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学芸員コラム れきはく講座

 こんにちは。兵庫県立歴史博物館です。このコラムは、当館の学芸員が兵庫県域の歴史や、あるいはさまざまな文化財に関するちょっとしたお話をご紹介していくものです。一月から二月に一度のペースで更新していきたいと考えていますので、どうぞよろしくお付き合いください。

 

第12回:『中世絵画のマトリックス』 2011年3月15日

学芸員 橋村 愛子

 

 佐野みどり・新川哲雄・藤原重雄[編]『中世絵画のマトリックス』(青?舎、2010年9月刊行)【図版1】は、寺社創建やご利益、祖師にまつわる物語などを大画面に描く「中世掛幅縁起絵」について、問題意識を共有する19人の執筆者により詳細に検討された論文集です。やや専門性の高い学術書ですが、博物館を愛好される一般の方々が展示をご覧になる際にも有用かと思われ、本コラムで取りあげることにいたしました。

 

図版1:『中世絵画とマトリックス』表紙

 「中世的想像力 とは何か」と、オビに大きくタイポグラフィされるように【図版2】、本書では全編を通じて、中世の絵画的イメージの具体的手だてとその特質について探求されています。いま、語弊を恐れながら大変かいつまんで示すと、おおむね次の三つの手法でアプローチされているようです。

(1)複合的な信仰形態からの照射

(2)個別絵画にみる物語叙述とその構成

(3)在地性をもつ景観イメージの生成と変容

図版2:『中世絵画とマトリックス』オビ

 はじめに、(1)に該当するものとしては、阿部泰郎氏の論文「宗教図像テクスト複合としての聖徳太子絵伝」や、新川哲雄氏の「『一遍聖絵』の語る「聖」」、加藤みち子氏「「温泉寺縁起」の思想的背景」、小平美香「中世における神宮「子良」の諸相」などがあげられます。絵画(あるいは造形)とテクストとの対応関係を紐解きながら、特有の信仰背景が示され、絵画作品といえども、決して文字テクストやあるいは信仰の場から切り離されるものではないことが強調されます。とくに阿部氏の論文では、聖徳太子の生涯を描いた聖徳太子絵伝について、なぜ本格的に制作される14世紀(鎌倉時代末期)以降には、(障屏画ではなく)掛幅画として制作されたのか? またなぜ聖徳太子絵伝は単独ではなく、善光寺如来縁起絵や法然や親鸞などの祖師絵伝とともに受容されたのか? といった、展開史上の興味深い謎にもせまり、観る(読む)者に対して開かれた性質であること、専修念仏教団により仏法史伝として再構築されたものであること、すなわち唱導のツールとしての絵画が示されます。

 (2)にあたる論文には、織田顕行氏による「飯田市美術博物館蔵「聖徳太子絵伝」について」や、藤原重雄氏の「掛幅本「鞍馬寺縁起絵」の絵画史的位置」、原口志津子氏の「本法寺蔵「法華経曼荼羅」にみる掛幅説話絵の論理」などがあげられます。本書に収められる論文は、論旨の大前提として作品の地道な基礎的考察にもとづき、編年の正確さに万全を期して臨みます。特徴的なのは藤原氏の論文で、京都・鞍馬寺の創建説話やご利益譚である「鞍馬寺縁起絵」を取りあげ、直接の考察対象として国立国会図書館に所蔵される19世紀の複模本(1巻)を選びます。復元すれば縦190p×横130pほどの大画面絵画になるこの複模本は、現在は巻子装ですが、奥書に記された原本作者「経隆」を起点に、13〜14世紀の原本の姿をたぐりよせてゆきます。とくに複模本に継承される、鞍馬山を中心に大きく据え、四方位を天地左右に順配する景観の構成・方位性に着目し、一段階古い大画面説話画から中世掛幅縁起絵が展開していく過程に、失われた原本である掛幅本「鞍馬寺縁起絵」の布置を試みます。模本から原本、原本から祖型へと、千年近く駆け上がっていく超人的な手法は、俯瞰的な方向性とともに現時点での限界値が示されるなど、公正な研究態度が高く評価されます。

 (3)には、第V部「名所絵・景観図と縁起」に収められる多くの論文が該当します。なかでも米倉迪夫氏の「描かれた明石――法然上人伝法絵と一遍聖絵」が、刺激的です。名所絵の研究で有名な、後鳥羽院御願の「最勝四天王院障子絵」の46の名所うち、明石・須磨のみが実見して描かれた、というエピソードについて、新たな解釈を提示します。和歌や「法然上人伝法絵」、「一遍聖絵」にみる瀬戸内海の景観をもとに、明石・須磨には海浜、岩、松樹など共通する視覚的表象しかストックがないため、両者を区別しうる景観的特徴が求められたと推定します。紙絵としての名所絵と、大画面絵画としての名所絵の交差点をも示唆するようです。

 最後に、冒頭の佐野みどり氏による論文「中世掛幅縁起絵序説−−二重の時間・二重の空間」は、「志度寺縁起絵」「山崎架橋図」「観興寺縁起絵」「温泉寺縁起」などを対象としながら、中世という時間の中でさまざまなテーマで制作された絵画が、個別性を越え、どのような構造を具えているのかを抽出します。コラム担当者は、2009年12月の中世掛幅縁起絵研究会シンポジウム(於:学習院大学)で聴講し、大きな衝撃を受けました【図版3】。

図版3:中世掛幅縁起絵研究会シンポジウム開催風景

 一つめに「景観」、二つめに「時間」が鍵となります。これら「中世掛幅縁起絵」で描かれ(語られ)る、いにしえの信じられないような奇跡……、その舞台として在地性をもつ景観が設定され、さらに絵のなかには物語と描かれた当時の時間が並存します。絵を前にする人々と共有される空間・時間が、絵には二重に設定されることにより、宗教的物語というファンタジーを、現実や信仰へと向かわせる心的作用が引き起こされます。

 さらに、物語絵画であるはずの中世掛幅縁起絵が、物語を、時間を放棄してしまう現象に及びます。そこでは加速度的に、平面構図のもつイメージの力とは 仏・菩薩の普遍的表象性とは? 〈公/私〉〈聖/俗〉とは? と、根源的な問題がつぎつぎに起ちあり、物語性とイコン性の機能論へと収斂し、新たな課題が設定されます。複合的信仰背景や、絵画要素(とりわけ景観と物語叙述と時間)に主な論点をおく、この研磨された構造分析は、将来にわたり美術研究のフラッグシップをなすものと予感され、本書の母胎〈マトリックス〉としての役割をも果たしています。

 

 本書の内容に比して、大変つたない新刊案内ではありますが、大きな書店や図書館などではぜひお手にとっていただければ幸いです。当館をふくめ、各地の展覧会などで中世掛幅縁起絵と出会ったとき、きっと思い出したくなる指標となるはずです。