんなこと、分からないはずないのに)
ミコトは七里の言葉を思い出す。
『キミの周りの、大切な人を失くさないように。・・・・・気をつけなくてはならない。油断すると、知らないうちに、もしかしたら目の前で、失ってしまうかも、しれない・・・・・』
彼はマイのことを予言していたのだろうか。
否。
あれは忠告だ。
もう二度とくり返すなという、だから気をつけろ、と。
そして、彼の自分自身への言い聞かせも含まれているのだろう。
失ってたまるものか。そのためならば、たとえ。
けれどその考えは捨てるべきなのだ。
残された一対は、1人では生きてゆけない。支えを失った心はバランスを保つことができなくて、あっけなく倒れてしまうのだ。
「あたしはもう、何も失くさないわ・・・」
我知らずつぶやくミコトを、ミヤは無言で見つめる。
彼女はいつも戦っていた。忘れようのない、暗い過去と。
ミヤの視線に気づいたのか、ミコトがぱっと顔をあげた。そして笑う。
「大丈夫よ、心配しなくても。危険だと思ったらしっぽまいて逃げるから」
ミヤは「そうじゃな」と簡単に同意をして、彼女の笑顔から目をそらす。
主人の笑顔の裏を知りたいなどと、主人を守り、使われる身として、あまりにもおこがましい感情だったので。
そのとき、障子が勢い良く開いて、紺が姿を表した。手には膳をもっている。
「・・・・・メシだ」
ぶっきらぼうにそう云って、それぞれの前にご丁寧にもならべてくれた。
何だかんだ云いつつも、めんどう見は良いようである。
しっぽで1人遊びをしていたサオも、「メシ」という言葉に反応し、嬉しそうに歓声をあげた。
紺に続いて部屋に入って来た七里も2つの膳をもっているところを見ると、彼らも一緒に食事をとるようだ。
「毒味を」とそばに寄るミヤを手で制し、ミコトは手をあわせ食べ始める。ミヤはやれやれとため息をつき、隣ですでに半分以上たいらげているサオにもう一つ嘆息すると箸を取った。
なかなか美味な昼食に満足しながら、ミコトは思う。
(彼らは何故、人間の格好をしているのかしら・・・・・)
たしかに人間により近い姿をとり、それで人間をだまし、喰らうものもいる。しかしこの2人はそういう目的ではないのではとミコトは思うのだ。
もし人間に近づき油断させるためならば、七里のような、目立つ上に人々に嫌われ近よりがたくさせる髪や目の色にしなかっただろうし、弟の紺ももっと本当に弟とわかるような容姿に化けただろう。
これでは人々に「妖怪だ」と騒がれて墓穴を掘ることになりかねない。
この姿は彼らの意志ではないのでは?
それとも他に、もっと別の意味でもあるのだろうか。
「どうした?」
急に箸の進まなくなったミコトを、ミヤが見上げる。
彼女は思案にくれていた頭を現実に引きもどすと「ちょっとね」と曖昧に笑った。
ちらりと彼らをうかがうと、目の合った紺に「なんだよ」とばかりににらまれた。
それでもミコトが観察を続けると、紺はあきらめたように視線を落とし、食事を再開する。そんなしぐさに、何だかほほえましいものを感じてミコトは笑う。
(本当に、人間みたい)
彼らの妖怪らしからぬ行動は、もう1つあった。
箸の使い方、というか、食事の仕方がめちゃくちゃ綺麗なのである。
こんな妖怪は見たことがない。人間生活は相当に長いようだ。
(本当に、人間だったら良いのに)
つい、そんなことを考えてしまう。
妖怪に善はいないと教えられてきた。
それでも、彼らを見ていると願わずにはいられない。
刀をむけられても手を出さなかった七里が、自分たちのために食事を作ってくれた紺が。
悪でないことを。
願わずには、いられないのだ。
食事は何の問題もなく終了し、片付けを終えた紺と七里はミコトたちに向かい合うように腰を下ろした。
「では、マイという娘をさらった何者かについて、話をしようか」
七里はそう本題を切り出して来て、何もしらない紺が驚くのではとミコトは思ったが、あらかじめ話はしているのか、特に動揺したふうでもない。
ミコトは七里に視線を戻し、こくりとうなずく。彼は隣に丸めて置いてあった地図を広げると、一点をさし示して、
「この山は影山(えいざん)と言って、この村から・・・そうだな、2里ほどだと思う。・・・あまり遠くはない。そしてこの山は昔から神の山と人々に崇められてきたが、・・・最近、妖怪が住みついた。
しかも一体ではない。多くの仲間と共に、影山を拠点とし色々な国を手中に収めようとしている。」
「頭がいるんでしょう。名前、知ってる?」
「リアンとオトネという姉弟の妖怪だ」
「・・・・・詳しいのね」
ミコトが探るように目を細めると、七里は口端をつり上げた。
「まあな」
目で理由を問うミコトにその一言だけ応えて、七里は質問をはぐらかす。
(彼が妖怪だから?)
だからこんなにも詳しいのだろうか。
多くの妖怪を従える大物にとって、自分の“名”というものはとても重要なものになる。
例えばそれが自分より実力高い術者に知れ、術、もしくは呪いをかけられたりすると“名”の力を持った術はとても強大になってしまうのだ。
頭を叩かれた手下どもはたちまち消滅してしまうだろう。
そんなものを、何故七里が知っている?
(・・・・・でも、まあいいわ)
彼、七里も、それほど大事な“名”を自分に教えてくれたのだから。
それは暗に、「信用しろ」を言っているのかもしれない。
相手に自分達の正体に気づかれていると、知っている上で。
それなら。
「最後に質問、いい?」
七里は静かに、「ああ」とだけ云った。
「あなたたち・・・、妖怪、でしょう?」
瞬間、その場にいた全員の目がいっせいに見開かれた。
ただ1人、七里を除いて。
一番最初に騒ぎ出したのは、サオだった。
「コ、コトッ!この兄ちゃん達、ヨーカイなのかっ!?悪い奴なのかっ!?でも、メシうまかったぞ!?」
今にも泣き出されんばかりにとびついてきたサオをなだめて、ミヤをうかがうとその表情は不安と緊張で引きつっている。
まさか本人達に告げるとは思ってもいなかったのだろう。
紺はびっくり顔のまま口をぱくぱくさせ、何か言いたいらしいがうまく言葉にならないようだ。
そんな紺に代わってか、唯一動揺しなかった七里が口を開く。
「・・・いつから、気がついていた?」
「会った時から、薄々」
あっさりと肯定するところをみると、彼はやはりバレていると知っていたのだろう。
小さく嘆息し、彼はミコトを見すえた。
「たしかに、俺達は妖怪だ。だが、君達に何か危害を加えようとしているわけではない。もしそういう事になった場合、遠慮なく攻撃をしてくれていい。
・・・君の実力なら、苦もなく俺達を倒せるだろう」
「・・・・・今のあなた達、ならね・・・」
「・・・・・」
「どうしてあたし達に情報を提供してくれるの?」
ミコトの質問に、七里は少し目を伏せて自嘲気味に笑う。
「さあ・・・何故だろう・・・君と俺は、少し似ていると思ったからか・・・・・。・・・長く生きすぎて、狂ってしまったせいかもしれないな」
「兄さん」
聞きとがめて、紺が七里をいさめるように声をかけた。
彼は「すまない」とつぶやいてから、音もなく立ち上がると、障子に手をかけて言う。
「・・・少し、外の空気を吸ってくる。すぐに戻る」
スラリと障子が開き、彼が出てゆく。
閉じられる寸前に見た外の景色は、日が山にその身を沈めんとしているところだった。
不自然なほどに赤い、その夕焼けに、彼の銀に近い金髪が散って。
ぞっとするほど、美しかった。
「遅い・・・・・」
すぐに戻ると云い残し、彼が出て行ってから、30分ほど経過した時の事だった。
イライラを露骨に表現した顔で、紺がつぶやく。
ミコトは先ほどから「歳は?」「どうやって生活してるの?」「仕事とかしてる?」などなど、さしさわりのない質問を投げかけていたが、
紺は不機嫌な顔で「関係ないだろ」と言うばかりで、そろそろ話かけるのをあきらめつつあった。
「そんな心配しなくても、そのへんブラブラしたら半時ぐらいかかるわよ」
何度めかになる彼への言葉を、紺はやはり嫌そうに受け取る。
「オレだってそんな心配性じゃねーよ。ただ、何かこう・・・嫌な予感がするんだ」
首の裏側がざわざわと粟立つのを、だいぶ前から感じていた。
七里が無言に「ついて来るな」と言ったので、今まで我慢していたが、こうも長く嫌悪感が続くとなると――・・・。
「オレやっぱ、兄さん探して来るっ!!」
勢い良く立ち上がり、紺はミコトが止める間もなく障子に手をのばした。
刹那。
バヂィッ!!!
「・・・ッ!!?」
青白い閃光が、紺の右手をはじき返した。
「な・・・・・」
まだバチバチと音をたてているそれに目をやったまま、呆然とつぶやく。
殺傷能力はないが、これは・・・。
「結界・・・!?」
「いつの間に・・・」
ミコトもまったく気づかなかったらしく、自分の不覚を悔やみながら顔をゆがませる。
「兄さん・・・」
「これ、七里さんの張った結界ね・・・一体、どういうこと?」
「オレ達を、この部屋から出さないつもりなんだ・・・」
紺は障子をじっと見つめ、喉を嚥下させた。
「何、考えてるんだよ・・・兄さん・・・」
日が沈みきってもまだほんのりと赤い空を見上げ、彼は立ち止まった足を再び前進させた。
結界に、何者かが触れた。
多分、弟だろう、と彼は推測する。
心配しているだろうな、とか、イライラしてミコト達にあたり散らさなければいいが、とか、嫌になるぐらい彼の事を考えている。
七里は頭を振った。
今は、考えまい。
両脇の木々が風に鳴き、七里はいくらも歩かないまま、もう一度立ち止まる。
(見つかったか・・・・・)
視線をよこしたその先から、1人の男が現れた。
その男は七里を確認すると口もとに気味の悪い笑みをうかべる。
「お前・・・、昼間のクソ生意気な坊主じゃねーか」
昼間、七里に刀をつきつけ凄んできた男である。男は腰の長刀を引き抜き、にやにやしながら七里に近づいてきた。
「こんなトコで何やってんだ?ここはもう、山の主の領地だぜぇ?」
そう、七里は例の山へと向かう森の中を歩いていたのだ。
「・・・やはりお前達、リアンの手下だったか」
男を見やりながら眼差しをきつくすると、男は笑いを引っ込めた。
「リアン、だと?お前、あの妖怪姉弟の知り合いか?何で名前まで知ってる」
「・・・・・」
「フン、だんまりか。聞いたことあるぜ、お前七里とか言う妖怪だろ」
「・・・・・お前は人間だな」
「そうよ、オレぁ人間だ。だがな、テメェなんか怖くもなんともねェ。今のお前はリアン様に力を封じられてるそうじゃねぇか」
七里は何も云わず、男の言葉を受け取っていた。男は七里の沈黙を図星ととったらしく、ますます饒舌にしゃべり出す。
「くくく・・・、何の力もねェ人間のカッコした妖怪なんざ、人間とおんなじだ!!言ったよなぁ今度会ったときはその生意気なツラ
切り刻んでやるってよォ!!」
云うなり男は刀をふりかざし、七里に飛びかかった。
体を数センチずらし、刀の軌道からそれる。肩先をひゅう、と冷たい風が通りすぎた。
男はふり下げられた刀の刃をすばやく上に向け、七里の脇腹めがけて切りかかる。
またもギリギリで刀をよけた七里は、しかし、太い木の幹に背中をとられてしまった。
ジャキッ!
昼間と同じように、今度は上からだが、首すじに刀が当てられる。
「もう逃げられねーぜ、妖怪。・・・んん?」
七里を笑いながら見下ろしていた男は、その首すじにあるべきものがないのに気がついた。
「昼間オレがつけた刀傷、もう治ってやがる。力を封じられてもコレかい。妖怪ってのは恐ろしいねェ。ええ?」
七里が何か反論してくるだろうと思った男はそこで一旦言葉を切るが、それでも七里が男から顔を背け何も言わないので、彼は面白く
なさそうに顔をゆがめる。
「死の瀬戸ぎわだってのにえらく余裕じゃねぇかよ、オイ。それとも何か?昼間みてェに怖くって声も出ねェってか?」
「・・・・・貴様のような低俗な輩と交わす言葉など、あいにく持ち合わせていないのでな」
「んだと!!」
七里の言葉に怒りを表した男は、刀を引こうと勢い込んだ。しかし、ふと思い出したように動きを止めると、口端をつり上げていやらしく
笑う。
「おもしろいこと思い出したぜ・・・。お前、弟がいるんだってな」
「!」
「ハ!顔が変わったぜ、兄さんよ。オレが聞いたおもしろい話ってのはな・・・、てめェの弟には半分人間の血が流れてるそうじゃねェか」
「・・・・・」
「滑稽だよなぁ、エエ?妖怪にもなりきれず、人間には蔑まされ、しかも寿命は妖怪の3分の1以下ときてる。妖怪と人間の交わった奴なんてロク
なモンじゃねェなァ。そんな奴に生きてる資格なんてあると思うか?」
「・・・・・」
「だがな、心配する必要なんざねえぜ。お前を殺ったら、そいつもおんなじトコロに送ってやっからよォ!ハハハハハ!!」
「・・・・・れ」
「あ?」
「黙れと言ったんだ。下衆が」
ズル。
七里の押し殺した声の直後に男が聞いたのは、そんな何かがずれるような音。
そして次に、刀をにぎった自分の右腕が視界に入る。
ただしそれは、地面の上にあった。
目の前をさえぎるほどの赤いものが自分の鮮血なのだということと、腕が切り落とされたという事実を理解したとたん、男の体に激痛が
走った。
「っあ゛ああああっっ!!?」
男は足元から崩れ落ち、あまりの痛みになす術もなく絶叫する。
七里はそんな男を冷ややかに見下ろした。
口元に微かな笑いさえ浮かべて。
彼は返り血で染まった手刀を男の額へと伸ばし、ささやいた。
「死ね」
彼がふりかぶった、その時。
「殺人とは、感心しませんね」
間延びした声と同時に、どこから飛んできたのか、1枚の札が男の体にはりつく。すると彼の体は淡い光に包まれ、腕からの大量の出血が
ぴたりと止まったのだ。
七里は札が飛んで来た時点で男の体から飛びのいていた。
男はから視線を外さず、声の主が現れるのを待つ。
かの主は、男のすぐそばに、いきなり出現した。
「ああ、気絶はしてますが、まだ生きてる。間に合って良かった」
そう言うと男の体をしばらく調べ、七里に向き直る。
男性だと思われるその者は、細い目をきつくして、彼をにらんだ。
「いけません、殺人は」
少し理性のもどりつつあった七里は、それでもそんな事を言われる筋合いはないとばかりに言い放つ。
「貴様には、関係ない」
「・・・・・」
男はしばらく沈黙していたが、やがて困ったようにため息をついた。
「・・・でも、あなたなら殺さなくても何とかできたハズです。・・・・・それに」
言葉を切って間を置く彼に、七里はいぶかしげな顔を見せた。
「それに・・・?」
「それに、あなたを信じている人達が、いるでしょう?」
思わず、目を見開く。
「彼らを裏切ってはいけません。人を殺したら、あなたはきっと、後悔する」
裏切る?誰をだ?
ミコト?
彼女の式神?
紺?
後悔する・・・だと?
そんなもの。
「とっくにしている・・・!」
今さら人1人殺した所で、何が変わろうか。
奥歯を噛みしめる。ギシリ、と嫌な音が頭の奥でひびいて、吐き気がした。
「・・・・・お前、何者だ」
吐き出すようにつぶやくと、彼は糸目を少しだけ開いて、言った。
「僕は巫女です」
「・・・巫女・・・?」
「まぁ、平たく言えばしがない術使いですよ」
「・・・名は」
「ヒミツです」
彼は笑う。
そう言われて、返答にあまり期待をしていなかった七里は追求するのをやめ、あっさりと引きさがった。
すると彼は右肘から先を失った男を肩にかつぎ、七里に軽く頭をさげる。
「それじゃ、僕はこの人連れて帰ります。もう人、殺さないで下さいね」
軽くひざを曲げたかと思うと、次の瞬間には彼はいない。
いきなり現れたり消えたり変な特技だと七里が別段驚きもしないでいると、頭の上あたりから声が遠く聞こえた。
「ミコトちゃんによろしく言っといて下さ〜〜〜〜〜〜い・・・・・」
見上げると、トンビが1羽、円を描いて飛んでいた。
(彼女の知り合いか・・・?)
結局、彼に関する謎がいくつか増えただけだった。
山の中腹あたりに、この山の支配者と言えるべき妖怪のすみかがある。白を基準とした外装に、派手な装飾。
七里はその建物の中をまるで目的のモノがどこにあるか知っているかのように迷いなく歩いていた。
やがてひときわ大きな扉の前で足を止めると、ノックもせず、無言でドアノブに手をかける。触れた箇所から目に見えて立ちのぼる
静電気に、相手がこの中にいるのだと確信した。
ゆっくりと押し開く。蝶番が耳障りな音で鳴いた。
部屋の中は淡い光で照らされ、中央に大きなソファが居座っているのが目に入った。
その上に漆黒の髪を持つ男が座っている。彼は入ってきた七里を見るとニヤリ、と不敵な笑みを向けた。
「よぉ、久しぶりだな」
「オトネか・・・お前に会いに来たわけではない」
オトネと呼ばれたその男は、彼の言葉があまりにそっけないので「あいかわらずだな」と喉の奥で笑う。
そしておもむろに立ち上がると煙草の煙をくゆらせながらゆっくりと七里に近づいた。
腰を曲げて七里と視線の高さを同じにし、上から下までじっくりと観察すると、最後に七里の瞳を見つめる。
「ホンットに変わってねェなぁ。・・・べっぴんだ。男にしとくのもったいねぇ。ほんでもってズッタズタに引き裂いてやりたくなるぜ」
「そういう事を言うときに顔を極限まで近づけるのはお前の悪いクセだ」
言って、目の前のオトネの顔を手の平で押しやると、彼は肩をすくめた。
「動じねェな。オレけっこう本気なのに」
「何がだ」
「別に」
オトネはにっこりと中身の見えない笑顔を見せる。七里はそれに嘆息すると、本題に入ろうと口を開いた。が。
「ん?お前血の臭いがするな」
彼が今気づいたとばかりに声を上げる。腰を折られた七里は少々ムッとしたがよくよく血を洗い流してきたはずなのに、鼻の効く奴は
これだから、と呆れた。
「うっわ、しかもこの甘ったるい臭い、人間じゃねェの?何?殺ってきた?」
「・・・・・殺ってはいない」
七里がうつむき加減に答えると、オトネは少し面食らったようだった。
「へえ、昔はお前殺す事で生きてたのにな。変わってないのは外見だけか」
言ったとたん、七里の表情が変化する。きつく眉を寄せ、何かを押しとどめるかのように口をひきむすんで。
やがて息をするのさえ忘れていたかのように、彼は強く息を吐き出した。
「・・・・・お前に用はないと言ったはずだ。リアンを出せ」
オトネから視線をはずして、彼は言う。オトネは気のない返事を返してから、自分の拳で頭の側面を軽く2回ほどたたいた。
「姉貴、起きてるかぁ?アンタの可愛い仔猫ちゃんが来てるぜ」
「誰が仔猫だ・・・」
オトネをにらむと、彼はおどけて猫の鳴きマネをしてみせる。
不機嫌に顔をゆがまる七里の目の前で、オトネが徐々に形を変えつつあった。
ガッシリとした男性の身体から、丸みを帯びた女性へと。
その光景は、官能的であり、同時にとてもグロテスクなものだった。
骨や筋肉が今あった形からもう1つのあるべき形へと変わるべく、生々しい音をたてる。
(いつ見ても慣れないな・・・)
異形の変形を目の当たりにし、悪寒が走るのを自覚しつつ、七里は思う。
皮フの下で何かが蠢く様がこんなにも恐怖心を誘うとは思わなかった。
その間、約10秒ほど。
やがて完全にパーツが組み合わさると、彼は、いや彼女は2、3度まばたきをしてから目を開いた。
「いらっしゃい、七里」
つややかな黒髪を胸に遊ばせ、ふんわりと隙のない笑顔で彼女は言う。
「リアン・・・」
「引っ越してからそんなにたってないっていうのに、よくここがわかったわね」
「お前の“気”は独特だ。そんなに苦労しなくても見つけ出せた。・・・・・どうせ、わかっていたんだろう」
言って見やると、彼女は無言で笑ってみせた。
「ここに来るまでに会ったのは、あの人間だけだったからな。妖怪共には1匹も出くわさなかった。・・・・・これは、歓迎されていると、
とってもかまわないということか?」
リアンがヒールのかかとをならして、1歩、七里に近づく。七里が動かずにいると、彼女は右手を伸ばし、七里のあごをとった。
そして軽く上向かせ、その瞳をのぞきこむ。
「・・・どうかしら?この身体・・・気に入った?」
ほとんど吐息と化したささやきに、質問の答えが微かに含まれていることを七里は感じ取った。
あの人間をさしむけたのは彼女だろう。そして試したのだ。
この身体で、
心で。
人が殺せるかどうか。
息を吐き出す。水分の無くなった気管から、ひゅう、と音が漏れた。
彼女の瞳。
七里とは対照的な、暗い色の瞳。
これ以上見るな、見てはいけない。
細胞のひとつひとつが、自分より強い者に対する警告音をやかましく叫んでいる。
彼女のきれいに手入れされた、長く鋭い爪が、七里の頬にくい込んだ。
赤い液体がせり上がる。
球状だったそれは、やがてリアンが指を動かす方向へと、流れ落ちた。
七里はされるがままに、彼女の瞳から目がそらせないでいて。
彼女が離れるときに頬に感じた、ヌルリとした感触に、我に返る。自分の顔から遠ざかるリアンの爪と指から、肉と血のこげる、嫌な
臭い。
彼女の指先は、しゅうしゅうと煙を上げながら醜くただれていた。
「・・・猛毒の血も、昔のまんま・・・」
触れただけで毒死する可能性もあるこの能力を、彼は生まれた時からもっていた。
リアンに変えられたこの姿になってからも、変わらず自分の中身を流れている。
ただ血液が強い毒素に変化するのは、気持ちが高ぶった時、感情が心を支配したときだけで、普段の彼の血は相手を死に至らしめるほど
ではない。
問題なのは、それが自分で制御できないことだ。
リアンの場合はわざとだろうが、今までこの力で何をいくつ傷つけてきたか知れない。
こんな力、ありがたいと思ったこともない。
そこまで考えて、皮肉に口端をつりあげた。
何をそんなに恐れている?
妖怪のくせに。
ズキ。
自分ではじき出した言葉に、予想以上のショックを受ける。
そして何故か、頭にうかんだ、濃紺の髪を持つ彼の姿。
弱い自分が嫌になる。
悔しくて、唇をかみしめると苦い血の味がした。自分には効かない、猛毒の液体。
赤い色。せめて紫とかならまだ妖怪らしかったかもしれないなんて、くだらないことが思い浮かんだ。
正面にいるリアンが微笑した気配を感じ取り、彼女を見上げる。
挑むようなまなざしの七里に、リアンはゆっくりと話しかけた。
「・・・ごめんなさいね、ひさしぶりに会ったものだから、嬉しくて。ああ、きれいな肌に傷をつけてしまったわ。でも、血にまみれたあな
たは、もっと・・・ステキでしょうね・・・」
ホウ、とため息をつきながら夢みる少女のごとく頬を染め、瞳をうるませる彼女は、間違いなくオトネの姉だと七里は脱力する。
「・・・そういえば、あの子はどうしたの?元気にしてるのかしら?」
その言葉に反応して、七里の身体が少しゆれた。
「・・・・・お前があいつの事を口にするな」
「アラ、怖いわね。そんな気に入ってるの?あの坊や」
「黙れ」
「紺色の髪がとってもキレイだったわね。いつか手に入れてみたいわ。あなたのその姿と、彼と対照的にしてみたのよ?キレイでしょう?」
「リアン!!」
「・・・・・・・・・・まだひきずっているのね」
彼女は微笑をうかべた顔を急に切り換え、無表情に七里を見下ろす。
「どうして?あんなこと、いくらでもやってきたことじゃない。あの子は何が違ったって言うのよ」
七里はしばらく沈黙していたが、彼女がいつまでも答えを待っていそうだったので、話を換えようと口を開いた。
「・・・・・娘を・・・さがしに来た。如月の者と間違えてさらっただろう」
その言葉が答えでなかったことにリアンはかすかに眉をひそめたが、あきらめたのかひとつ嘆息してただれていたはずの指を頬にあてがった。
「たしかにうちのおバカさんな部下が間違えてさらってきたらしいけど・・・後始末はすべてオトネにまかせたから、どうなったのかなんて
知らないわ。オトネ、どうなの?」
七里に背をむけソファに向かいながら、リアンは体の中の弟にたずねる。
『殺しはしてねーよォ。でも、どこにいるかは内緒だ。もうすぐあいつらが来るから皆でゲームしちゃったりなんかしようぜぃ』
「だそうよ?」
「もうすぐ・・・来る・・・?」
オトネの発した言葉の中の、聞き捨てならないものに、七里はわずかに目を見開いた。
もうすぐ来る。まさか。
とっさに思いうかんだのは、家に残してきた、彼達。
「でもそれだったらせっかく七里がいるのだし、あの娘と一緒に賞品になってもらいましょう」
彼女がにっこり笑って言ったとたん、驚いて動きの鈍くなっていた七里を黒い触手のようなものが捕らえた。
「な・・・・・ッ!!」
七里は思わず声を上げる。
身体のいたるところに巻きつく、しかし質感のない煙のようなそれは、七里を軽々と持ち上げ、闇の中へ連れ込もうとする。
楽しそうに見送るリアンを、七里は思い切りにらみあげた。
「賞品は多い方が、ゲームももりあがるわね」
七里が闇にのみ込まれる寸前、彼女は心底嬉しそうに、妖艶たる笑みを見せる。
(紺・・・ミコト・・・!!)
闇に視界がふさがれ、もうろうとする意識の中、七里は必死に彼らを呼んだ。
(来るな・・・来るんじゃない・・・!!殺される・・・!!)
「兄さん?」
一陣の風が兄の声を乗せて来たような気がして、紺は急ぎ気味に動いていた足を止めた。
ここは山のふもと。例の妖怪のすみかへと向かう途中である。
つまり彼は兄の歩いた道をたどっているのだ。
「どーしたのー?」
立ち止まって空をあおぐ紺に、後方から息も切れ切れにミコトが声を上げた。
それにちらりと目をやって、紺は左右に首を振る。
「もー登るの早いー・・・。ただでさえ夜で暗いってのに」
ぶつぶつ文句を言いながら険しい道を進むミコトがおいつくのを待って、紺は再び足を動かした。
ミコトが七里の張った結界に挑み、なんとか破壊したのが1時間ほど前。全力を出したのにえらく時間がかかってしまったとミコトは
自分の未熟さを悔やんだ。
しばらく進むと、山の中腹に周りの大自然にまったくそぐわない外装の館が見えはじめた。
「これが妖怪のすみかぁ?何か派手ねェ・・・」
門の前に堂々と立ち、素直な感想を口にするミコト。その足元には、ミコトの術によって沈められた門番達が3匹ほど転がっていた。
紺は、あっという間に勝利したミコトとのびている妖怪共を交互に見やり、
「お前って・・・けっこう強かったんだな・・・」
ぽつり、としたつぶやきは、ミコトの耳にしっかりと届いたようだ。
「そおよー、昔っから修行修行ってもー死んじゃうかと思ったぐらいだったんだから。だてに如月の跡取りじゃないわよってね」
「辛くなかったのか・・・?」
何だか神妙にたずねてくる彼に多少驚きながらも、ミコトはふり返って苦笑した。
「辛かったわよ。今も辛い。何でマイがさらわれたのか、何故七里さんがここにいるのか。わかんないことばっかり」
そう言って目を伏せる。紺は、今にも泣きそうなその表情にドキリとしたが、彼女は涙を流さなかった。
それどころか、彼女は笑って言うのだ。
「でも、薄々わかってるの。他人の倍以上の修行も、マイがさらわれたのも、七里さんがここにいるのも、あたしのせいだって」
紺は何と言っていいのかわからず、ミコトの悲しそうな笑顔から目をそらした。
「ごめんね、紺くん。あたし、こんな時どんな顔したらいいか、わからないの。泣きたいけど、泣けないの。笑顔しか、知らないの。
ごめんね・・・・・」
声は震えていて、ミコトは本当は泣いているのだと、紺は思った。けれど、彼女を心配してそばに寄るサオに向ける顔は、いつもの
彼女のそれであった。
『泣くな』
ミコトの耳に、なつかしき人々の声がこだまする。
小さかった自分。それを囲む大人達。
『強くなるんだ。ミコト』
『もっと強く。お前はそれだけを考えていればいい』
『泣くんじゃないよ、強くならなければいけないんだ。何故ならお前は――・・・』
「父さんの、娘だもの・・・」
いつだったか・・・太雄がこんなことをきいてきたことがあった。
『泣かないのか』
ミコトは答える。
『泣かないわ』
『辛いんだろう』
そう言う師匠のほうが、もっと辛そうよ?
『うん。でも、強くなるの』
笑顔。
『ここでは泣いてもかまわないんだぞ』
悲しそうな太雄を見て、
『ありがとう。いつか、その時が来たら』
それでも彼女は、笑顔のままで。
『すまない』
と言ったのは誰だったか。
ミコトの聞いた、彼の最後の言葉。
何を謝ってるの、父さん――・・・。
「さて、じゃあ中に入ろっか。何か都合良く門もあいてるし」
サオの頭をぽん、とたたいて、ミコトは目の前の館を見上げた。
さっさと歩き出したミコトに、紺は慌てる。
「あっ!オイコラ、気をつけろよ!!トラップあるかもしんないし!」
「え?そうかな・・・そういう気配はしないけど・・・」
彼女が言いながら玄関の扉を押し開けた。
中からざあっと冷たい風が吹きつけて、ミコトの肌が粟立つ。
そこは広いホールのようだった。しかし。
「広い・・・・・広すぎる・・・」
ダンスホールのように何もないその部屋は、向こうの壁が白くかすんで見えないほど広かった。どう見ても外から見た館の奥行きより
も何倍もある。
「うーん・・・妖術ね、これは。さっそくトラップに引っかかったかも。不覚」
「ホントにそう思ってんのか?」
「思ってるわよ。入ってきた扉は消えちゃったし」
「エエッ!?」
ふり返る紺。そこにはただ延々と続く床、床、床・・・・・。
「・・・・・」
「あたしが入る前に気がつかないなんて、やるわね・・・」
「言ってる場合か・・・・・」
紺が額を押さえてうめいたとき、サオが鋭い声でミコトを呼んだ。
「コトッ!!何か来る!!」
「大きいぞ。構えろ」
言ってミヤが扇を広げる。
一瞬で緊張した空気を裏切ることなく、そのモノは床の中からズルズルとはい出した。
ヌルヌルと黒光りする体、長く太い触手が5本。その先端はさらに5本に分かれている。そして本体の中心には鋭いキバでおおわれた、
大きな口らしきものがあった。
「うわー・・・何だアレ、気持ち悪っ」
声を上げたのは紺だ。かなり嫌そうに顔をゆがめ、それでも視線は外さずにいる。
「妖魔かなあ・・・あんなグロいの、見たことないけど。きっと造ったヤツが腐ってんのネ」
妖魔とは、人間の術使いで言うところの式神のようなものである。術を使うことのできる妖怪は、自分の体の一部などを使って妖魔を
造り、悪事を働く者が多数いる。
「お主ら、もう少し緊張感とゆーものを持ったらどうじゃ」
すかさずミヤのきびしい切り込みが入ったが、ミコトはそれをさらりとかわした。
「だって、あんなの見たら気持ちもなえるっちゅーのよ」
「でもあれ、強いと思う」
敵から目をはなさず、サオも言う。ミコトはやれやれとふところから札を3枚、取り出した。
「じゃあ、こっちから仕掛けるわよ。サオは左、ミヤは右ね。あたしフォローするから」
「了解」
「わかった」
ミヤは8等身に姿を変えたが、サオは犬耳犬しっぽのまま飛び出したので、ミコトは驚いた。
「ちょっ・・・ちょっとサオー!!あんた変化しなさいよ!!」
「こっちのほうが動きやすいからいいのー!!」
「いいのって・・・術力半減してるんでしょォ!?」
ああしかし、時すでに遅し。
サオは妖魔の攻撃可能範囲まで間合いをつめてしまっている。ムチのように動く触手をひょいとよけながら、一撃を喰らわせようと構えた。
ミコトは1つ舌打ちをして、札に術をかける。
「我示す者に力を与えたまえ!雷!!」
よいしょおっというかけ声つきでミコトが投げた『雷』のやどった札は、まっすぐサオにむかい、彼の背中にはりついた。
『雷』の力を得たサオの拳は、大きな爆発音をともなって敵の本体のめり込む。
相手のひるんだスキをねらって、ここぞとばかりにミヤも攻撃をしかけた。
扇を閉じ、空を切る。風は炎の刃となり、敵を襲った。
「やったかな?」
あっという間に炎に囲まれてゆく妖魔を見やり、ミコトがつぶやく。
「いや、まだだ」
彼がそう言ったのと、ミコトの横をすりぬけてゆくのは、ほぼ同時だった。
「こ・・・紺くんッ!?」
彼の突然の行動に、ミコトは思わず手を伸ばしたがとどかず、紺は一直線に敵へとつっ込む。
せまる危険を感じたのか、妖魔は炎に包まれながらも攻撃するべく触手をうならせた。火事場の馬鹿力とでも言おうか、その威力に油断して
いたサオとミヤは天井近くまではね飛ばされる。
紺は自分に向かってせまりくる触手をすばやく回避し、のびきったそれを足場にかなりの跳躍を見せた。
妖魔の頭上まで来ると、彼は構える。空中では防備が薄くなることを知っていた妖魔は、落下しはじめた紺に一斉に攻撃を仕掛けた。
彼はそれにニヤリ、と笑い。
「オラァ!!!」
ズバンッ!!!
ふりかぶった腕1本で、すべてを引き裂いてしまった。
そのままの勢いで、奇声をあげる本体へと着地。ズドン、という鈍い音。
彼は相手が反撃するよりも早く、右腕を妖魔の口(と思われる)の中へつき入れた。
ギイィィィッ!!!
「うっせーな!!鳴くんじゃねーよ!!」
妖魔がよりいっそう大きく鳴き、紺はあまりのやかましさに思わず叫ぶ。
閉じようとする妖魔の口を足と左手で押さえつけ、さらにこじ開けながら右腕を勢いよく口腔内にめり込ませると、目的のものが指先に
ふれた。
「よっし!!」
そして体ごと思い切り引き抜く。
飛び散る、血と、肉片と、神経系のような管。
紺が妖魔から飛びのくと、妖魔はそれを合図のように、ザラザラとくずれさった。
「ふー・・・」
砂になった返り血をパタパタとはらい落としながら、紺はミコトの元へ歩いてもどる。
ミコトはぽかんと紺を見上げた。素直に驚いている顔である。
「・・・・・何だよ、その顔」
「いや・・・・強いのね・・・・・紺くん・・・」
「そうかぁ?兄さんなんかもっと強いぜ?」
「意外ってゆーか、何か外見にそぐわない強さだよ・・・わかってたけど」
頭を軽く振って薄く笑うミコトの元に、サオとミヤも走って戻ってきた。
「ミコト、すまぬ。油断した」
苦々しく謝罪を口にするミヤに、ミコトは明るく笑いかける。
「いーのいーの。紺くんが勝ってくれたし結果オーライっちゅーことで」
「いいのかそれで・・・」
紺は呆れてミコトを見やるが、ミコトは無視して話を進めた。
「ところでさ、妖魔ん中手ェ突っ込んで何してたの?何か見ててスゴかったよ」
「あぁ、これか?」
言って開く彼の手の平には、
「針?」
1本の、裁縫に使うようなどこにでもある銀色の棒針。
「・・・これ、何?」
ミコトは紺から針を受け取っていろんな角度からながめてみるが、別段何が特別ということもないその針が何なのか、彼女はさっぱり見当も
つかなかった。
ただ、売っているものと1つ違うのは、その針は使えないものであると言うこと。頭のあたりが欠けていて、これでは糸を通してもすぐに
外れてしまうだろう。
ミコトは紺に視線をうつし、彼に説明を求めた。
「まぁ、簡単に言うとあの妖魔にとっての心臓みたいなモンだ。多分、この針から造ったんだろうな。使われなくなった道具は暗いものが
集まりやすいから、それを増幅させたりとかしたんじゃねェの」
「・・・・・よく知ってるのね・・・」
ミコトが素直な感心を紺に向けると、彼は照れたようにそっぽを向いて、
「うけうりだ」
とつぶやいた。どうやら兄に教わったものであるらしいことは容易に想像できる。
そんな様子に思わずミコトが笑い出すと、紺はムッとしたらしく反論しようと口を開きかけた。
そのとき。
永遠に続くかと思われた広い空間が瞬時にして崩れ去り、また別の場所――これが本来の部屋なのだろう――が現れた。
さきほどとは対照的に暗い、小さな部屋で、照明もほのかに光るランプが1つだけ。
妖術が解けたのだとミコトが気づいたとき、奥の、ランプの光も届かない闇から、コツ、という靴音が響いた。
「誰・・・?」
ミコトはそこに向かって呼びかける。敵のアジトなのだから敵以外にありえないのだが、もしかしたらマイか七里という可能性もあったからだ。
「よく来てくれたわね」
ミコトの呼びかけに応えたのは、若い女の声。聞き覚えがないと判断したミコトは、静かに構えをとった。
そして闇の中から現れたのは。
スラリとした体躯と、深い夜の色をたたえた髪を持つ女。
彼女はにっこりと笑ってみせた。
優しげであり、・・・それでいて、不敵と言わざるを得ない、そんな笑みを。
後編に続く
+++作者から+++
まだ終わらなくてすいません。
中編でした。