トップ > 学芸員コラム れきはく講座

学芸員コラム れきはく講座

 こんにちは。兵庫県立歴史博物館です。このコラムは、当館の学芸員が兵庫県域の歴史や、あるいはさまざまな文化財に関するちょっとしたお話をご紹介していくものです。一月から二月に一度のペースで更新していきたいと考えていますので、どうぞよろしくお付き合いください。

 

第13回:城郭談義(その4)「幻想“唐破風” 〜首里城と姫路城の間〜」2011年4月15日

学芸員 堀田 浩之

 

  一昨年の2月に特別展「国宝沖縄・琉球王国の美」の準備で、沖縄本島の那覇市に行く機会がありました。気温10℃の神戸空港から飛行機で約2時間、気温差15℃の那覇空港に到着しました。あたりは既に初夏の気分。冬物のマフラー&ジャンバー&セーターはここでは全く不要、上着も脱いでしまいました。空港ロビーでは涼しそうな半袖の「かりゆし」ルックの人々が行き交います。

 その日の仕事を終え、さっそく夕刻の那覇市内を散策してみました。屋根や門柱の上に、いろんな焼物の「シーサー」、三叉路の辻にはユニークな「石敢當」の表札。風通しの良さそうな穴あきブッロク積みの家屋にも興味を惹かれます。凡そ兵庫県内ではお目にかかれない珍しい風景との遭遇。幻想的な気分に戸惑う自分を楽しみながら、ブーゲンビリアが咲き誇る町中の光線が、一際華やかで明るく感じました。同じ2月でも、沖縄と兵庫では気候風土の印象がまるで違います。書籍の上からでは体得できない、琉球王国が育んできた歴史文化の源泉との、まずは好奇で愉快な出会いでした。

 さて、首里城は歴代琉球国王の居城です。中国の両王朝「明」「清」との間に冊封&朝貢を行う独自の外交関係を結び、殊に15〜16世紀は、東シナ海からマラッカ海峡にかけての国際的な物流を仲介・掌握する、「万国の津梁」を企図した貿易立国で栄えました。そして、柔らかい曲線の石垣が囲郭する国際色豊かな首里城内の中心には、赤い正殿と縞模様の美しい御庭が整備され、王国の威信を担う儀礼が執り行われたのです。朱漆を施した正殿の意匠は本土では類例がありませんが、高温・多湿の沖縄の環境に最適の素材であったと言います。特に、漆喰の白を基調色とする姫路城とは異なる、赤い首里城との対面は随分と刺激的でした。共に、日本国内を代表する歴史文化の造形として世界遺産の登録を受けており、双方の建造物を比較対照していく作業は、まさに興味津々!!

首里城正殿(正面)
首里城正殿の唐破風

 さっそく首里城に入ってみましょう。正殿前には個性的な石造龍柱(阿吽一対)が対峙し、片腕を挙げて御庭に居並ぶ人々を威嚇しながら荘厳な空間を演出します。その先には、遠近法を意識したような「八」字型の石段が続き、正殿入口の上に一際大きな“唐破風”の向拝が差し掛かる・・・。軒先の優美な曲線が建物の正面性を彩るという共通した風情が、姫路城大天守の“唐破風”とどこか似通っていて、遥々琉球王国でも同様の用例確認の出来たことが嬉しく、かつ、特定の形に姿を留める文化交流の奇縁に親しみを覚えました。なお、瑞雲や火焔宝珠などで色鮮やかに飾られた首里城正殿の“唐破風”の背後には、実は国王の控える特別室があって、御庭に蹲踞して佇む人々を眼下に見渡すことが出来ました。一方、拝謁する人々の意識はその特異なデザインに導かれるまま、出座・臨席する国王の存在を象徴する“唐破風”へと向けられ、首里城の場合、まさに視線の応酬による儀礼の体系が巧みな建物意匠の中に表現されていたのでした。

 それにしても“唐破風”[からはふ]とは、実に不可思議な建築意匠です。「唐」の文字で形容されるわりに、中国での建築の用例はあまり見かけません。凹状の「照(てり)」と凸上の「起(むくり)」の相反する曲線を併せた優美な造形が、切妻や入母屋のシャープな三角形とは異質で上品な空気感を漂わせつつ、門や建物入口の屋根の意匠に多用されます。今日、温泉や銭湯などでも目にする機会の残された“唐破風”の魅力は、どこか別世界へとつながる夢の関門として、マジカルな装置の性格をその形に体現してもいるのでしょうか? ともあれ18世紀になると、首里城の正殿は“唐玻豊”[からふぁーふ]の通称で呼ばれるようになります。 余りの鮮やかな印象ゆえに、“唐破風”というディテールの部位が文字通りに、建物全体のイメージを代弁する対象へと華麗なる転身を遂げたのでした。

姫路城大天守(正面)
姫路城大天守の唐破風

 姫路城の大天守では、二重目の屋根の軒を大きな“唐破風”に仕立て、その下の空いたスペースには出格子窓が取付けられています。通常の大壁ではなく竪縞の連子を張り出した意匠には、首里城の正殿同様、城主の影を髣髴とさせる効果があります。ただし、姫路城の出格子窓はその下の屋根裏の部分にスリットを開けることで、有事の際には戦闘施設としての“石落”[いしおとし]も兼ね備えていたのが、少々事情を異にしますが・・・。