そう思うと本の中のあらゆる人物がー本の糸のようにつながりました。
司祭として殉教するガルペ、信仰を頑なに守り殉教するモキチたち、
転んだ教父フェレイラ、そして何よりロドリゴ、キチジロー、筑後守の三人。
彼らはただの聖書の再現ではなく、作者の信仰上の苦悩を体現し、
三者の衝突から矛盾の解決を試みた、
彼の戦いの跡だったのではないでしょうか。
今ではロドリゴの得た神の心が尊く思えます。
内容ではなく、自らの内面に挑んで大きなものを掴んだ作者の姿を
感じるからです。が、私にはまだ疑問があります。キチジローの行方です。
ロドリゴの最期は語られているのに、彼に関しては後日談のみ。
その人生の結末は否として知れないのです。
ひょっとしたら作者が最も描きたかったのは彼だったのではないでしょうか。
確かに作者は新たな神の像を得、
その愛は棄教者も愛すという認識を示しました。
しかし私はキチジローの最後を語らぬことで、
作者がさらなる模策を続けることを暗に語っているような気がします。
それは懐疑的になりつつもついに信仰を棄て切れなかった
彼の一生に表れてはいないでしょうか。
最後の数ページで不親切なほど難解な文体と客観的立場から見た形式が
とられているのも、それが他に向けて発されたものではなく
自身への督励であることの証のように思えます。