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学芸員コラム れきはく講座

 こんにちは。兵庫県立歴史博物館です。このコラムは、当館の学芸員が兵庫県域の歴史や、あるいはさまざまな文化財に関するちょっとしたお話をご紹介していくものです。一月から二月に一度のペースで更新していきたいと考えていますので、どうぞよろしくお付き合いください。

 

第34回:三ツ山大祭こぼれ話 2013年1月15日

館長補佐 小栗栖 健治

 

 この春、姫路城の東方に鎮座する播磨国総社(射楯兵主神社)で三ツ山大祭が行われる。20年に一度しか行われない希有な祭りで、なかなか面白い。そして、その面白さの筆頭にあげられるのが、神社に築かれる壮大なお山である。高さ18メートル、底部の直径10メートル。5階建てのビルに相当する高さのお山が三つも作られる。この三つのお山に因んで、三ツ山大祭と呼ばれている。

 20年前、私はこのお山の頂上に登る機会を得た。いわゆる役得であるが、頂上まで登るとなかなか怖い。下にいた時は無風に感じていても18メートルの上空は風があり、山はかなり揺れていた。手すりに掴まっていないと、気持ちが落ち着かない。神職の方は、毎朝この場所で祝詞を奏上する。ある時、私が「よく平然と立っていることができすね」と感心すると、神職の方は「そんなことはありません。必死で踏ん張っているんです」とお答えになった。

 お祭りの時、神様を喜ばせるために奉納するお囃子などの芸能を行う舞台を「造り山」と総称する。たとえば、京都の祇園祭の山鉾がそれだ。祇園祭に登場する山鉾は車が付いていて曳き廻すことができるが、総社のお山は飾って置いておくだけなので、「置山」と呼ばれる。この他に屋台に代表される人がかつぐ「舁山(かきやま)」があり、海上を移動する檀尻船なども造り山の一つだ。

 造り山は置山を古い形態とし、曳山、舁山、檀尻船へ展開したと考えられている。置山にもいろいろな形式があるが、三ツ山大祭で作られる置山は大きさや華やかさ、そして、歴史の古さからも日本を代表するものと言っても過言ではない。

 

 

三ツ山大祭(1993年)

 

○天神地祇祭

 この祭りは、天神地祇祭(てんしんちぎさい)の臨時祭として始まったとされる。天神地祇祭は播磨国の平安を願って行われる行事で、およそ60年に一度行われてきた。これが「一ツ山大祭」であり、「丁卯祭(ていぼうさい)」とも呼ばれる。その由来は、祭神の一つである兵主大神を勧請した欽明天皇25年(564)6月11日が丁卯(ひのとう)であったことによる。三ツ山大祭の始まりは、平安時代に瀬戸内で起きた藤原純友の乱の鎮圧を祈願して行われた臨時の天神地祇祭だという。20年に一度という周期は、播磨国守護赤松氏によって定められたとされる。

 天神地祇祭にお山が登場するのは、今から500年ほど前の大永年間(1521〜1527)のこと。その後、祭りの形式は基本的に変わらず現代社会に受け継がれた。中の日の大祭に登場する五種神事は、平安・鎌倉時代に流行した祭礼芸能の香りを漂わせている。

 

○三つのお山

 三つのお山は二色山(にしきやま)・五色山(ごしきやま)・小袖山(こそでやま)と呼ばれ、色布を巻いたり、小袖を飾り、華やかなものである。お山の側面に、田原藤太のムカデ退治をはじめとして勇猛な武将の人形が飾りつけられるのも、特色のひとつである。

 お山の頂上には山上殿(さんじょうでん)と呼ばれる社殿があり、それぞれに播磨国の大小明神、九所御霊(くしょごりょう)、天神地祇を迎え祀る。また、三つのお山と向き合う神門の上には門上殿(もんじょうでん)が設けられ、本殿から兵主大神と射楯大神を遷してお山に祀られる多くの神々を迎える。ここに播磨の総氏神としての射楯兵主神社の一面が見えている。

 

○町の賑わい

 兵乱に明け暮れた戦国時代が終わると、池田輝政によって現在の姫路城が築かれ、城下町の町並みが整えられた。射楯兵主神社は播磨国総社であると同時に、城下町姫路の氏神・鎮守となり、三ツ山大祭も城下町の祭礼として発展を遂げていく。祭りが始まると、城下の町々は浦島太郎や忠臣蔵などの物語をもとに屋根の上に等身大の人形を使った造り物を飾った。各町がその出来映えを競い合った豪華な人形絵巻は、見物人の人気の的となった。芝居や見せ物が町のあちこちで行われ、町ごとに即興の踊りや仮装をし、また、曳物を曳いて練り歩く。城下町・姫路は町をあげて娯楽の殿堂、三ツ山大祭のテーマパークと化し、20年に一度の熱狂を求めて近国近在から大勢の人が押し寄せた。嘉永7年(1854)、三ツ山大祭の期間中の人出は約70万人、城下で使われたお金は一万両にもなったという。なお、当時の姫路の人口は2万人に満たなかった。

 

 

昭和28年(1953)の人波
(当館蔵高橋秀吉コレクション)

 

○三ツ山大祭の魅力

 三ツ山大祭の文化財としての価値は、500年も前の祭礼の形式が現代社会に受け継がれ、行われているところにある。しかし、その魅力は、祭礼文化の面に限られるものではない。地域の経済効果と密接に結びついていたこと、姫路を活性化させる役割を担っていたこと、そこに三ツ山大祭の大きな魅力があると思うのである。そして、その原動力となったのは、それぞれの時代の人々がこの祭りに込めた祈りと願いだったのではないだろうか。

 三ツ山大祭は、3月31日から4月7日にかけて行われる。毎日でも御覧いただきたいが、1回で全てを見たいという人には4月3日がお勧め。総社と御旅所になる姫路城三の丸広場を往復しないといけないが、総社でお山を、三の丸広場では五種神事を見ることができる。