しかしそれ以来、私は言い様のない悔しさに襲われました。

やはり答えを手に入れたい。

考え抜いた末に、私はお盆の供養にいらしたご住職に助けを求めました。

普段から宗教に接しておられる方ならもしやと思ったのです。

ご住職はゆっくりと丁寧に教えてくださいました。まさに異教徒(ゼンチョ)の意見。

が、私は行き詰まってしまいます。二律背反。

ご住職の答えにも司祭の考えにも私はなるほどと納得してしまうのです。

どちらが正しいのだろう。二者をくらべたとき、私の中で何かが閃きました。

宗教という枠に囚われるあまり、司祭を論破することに執着しすぎてはいないか。

信仰にこだわらずもっと広く見るべきではないか。

「偏ることなく考えなさい。」このご住職の言葉を思い出したとき、

私はこの本への本当の誤解に気づきました。

私がずっと惹かれ続けていたのは他の誰でもない、作者なのです。

作中にはなくとも、その身を様々な立場の人物にわけて

自らの信仰を模策するその姿を、私は追いかけていたのです。
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