トップ > 歴史ステーションセミナー > 絵解き 源平合戦図屏風 > 屏風を見る > 屏風はどこまでほんとうなの?

絵解き 源平合戦図屏風

絵解き 源平合戦図屏風
屏風はどこまでほんとうなの?

源平合戦図屏風

 この屏風は江戸時代前期(17世紀)に描かれた絵画作品ですので、残念ながら12世紀の一の谷合戦を忠実に再現したものとは言えません。屏風の描写と合戦の実像とが合う部分と違う部分とを調べてみましょう。

武士のいでたち

○大鎧
○大鎧
×烏帽子形の兜
×烏帽子形の兜
×変わり兜
×変わり兜
×素懸威胴具足
×素懸威胴具足

 武士の甲冑(かっちゅう)姿は、基本的には平安・鎌倉時代の大鎧(おおよろい)を着用した姿で描かれています。しかし、細かく見ると、烏帽子(えぼし)の形をしている兜(かぶと)、毛の付いた兜(変わり兜)や、綴り紐がまばらな甲冑(素懸威胴具足=すがけおどしどうぐそく)など、戦国時代以降の甲冑姿も入りまじっています。

 屏風を見る

騎馬武者の武器

×長刀で戦う騎馬武者
×長刀で戦う騎馬武者
○弓を射る騎馬武者
○弓を射る騎馬武者

 屏風では、長刀(なぎなた)で戦う騎馬武者(きばむしゃ)が多数描かれています。しかし、騎馬武者の武器として長刀が主流になるのは南北朝(なんぼくちょう)時代以降のことで、源平のころは弓を射て戦い、接近戦になってから太刀(たち)を抜くのが普通でした。

 屏風を見る

城郭

×石垣・白壁
×石垣・白壁
○矢倉・垣楯
○矢倉・垣楯
○柵・逆茂木
○柵・逆茂木

 平家方の城郭として描かれている石垣や四角い矢狭間(やざま)のあけられた白壁は、源平合戦のころの城郭にあったとは考えられません。『平家物語』では、城郭の構造物として、矢倉(やぐら)・垣楯(かいだて)・柵(さく)・逆茂木(さかもぎ)・堀などが記されています。この屏風には、これらも合わせて描かれています。

 また、平家方が福原周辺まで進出してきたのは寿永3(1184)年正月上旬と見られています。合戦はこの年の2月7日でしたので、屏風に描かれているような重厚な城郭を建設する時間的余裕はなかったと考えられます。

 屏風を見る

船

×船 (構造船)
×船(構造船)
○船 (準構造船)天神縁起絵巻(永正本)、英賀神社蔵
○船(準構造船)
天神縁起絵巻(永正本)、英賀神社蔵

 平家方が乗る船は、船底に丸木船の部分がない構造船(こうぞうせん)と呼ばれるもので、室町時代以降に現れたものです。源平合戦の頃は、丸木船の上に舷側板(げんそくばん)を取り付けた準構造船(じゅんこうぞうせん)が大型船の主流でした。

 屏風を見る
▲ページトップへ