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学芸員コラム れきはく講座

 こんにちは。兵庫県立歴史博物館です。このコラムは、当館の学芸員が兵庫県域の歴史や、あるいはさまざまな文化財に関するちょっとしたお話をご紹介していくものです。一月から二月に一度のペースで更新していきたいと考えていますので、どうぞよろしくお付き合いください。

 

第8回:城郭談義(その3)「メンテナンスの城郭学―日常 vs 非日常―」

 2010年11月15日
学芸員 堀田浩之

 今年度から、姫路城大天守の保存修理が本格的に進められています。すっぽりと建物を隠す工事用の覆い素屋根が完成すると、日頃慣れ親しんだ白鷺の景観は見納めで、再会には暫くの時間を要します。鶴の恩返しの童話では、部屋に籠もって機織りする嫁(鶴)の姿を決して見てはならなかったのですが、今回の姫路城大天守の作業現場は随時公開され、漆喰壁の補修や屋根瓦の葺き直しの過程を日々窺い知ることができます。

大天守2階の開閉窓(右側)
※左側の縦格子の窓と違い、蝶番の付いたこの窓から屋外へ出られます。

 或る時、「姫路城の凄さは何ですか?」という質問を受けて、「う〜ん。丈夫なところですかねぇ〜・・・」と、何気に口にしたことがありました。姫路城を「美」の概念で漠然と評価するのは困難なので、長期に亘って守られてきた要因を別の視点から捉え直してみたのでした。当たり前のようですが、建物が頑丈に造られているのは素晴らしいことです。容易に形の崩壊・消滅を招かないばかりではなく、その後の維持管理も簡便で過重の負担が掛かりません。「いつまでも、その場に在り続けて欲しい・・・」と、時空を超えた永遠なるものの創造を希求した、先人たちの真摯な熱意が込められているのでしょうか。

 ここは象徴的な言い方ですが、「姫路城は生きている!」と表現できるかもしれません。民家などで体感する通常のヒューマンスケールの空間とは異なり、それを遙かに凌駕した巨大な建造物が出現することは、人智では計り知れない不可思議な存在として周囲に圧倒的な影響力を及ぼします。例えば、陽光を浴びて大地に立ち上がった建造物が温められると、周囲の気温・気流の状況に微妙な変化をもたらし、時として黒煙のような蚊柱を派生させることもあったようです。軍学の世界で「気」を見るという、城郭の運気を見定める概念に近似した現象ではありますが、こうなると全くの空想論でもなさそうです。

 昭和大修理の工事に携わった和田棟梁の回想では、天星尺を駆使した秘伝の寸法が城内の各部材に採用されており、そうした細かな配慮が姫路城を結果的に強運の城にしているとのことでした。さすがに真相のほどはよくわかりません。しかし、姫路城の永続する姿を願って寄せられた人々の想いと、しかるべき造作の工夫がこの巨大な建造物に施されていたことは確かでしょう。城郭が“丈夫であること”には二つの意味があります。一つは敵の攻撃に対する軍事的な防戦の能力、もう一つは建造物の物理的な耐久性の観点です。城郭の性格としては、戦時での場面をシミュレーションした前者のイメージが強烈なのですが、姫路城という文化財建造物の実体をいつも目にする者として、後者の捉え方である平時での存在感もまた、おろそかにしてはならないと私は思うのです。

 もう十年以上前のことでしょうか、姫路城大天守に落雷があって、四重目西方の屋根瓦が数十枚砕ける被害が出ました。このような不意の補修が必要になった場合どう対応するのか、以前は特に意識したことはなかったのです。その後の経過では管理団体による迅速かつ適切な屋根瓦の交換作業が行われ、あたかも何事も起きなかったようにリセットされました。地上から足場を組めば膨大な時間と経費を要しますが、姫路城大天守の各重には予め屋根へ出入り可能な点検口が用意され、臨機応変のメンテナンスに備えていたというわけです。防戦に支障をきたすという理由で外装部分の全てを封鎖してしまっては、補修工事に遅れが生じることでかえって建造物の悪化が進行します。城郭が“丈夫であること”の意味 を、よく知る者こそがなし得るファインプレーであったと言えるでしょう。

天守ハノ渡櫓西面(水抜きパイプ)
※窓に吹き付けられて敷居に溜まった雨水を自動的に処理します。

 姫路城をはじめ時代劇でお馴染みの近世城郭は、本来的に有事の戦闘に備えた軍事施設ではありましたが、徳川の覇権と大名統制が確立するとともに、平時にあっての「見せる」機能の方が日常の城郭観として定着していきます。城郭の軍事力は「見せる」ことで評価される各藩の矜持を表示する対象とされ、実戦の可能性はむしろ非日常の架空の彼方へと仕舞い込まれていきます。言わば日常と非日常の逆転が起こったのです。

 毎日が平時。そして、いつも“丈夫であること”。一年365日、晴れる日もあれば、雨の日もあります。風雨の強い時などは、建造物の窓の下に吹き付けられた水が溜まってしまいます。そこで姫路城を維持管理する先人たちは一工夫。窓戸の敷居の所から斜めに丸い鉄の管を通して壁から突き出し、人手を掛けないで自動的に排水できるよう巧妙な対策を講じていました。日常のメンテナンス。それが平時の近世城郭に課せられた究極の現実なのでした。姫路城にとっては、晴れる日ばかりではないのですから・・・