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学芸員コラム れきはく講座

 こんにちは。兵庫県立歴史博物館です。このコラムは、当館の学芸員が兵庫県域の歴史や、あるいはさまざまな文化財に関するちょっとしたお話をご紹介していくものです。一月から二月に一度のペースで更新していきたいと考えていますので、どうぞよろしくお付き合いください。

 

第67回:館蔵「鉢かづき(延宝四年絵入本)」とその画中画について 2015年10月15日

学芸員 相田 愛子

 

 館蔵「鉢かづき」(2冊)は、入江コレクションのうちの1点で、延宝四年(1676)に刊行された絵入の大本(※B5サイズ程度の和本)です【注1】。上下巻ともに表紙を、主文様に牡丹文を、地文様に卍字繋文(まんじつなぎもん)を刷りだした、美しい丹表紙(たんびょうし)で装幀しています【図版1】。こうした丹表紙は、寛永(1624〜1645)前後頃の版本に用いられる特徴を持つ【注2】ことから、館蔵本は刊記のとおり延宝四年の発行とみなしてさしつかえないでしょう。

【図版1】「鉢かづき 上巻・下巻」(館蔵) 丹表紙

 「鉢かづき(延宝四年刊絵入本)」兵庫県立歴史博物館所蔵 〈外題〉なし。 〈内題〉「はちかづき上(下)」 〈刊年〉延宝四年 〈柱刻(版心)〉「はちかつき 上(下) (丁数)」 〈表紙〉丹表紙(卍字繋文型押)。 〈装幀〉袋綴じ。 〈料紙〉楮紙。 〈巻数〉二巻。 〈数量〉二冊。 〈寸法〉縦二四・九p、横一六・六p。 〈匡郭〉縦二一・八p、横一五・八p。 〈紙数〉上一〇・五丁、下一〇丁。 〈一面行数〉一四行。 〈本文用字〉漢字・平仮名 〈挿絵〉全五図(上冊、見開き一図・片面二図。下冊、見開き一図・片面一図) 〈刊記〉「延宝四丙辰年霜月吉日」

 『鉢かづき』の物語は、現代でも昔話や童話として親しまれており、ご存じの方も多いのではないでしょうか。内容を端的に示せば、女主人公がいじわるな継母にいじめられ、苦難を味わいますが、最後にはすてきな男性と結ばれてしあわせになるという和製シンデレラ・ストーリーです。ただし妖精や魔女は登場せず、かわりに観音さまのご利益がほのめかされています。

 この『鉢かづき』テクスト(本文)には伝本により異動があり、先行研究によって、室町時代末から江戸時代前期の古写本(奈良絵本・絵巻)を中心としたもの〈T類〉と、江戸時代の古写本・古活字本・版本へと流れるもの〈U類〉の、大きく2系統にわけられ、考察されてきました。小林健二氏による近年めざましい研究では、素朴な本文の〈T類〉をもとに、増幅・増補するかたちで〈U類〉の古写本系の本文が生まれ、古活字本・版本による流布本へと展開したものと、見定められました。〈U類〉はさらに、古活字丹緑(たんろく)版→寛永製版→万治高橋版→御伽文庫本という流れと、それに平行して古活字丹緑版→寛永製版→(松会本の元となった上方版)→松会本という二つの流れが存在したことも指摘されています【注3】。

 延宝四年絵入本については、後印(後刷)が西尾市岩瀬文庫や早稲田大学図書館などにも所蔵されていることが、各機関の公開データベースから確かめられます【注4】。とくに早稲田大学図書館のものは、下巻の裏表紙裏に「津逮堂蔵版/京都市三条通御幸町角/吉野屋 大谷仁兵衛」とあり、明治期に京都で再版されたものであることがわかります。延宝四年に開版されてから、およそ200年という長い時間、上方で親しまれた版だったと言うことができましょう。さらに早稲田大学図書館には、その版木自体が5枚までも残されています。

 館蔵ほかの延宝四年絵入本は、万治二年(1659)に江戸で刊行された松会本(筑波大学図書館所蔵)の流れをくむものです。先学の指摘どおり松会本は、挿絵・本文について先行する諸本の不備を正そうとする意図が明白で、それまでのものと異同が大きく、後代への影響という点でも重要視されるべき伝本です【注5】。ただ、その後に開版された延宝四年本について、松会本と同版かと思われるほど同一ではあるのですが、上方での普及率や受容された期間という面から、今後もっと注視されてもよいように感じられます。

 

 また絵入版本の挿絵の受容という観点からみれば、松会本・延宝四年絵入本について気にかかるのが挿絵のなかの屏風絵(画中画)です。

 松会本・延宝四年絵入本に描かれた挿絵の内容は、次の通りです。姫君が母君から鉢をかづけられる場面(上・見開き)。船頭に助けられ放浪をつづける場面(上・片面)。湯殿の湯沸かしとして雇われた家で、御曹司から見初められる場面(上・片面)。「嫁合(よめあわせ)」という行事で舅から認められる場面(下・見開き)。長谷寺にて実父と再会する場面(下・片面)。以上の、全部で5点です。

 このうち見開きの挿絵である、母君から鉢をかづけられる場面と、「嫁合」の場面では、人物の背後に屏風がたてめぐらされ情趣をそえています。クライマックスである「嫁合」の場面の屏風絵は、画面下辺に近景としてクローズアップした葦草、中段あたりに中景から遠景の海浜とおぼしき松林が描かれており【図版2】、ちょうど室町時代の「浜松図屏風」(東京国立博物館所蔵)などのような趣となっています。画面は墨刷(モノクローム)なのですが、金銀箔の散らされた色彩豊かな水辺の景が想定されているのでしょう。めでたいクライマックスにふさわしい画中画です。

【図版2】「鉢かづき 下巻」(館蔵) 三丁裏・四丁表
【図版3】「鉢かづき 上巻」(館蔵) 二丁裏・三丁表

 一方で、母君から鉢をかづけられる場面の屏風は、病をえて亡くなる間際の母君の背後に立てられたもので、白い波しぶきをあげる荒々しい海のさまが描かれています【図版3】。その上畳(あげだたみ)は、縁に波涛文を施したものです。父君の座る上畳の縁にも、同様の波涛文が表現されています。なお、それまでの「鉢かづき」諸本には、波涛文を画中画とする伝本は、管見の限り見出すことはできず、松会本・延宝四年絵入本において改訂された図様であると、位置づけられます。

 これら画中画の荒波や波涛文は、まるで、これから姫君に降りかかるさまざまな苦難や、姫君を残して他界しようとする母君の胸の内を暗示しているかのようです。あるいは、母君がこれから逝こうとする補陀落海(ふだらくかい)もまた、重ねられているのかもしれません。たとえば観音菩薩をとく『法華経』普門品(別名、観音経)を主題とした有名な釈教歌には、藤原定家による次のような一首があります。(母・美福門院加賀の一周忌にあわせて、この釈教歌をもとづく『法華経』見返絵を制作しようと詠んだ和歌です。)

 「歴劫の弘誓の海に舟わたせ生死の波は冬あらくとも」(『拾遺愚草』2950)

 水は、挿絵だけでなくもちろん『鉢かづき』の物語のなかでも、作中人物の心中を表す重要なモチーフです。たとえば、姫君が川に身を投げて自殺を試み、漁師の舟に助けられた場面では、次のような和歌を詠んでいます。

  「川なみの そこにこのみの とまれかし などふたたびは うきあかりけん」(以下、引用はいずれも館蔵「鉢かづき(延宝四年絵入本)」より)

 はげしく白波立つ川の底に、現世よりもましな世界を見出していた姫君。その背景には、亡母が転生しているであろう観音菩薩の補陀落山浄土(ふだらくせんじょうど)の蓮池が念頭にあったのではないでしょうか。水が、死をもたらす川波の底と浄土世界の蓮池とを結びつけており、「救い」が象徴されているようです。

 

 また、目前にせまった「嫁合」からの逃亡をはかる場面では、御曹司・宰相君(さいしょうのきみ)と姫君とは、涙をこぼしながら次のような和歌を詠みかわしています。

  「きみ思ふ 心のうちへ わきかへる いはまの水に たぐへてもみよ」

  「わがおもふ 心のうちも わきかへる いはまの水を みるにつけても」

 この和歌と返歌では、ドウドウと沸きかえっている清流の「岩間の水」に、宰相君が姫君を思う心中がなぞらえられています。と同時に「岩間の水」は、宰相君の目にあふれる涙がたとえられたモチーフでもあります。

 これら三首の和歌では、波立つ川が情景として採用されており、それぞれ「救い」や「相手を思う心中」、「涙」が象徴されていました。母君から鉢をかづけられる場面で、波涛文を描いた屏風や上畳には、死にゆく母の「救い」や姫君を思う「心中」、親子三人の「涙」が暗示されたものと考えられます。

 

 ところで姫君は、雇われる際に宰相殿の父・山陰の三位中将から、こう問われます。

 「いづくのうら、いかなるさとのものぞ」

 それに対して姫君は答えます。

 「われはかたのゝへんにすみしものにて候。はゝにほとなくをくれ、思ひのあまりにかゝるかたわさへつきて候へは、あはれむものもなきまゝに、なにはのうらによしなしと、あしにまかせてまよひありき候」

 また、まもなく姫君と長谷寺で再会する実父は、次のように述懐します。

 「その身が人のやうにもあらばこそ、いづくのうらにすみいかなるうきめをもみるらん、ふびんのものかな」

 これらから、姫君が湯殿の湯沸かしとなる前に放浪した場所は、海に面した「浦」であったことがわかります。そうしてみれば、浦をあとにして訪れた山陰の三位中将の屋敷こそ、姫君にとっての補陀落山浄土としての位置づけなのかもしれません。『鉢かづき』の物語が観音霊験譚でもあることを思い合わせるとき、やはり鉢をかづけられる場面の画中画の波涛には、川波にくわえて南方・補陀落海が重層的にイメージされているようです。

 松会本・延宝四年絵入本における波涛文の画中画は、このように物語の内容を咀嚼したうえで、その解釈を反映して改訂されたものとみなせます。とくに延宝四年絵入本は松会本を踏襲した版で、幕末にいたるまで長く受容されていたことを鑑みれば、波涛を描いた画中画も、その意図とともに江戸時代の人々に長く受け入れられていたのではないでしょうか。

 今回のコラムでは、館蔵「鉢かづき(延宝四年絵入本)」の基礎紹介とともに、画中画の特徴の一端を述べました。「鉢かづき」をはじめとした館蔵の物語絵画については、本年度末のWebサイト「ひょうご歴史ステーション」の新コンテンツでご紹介する予定です。どうぞご期待ください。

 

 

注1:香川雅信「(作品解説)54 御伽草子 はちかづき」『(展覧会図録)新世紀こども大博覧会〜入江コレクションにみる児童文化史400年〜』兵庫県立歴史博物館、2003年4月。

注2:監修者:中村康夫・編者:国文学研究資料館『和書のさまざま』和泉書院、2015年。

注3:小林健二「奈良絵本から絵入り版本へ−御伽草子本の出版をめぐって−」『国文学 解釈と鑑賞』50巻6号、1985年10月。松本隆信著『中世庶民文学 : 物語草子のゆくへ』汲古書院、1989年。岡田啓助著『鉢かづき研究』おうふう、2002年。小林健二「第二章 御伽草子『鉢かづき』の諸本」『寝屋川市史 第9巻』寝屋川市、2006年。小林健二「御伽草子「鉢かづき」諸本における本文の流動と固定?宰相の乳母と嫁比べの進言者をめぐって?」『國學院雑誌』108巻7号、2007年7月。

注4:西尾市岩瀬文庫ホームページ・西尾市岩瀬文庫古典籍書誌データベース https://www.i-repository.net/il/meta_pub/CsvDefault.exe?DEF_XSL=default&GRP_ID=G0000048&DB_ID=G0000048kotenseki&IS_TYPE=csv&IS_STYLE=default

   早稲田大学図書館ホームページ・古典籍総合データベース http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/