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学芸員コラム れきはく講座

 こんにちは。兵庫県立歴史博物館です。このコラムは、当館の学芸員が兵庫県域の歴史や、あるいはさまざまな文化財に関するちょっとしたお話をご紹介していくものです。一月から二月に一度のペースで更新していきたいと考えていますので、どうぞよろしくお付き合いください。

 

第30回:赤松則祐坐像―仏師宮内法橋(初代)の「法橋」位の取得 2012年9月15日

学芸課長 神戸 佳文

 

 当館秋の特別展「赤松円心・則祐」に兵庫県指定文化財の赤松則(そく)祐(ゆう)坐像(上郡町宝林寺蔵)が出展されます。赤松則祐(1311〜1371)は、赤松円心(1277〜1350)の三男で、南北朝時代の動乱を父とともに知力と決断力を持って行動し、赤松氏の隆盛を築き挙げた武将です。

 

赤松則祐坐像(兵庫・宝林寺蔵)

 

 赤松則祐像は、剃髪して僧衣、袈裟(けさ)を着す法体姿で、いわゆる頂相(ちんぞう)彫刻の形式で造られています。眼光の鋭い精悍な表情は、早くから仏門に入り、還俗してからも法体姿であったといわれている則祐の容姿やイメージをよく表していると思われます。

  『昭和50年度指定兵庫県文化財調査報告書』の解説によると頭部は南北朝時代の制作で、体部は「慶安三年/大仏師/摂州大坂住/法橋宮内宗慶/寅ノ/七月吉日/作付申候」の墨書銘が像内背面にあることから、江戸時代の慶安3年(1650)7月に「法橋宮内宗慶」という仏師によって修理を受けています。昭和61年秋に当館で開催した特別展「兵庫史をいろどる人びと」の折りに宝林寺から出展を許可され、その銘文を確認することができました。

像内背面修理墨書銘〔平成24年再撮影〕(兵庫・宝林寺蔵)

 現在では、則祐像を修理した「法橋宮内宗慶」という仏師は、通例「宮内法橋」という肩書きを仏師名として作例・修理例に記した仏師の初代であることが判明していますが、昭和61年の時点で確認していた「宮内法橋」の銘がある仏像は、貞享3年(1686)に制作された聖観音坐像(西脇市大通寺蔵)のみで、銘文の書体は則祐像の銘の書体とは異なっており、同じ名を名乗る別の仏師ではないかと考えておりました。

 その後、県内の仏像の調査を進めていく中で、淡路に「宮内法橋」銘の作例、修理例が集中しており、それらを調査することによって仏師名・肩書は「坂上宮内法橋宗慶」で、大坂本町五丁目に工房を構えていたことが判明しました。また、兵庫県以外の事例のデータを研究者の方々からいただくことができ、まとめたところ、西日本を中心に220を超える作例・修理例があり、活動期間は、慶安3年(1650)から享保15年(1730)までの80年に及び、作風、面相、銘文の書式、書体から、延宝4・5年(1676・7)頃に初代から二代に代替わりしたことも判明しました。(三代作と考えられる作例も一点あります)

 宝林寺の赤松則祐坐像が修理された慶安3年(1650)は、初代の経歴でも極めて古く、次の作例が万治2年(1659)3月の十輪寺(和歌山県みなべ町)聖観音坐像で、その間9年間の空白期間があります。また、初代の事例は少なく、2代のそれに比べて1/10以下しか確認されていませんでした。

 ところが、平成20〜21年に、宝塚市中山寺の宝冠釈迦如来坐像、十六羅漢像、弘法大師坐像、金剛力士立像の4件20躯が、初代の作であることが確認されました。十六羅漢像は寛文9〜10年(1669〜70)にかけて造立され、その時の年齢が66歳、67歳と書かれていること、さらに、金剛力士立像2躯の像内から「正保五年二月」「仏師大坂住宮内卿」等と書かれた札が発見され、正保5年(1648)には、まだ、「法橋」位を得ていなかったことが確認されました。その2年後の、慶安3年(1650)7月の宝林寺赤松則祐坐像の修理時に法橋であることを記しているので、中山寺金剛力士立像の造立が、「法橋」位を得る契機となったと考えられます。則祐像の「法橋宮内宗慶」と法橋を先に記した銘文には、法橋の位を得て間もないうれしさが込められているように思われます。

 なお、十六羅漢像に記された年齢から逆算して、初代は慶長10年(1605)生まれで、最後の事例と考えられる延宝4年(1676)時は72歳で、この後引退、あるいは死去したものと考えられます。二代の生年、年齢は不明ですが、現在のところ確認できる最後の事例が、享保15年(1730)で、世代交替の後、54年の活動が確認できることから、二代もかなり長命であったと思われます。なお金剛力士像の制作時の初代の年齢は44歳、則祐像の修理時は46歳と判明します。

 赤松則祐像は、かつて相国寺雲沢軒にあり、宝林寺に移されたことが『陰涼軒日録』から明らかにされ、そして袈裟は水色であったと記されています。いまの袈裟の彩色も水色であり、修理にあたっても元と同じ色を用い、像内の修理も矧目の補強をして、当初の像容に戻すという、現在の文化財の修理と似たような配慮が感じられます。

 特別展「赤松円心・則祐」では、この則祐像とともに、円心像、雪村友梅像、覚安尼像が宝林寺から出展されます。中山寺の金剛力士立像は仁王門、十六羅漢像は五百羅漢堂で拝観することができ、銘文等を紹介した『中山寺の歴史と文化財』はまもなく刊行される予定です。