それが祖父の死でした。
祖父は脳出血で亡くなるまでの約半年、寝たきりでした。
脳は死んでいるのです。意識は既になく、身体も動きません。
完全看護の病院に入っていましたが、
風邪程の小さな病気で少しずつ衰弱してゆくのを、
家族はただ黙って見ているだけです。
横たわるこの理科室の骸骨模型が祖父だなんて。
床ずれをつくっているこの人形がまさかあの祖父だなんて
――何度機械のコンセントを抜いてやろうと思ったかしれません。
青年期は兵隊として、復員してからは働き蜂と言われるほど働き、
経済大国のそして五十余年と続く平和の礎となったあの祖父の姿が、
これだというのです。
意識がないため本人はなにも言いませんが、
厳格に生きてきた祖父の人生でこれほど屈辱的なこともないでしょう。
もし祖父の声を聞くことができたなら祖父はきっと私たちに、
生きて手を煩わせたくない、人間らしく死なせてくれと告げるはずです。
喜助の弟のような耐え難い苦痛も、
剃刀を抜けという催促もありませんでしたが、
もし私が死を前にしその僅かな生が愛する人々に迷惑となるなら、
私は生きながらえることを望みません。