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学芸員コラム れきはく講座

 こんにちは。兵庫県立歴史博物館です。このコラムは、当館の学芸員が兵庫県域の歴史や、あるいはさまざまな文化財に関するちょっとしたお話をご紹介していくものです。一月から二月に一度のペースで更新していきたいと考えていますので、どうぞよろしくお付き合いください。

 

第29回:城郭談義(その7)「形象化空間論(1)―期待値の表現と解釈―」 2012年8月15日

学芸員 堀田 浩之

 

 当館の城郭展示室(常設)では、日本国内12か所の現存天守を1/50の同一縮尺の模型で並べ、それぞれ相互比較できるのが大きな魅力となっています。“百聞は一見に如かず” の言葉どおり、天守の素材や大きさ、建築意匠や各部位の差異に天守の個性が浮かび上がってくるのですが、ある時、意表をつく感想を寄せられたことがありました。それは、犬山城天守を見た際のコメントで、なんと!“人の顔”のように見えるというものでした。

 さっそく、わたしも眺めてみますと、望楼正面の二つの火灯窓が目、その間の出入り扉を鼻とし、下方の唐破風と窓を髭と口に見立てれば、確かにそれらしい風貌が浮かび上がってくるではありませんか。そこであらためて考えてみたのです。最近、観光PRなどのイラストで目にすることの多い擬人化された天守の“ゆるキャラ”図像なども、ひょっとして、形に親近感を求める同種の文化現象(心理)に由来するのではないかと・・・。

 もともと犬山城天守の建築意匠が、“人の顔”を意図した確信的な作為によるものかは判りません。左右対称の形を是とする伝統技法の必然のセオリーが、場合によっては“人の顔”に近似することがあったと、一応の理由を考えてみるのも可能でしょう。しかし、顔の見立てという建造物に人格らしき個性を付帯させるイメージの操作が、見る側の認識の期待値に働きかけ、その表現に大きな影響を与えたとすれば、どうでしょう?

 因みに、姫路城大天守の大手正面(南側)も“人の顔”に見えなくもありません(比翼入母屋の二つ並んだ三角屋根が目、その下の出格子窓が口です)。案外、地域のシンボルとなる建造物への愛着というのは、擬人化の形に託された親和の表現と解釈の相乗効果により、無意識のうちに望ましい形象の創造と容認を促したのではないかと想像されます。城にまつわるアイテムもまた、その時どきの期待値を帯びた人間の認知の産物なのです。

犬山城天守模型(当館蔵:縮尺1/50)
姫路城の大天守(南側)

 

 ところで、姫路城内には“人の顔”のように見える石垣も所在し、ここ最近の観光名所として話題を集めています。「ぬノ門」前の枡形石垣がそれで、わざわざ大きな石が数個組み込まれているのですが、右折して「ぬノ門」へ進行する、まさに視線と動線の突当りにあって、目鼻口に見立てられた大石群が正面を立ち塞ぐ格好で佇んでいるわけです。城郭史研究では「鏡石」と称されることの多い、見せることを意識した特異な石組みですが、ここでは恰も魔除けの鬼瓦や鍾馗のように、外からの不意の侵入者を睨みつけて牽制するための装置として、判りやすい“顔系”の形象をイメージしたかったのでしょうか?

 実はこの人面石の観光デビューは、さほど古いものではありませんでした。20〜30年前の姫路城のガイド本では、お目に掛かれなかったと記憶します。そもそも姫路城内の見学順路が、い→ろ→は→に→ほノ各門から天守へ至り、備前門・腹切丸からの帰途に、り→ぬ→るノ各門を通過していくよう設定されており、問題の「ぬノ門」は内側から門外へ左折する逆動線となっていました。当然、例の人面石も観光ルートでの空間化を果せず、目に入りにくい存在だった筈です。

 今は、平成の修理工事現場を見学できる「天空の白鷺」への期間限定ルートが、「ぬノ門」を正規の動線で迎え導いてくれます。「鏡石」を“人の顔”に見立てた新説(どこから出てきたものかは今だに不明です)は、姫路城内を楽しい歴史体験の場に盛り上げていくことでしょう。ただし、城郭認識論の観点からは、言説の出所と解釈の揺らぎの現象について、きちんと見定めておく必要があると思います。

ぬノ門前の大石組み」
姫路城下絵図(当館蔵:部分)

 さて、姫路城の別称が「白鷺城(はくろじょう)」であることは周知のとおりです。今から四百年前に遡った竣工時点での築城者(池田輝政)の企図や、現場に立ち会った周囲の反応の真相は知る由もありませんが、白亜の天守が「白鷺」の飛翔する姿に例えられたと、疑問の余地を差し挟むことのない定番の説明がなされています。確かに、軒先の緩やかな反りの曲線と漆喰で塗り籠められた清楚な姿は、(鷺でなくても)翼を広げた“白い鳥”のイメージを連想させるものがありますが、本当のところはどうなのでしょう?

 姫路城の縄張りは、姫山(本丸とその周辺)と鷺山(西ノ丸)という二つの高台をベースに構成されています。ここで注意しておきたいのは「鷺山」の方で、その地名からは、鷺の棲息する個性の景勝を有していた状況が想像されます。また、城地一帯は名水「鷺の清水」に代表される湧水が豊富な場所でもあり、水辺を好む鷺が群棲する自然環境でもありました。白亜の天守の登場をもって「白鷺」の認知の形が完結するのか、将又、「白鷺」のいる光景が、築城前の先行イメージを既に決定していたかは断言できないものの、私はそこに、「白鷺」の形象表現を促した人々の期待値を見て取れる気がしているのです。

 

 形とイメージの関係を介した期待値の役どころには興味深いものがありますが、最後に“数”概念からの事例についても紹介しておきます。姫路城と城下町の織りなす総合的な空間構成は、内・中・外の三重の堀が渦巻き状に周るユニークな見立てを用意しました。全国の近世城郭を勘案してみても江戸城に比肩する稀有の形象であり、姫路城が誇る確信の設計手法だと言えます。そして、内堀が三ノ丸以内と勢隠を含む城郭の主要部、中堀が侍屋敷と総社境内を、外堀が町屋・寺町と残りの侍屋敷地をそれぞれ囲繞・区画していたのですが、面白いことにその門数は、内堀−5、中堀−11、外堀−5となり、『姫路城史』(橋本政次/昭和27年刊)の記載によれば、5門を五常五行、11門を「吉」字に因む“数”とする一説が註書されています。

 五常五行は中国の秩序思想や世界観(仁義礼智信/木火土金水)に由来するらしいのですが、もしかして、大天守の外観の5重も関連があるのでしょうか。また「吉」は、漢字の11「士」と出入「口」の合成を解釈したもので、“数”双方に特定の意味付け(薀蓄)を充てています。その数値であることの必然性が示され、姫路城に価値の体系を整備する行為と心理。現場の形象の選択が、“数”の好悪による恣意的な期待値でなされるとすれば、祈りにも似た想いで創造される空間設計の何と不思議なことか・・・。

姫路城の大天守/南西面(上方)
姫路城の大天守/南西面(下方)

 姫路城の大天守の鯱の“数”も全部で11です。最上の大棟のほか、各重の妻側屋根の(三角形の)先端に上がるので、二つ以上の複数個となるのですが、そもそも雌雄一対である筈の偶数とならずに、奇数にとどまることの謎解きをしなければなりません。初重の西面の南方、大天守入口の張り出したスペースの屋根に付く小さな入母屋破風が、問題の非対称の部分となっており、そこに奇数を体現する鯱が所在しています。

 当初は建築構造上の必然の結果であると考えていたのですが、11と「吉」字を結び付ける先の言説の魅力に触れ、姫路城のオリジナルの解釈として、鯱の“数”に込められた情念らしき異説を紹介することが多くなりました。どうも私自身が期待値の罠に乗っかる恰好で申し訳ないのですが、“数”合わせによる空間の形象化が出現する可能性について、ここでは指摘しておきたいと思います。なお、姫路城天守の登閣路は、正面玄関の菱ノ門を入ると、11門で大天守入口に到着します。念のため!