1 日 時 平成13年11月20日(火)14:00〜16:30
2 場 所 教育委員会室
3 出席者 委員11名
小出 治(東京大学工学部都市工学科教授)
上地 安昭(兵庫教育大学教授・心の教育総合センター所長)
林 春男(京都大学防災研究所教授)
野田 慈照(兵庫県PTA協議会会長)
大石 伸雄(西宮市越木岩自主防災会副会長兼事務局長)
泉 雄一郎(兵庫教育文化研究所常任所員)
近藤 伸行(春日町立春日部小学校教頭)
藤田 晃(神戸市立神戸生田中学校長)
本光 迪子(兵庫県立芦屋南高等学校養護教諭)
今西 良壽(兵庫県立高等養護学校長)
清田 邦子(日本体育・学校健康センター兵庫県支部事務部長)
4 委員長の挨拶(小出委員長)
- 前回はいろいろ全体にわたって非常に熱心なご意見いただいた。本日は特にガイドラインの骨子案についてもご協議いただく。
- なお、第1回の検討委員会開催後にも、不審者が学校に侵入する事件が起きている。ぜひ本ガイドラインを充実したものにしたいと思うので本日もよろしくお願いする。
5 協議内容要旨
(1) 平素の取組
1 危機対応システム
- 第1回の検討委員会において、平素の教育活動、特に環境美化を図る取組を通して、未然防止、早期対応等を実践されているというお話を伺った。また、保護者、地域住民と学校との連携の必要性も強調された。さらに、危機に対応する意識啓発から対応の見直しまでの学習システムの開発についてもご提言をいただいている。このように、平素の取組に関しては、前回いろいろご意見をいただいているが、再度改めて協議を深められればと思う。
- 基本的に、平素どれだけ危機を意識し、それに関する取組がなされているかにかかっていると思う。そういう意味では、実力試験のような気がする。要するに、普段どう取り組んでいるかが、まともに出てしまうのが危機である。前回にも出された意見のように、早いうちに芽を摘むなどの仕組みを本気になって考えなければいけない。学校によっては、学校長個人の尽力というか、キャラクターに負っている部分もあり、システムとして機能するようにしなければいけない。すなわち、どのような人が校長の任についても、やはり同じようにある程度までできるようなシステムをぜひ考たい。そうしておかないと、常に有効に機能しにくい。また、外部からの侵入事件は1,300件で、学校内での犯罪件数は36,000件を上回っていることを考えれば、危機というのはむしろ学校の中にあるわけで、学校というのはやはり社会の縮図のような気がする。だからこそ逆に子どもたちはそこで学べるのかもしれないのだが、学校にはいい面もあれば悪い面もあり、強い面もあれば弱い面もある。パーフェクトでないとすれば、平素いろんな局面を持っている学校を、どう少しずつ改善するかにポイントがあるような気がする。
- 経営者としての経営責任を自覚されている学校長と、中には、自信がないとか、自分がパニックになるだろうとか、予想が取れないとか、態勢ができていないとかという本来その場で言ってはいけないようなことを、どこかに責任をなすりつけるような人もおられるかもしれない。だとすればどういう順番に何をすべきとか、あるいは職員はやはり無理して戦ってはいけないとか、そのようなことを明記する必要もあるのではないか。この時にはこうしなさいと。まず警察に必ず言うのだと。不審者への対応に当たっては、まず一刻も早くプロに介入をしてもらうのがいいというような原則を立てて、それを研修できるようなことが必要だと思う。そのようなことを短くてよいから簡潔に明記する必要があると思う。A4、1枚に暗記できる7項目以下ぐらいの基本的な原則みたいなことを記載してはどうか。その中にやはり1人で対応しなければいけない場合もあると思うが。
- その対応は、その時の状況で異なる。何が重要かというと、やはり子どもの命を守るということが主眼であって、不審者を捕まえることが目的ではない。
- 危機対応は応用問題なので、実際に守れるか、守られないか、その場に応じてみなければ予測がつかないが、その時に、どのような行為に対して価値をおくか、価値規定だけは明確にしておく必要があると思う。基本的にはヒーローやスーパーマンはいない。ヒーローやスーパーマンがいる学校が望ましいと言ってしまったら、今の学校は成り立たなくなる可能性がある。そうではなくて、スーパーマンやヒーローはいないけれども、最低限こういうふうに実践できるというところ、基本はこうだと示す必要がある。聖職だからとか、何とかだからとかというのは、逆に先生に強いプレッシャーをかけるのでよくないと思う。
- 外国のガイドラインでは、例えば危機管理ではヒーローをつくってはいけないとかが明記されている。また、状況に応じて複数で対応すべきことも書かれている。
- 教育活動中の子どもの事故や交通事故、また火災や地震など、さまざま状況に応じてマニュアルを作って対応するというのも大変なことで、すべての場合にわたるエッセンスをどう考えるかということになるかもしれない。
- 心構えというより、やはり行動評価基準が必要だと思う。心構えにしてしまうと、精神論になる。もっと社会的な問題なので社会的な評価が必要だと思う。こういうことをすれば評価される、こういうことしたら罰せられるよという評価を明確にできればと思う。
2 危機に対応できる能力を育む
- 学校を運営するということは、常に危機がある。しかし、その時だけ急に今までの人格が全部入れかわって、すごい人物になることを求めても理不尽だと思う。普通の人が普通に考えて、かつ後で批判されない、これだけは守るというコンセンサスが必要ではないか。これからは、やはり日本もアングロサクソン的にならざるを得ない部分はある。自己責任とか、自己判断とか、責任感だとか、また判断力だとか、そういったものを善悪の判断も含め、1人1人していかないといけないし、ルールに従うということも、子どものうちから学んでいかなければいけない。
- そういう意味では子ども自身にも危機に対応する能力を平素から育てていかなければいけないし、昔皆さんも言われたと思うが、知らない人に声をかけられても一緒について行ってはいけないとか、物をもらってはいけないとか、何々してはいけないなど、親から言われた。そういう本来子どもが生活していくのに必要な知恵なり、ルールなりを学校という場だけに限らず、社会が次の世代にきちんと伝えていかなければいけないと思う。
- いざ危機が起こってしまって、その人のできることは少ないということを認識すべき。やはり二次的な被害の防止も大きい。無理なお願いをせずに、逆にそういう問題を起こさないような工夫にも目を向けるべき。いざ起こった時には最低限この線は守ってほしいコンセンサスになるものを提供できればと思う。そういう意味では、災害の言葉でいえば復興ということになるのだと思う。それは心のケアと同義ではなくて、乗り越えていくという部分が必要だ。子どもは本来成長するものであり、子どもには悲惨な体験であると思うが、それが糧になって、それを乗り越えられるような仕組みが必要だ。兵庫県は、他の都道府県の子どもたちが体験できないとても厳しい体験をした。従来の枠で見れば、確かに授業が1カ月以上中断して教えられるものが教えられなかったということもあったが、逆にそれで普通では絶対に教えられないものを教えられた。逆にそこを伸ばすようなことも教育だと思う。そういう意味では復興に近い。乗り越えていくという視点はとても大切だ。
3 平素からの結びつきの重要性
- 平素と取組として、非常に大きな意味での教育的な目的を果たすための実践もあれば、危機に対応するための平素の取組もある。その中には訓練もある。学校外との連携も重要だ。初めて警察に電話をするのはなかなかしづらいこともある。また、消防署や地元のいろいろ人たち、あるいはボランティアの方々とか、さまざまな人たちと平素からつきあっておかないと、いざという時にだけ連携しようとしても難しい。
- 学校での具体的な危機管理の在り方についてお聞きしたが、そのような取組を保護者が知っているか、地域の人たちが理解しているかということもしっかり押さえておかないといけない。地域、学校、家庭がすべての面で共通の認識に立っていなければいけない。だから危機管理にしても、整備されていく段階でもよいので、学校は情報を保護者や地域に公開していくことが大切だと思う。
- 一緒に危機管理について対応策を考えていくというような視点が大切だ。
- 警察が、危険な箇所を子どもに聞いて地図作ったという新聞記事がある。学校やPTAも一緒に作ればよいと思う。実際に行われている地域もあると思う。このように子どもが主役になっている取組はとてもよいと思う。実際に、不審者に声をかけられたり暗くて怖い箇所など現実に危険な場所がある。それをどう防ぐ、どう対処するかを皆で検討していくためのいい材料だ。
- 地域の防災にかかわっている。その1つの取組として我々大人が防災の観点から危険箇所を捜し、作成したものを学校に提示し、学校は総合的な学習の時間を活用して、小学生が実際に町を歩き、防災について考えるという実践を行っている。地域と学校が一緒になって実践している。ただ、このような取組ができているところはかなり少ないということを聞いて驚いた。やはりこのようなことができるには、地域がそこまでまとまっているか、学校に対して、日ごろからそのようなつき合いができているかということが重要になってくる。
- やはり、直接自分たちの子どもの安全にかかわるとか、その地域に存在するハザードというか、危険というものを直視するところから始まると思う。その意味で、子どもを核にして地域の危険地図を作成するのはよい取組だと思う。愛知県の春日井市などは、そのような観点から成功例のように思われる。成功例を紹介し、その中からそれぞれの地域とか状況に応じ選んでいただくようなこともよいのではないか。
4 教育活動の中の危機管理
- 信頼関係というものは、教師と生徒の間のコミュニケーションも同じ。いざという時に、あの先生の言うことは信用できないというようになっていたら、危機の時もだめだと思う。
- そういう意味で平素の学校の美化とかあいさつとか、そのようなことが全部、教師と生徒間の信頼感ということに関係するかもしれない。また、非常に危機に近い部分での訓練であるとか、役割分担であるとか、あるいはカリキュラム化するような授業の中で危機というものをどう教えるかとか、かなり領域は広い思う。そういう意味で、すべてが本当に実力試験のようで、どういう問題が出るか分からないので、その時その時の正答というのはなかなか難しいとは思うが。
- 前回、平素の教育活動の中で環境美化の活動を通して、問題行動等を未然に防ぐ取組について聞いた。校長先生の指導に依存する部分とか、先生方にもかなり依存する部分があるとか、いろいろな話があったかと思う。ただ、常に平素から危機に対する何らかの取組をしておかないといざという時に役に立たないというのは、それがこれまでにない負担部分になるということで非常につらい。担当者にとって、負担にならないように、消化していける仕組みを何らかの形でつくっていかなければいけないように思う。
- 不審者に対する対応を平素から考えること事態が異常だというふうに考えていた時代から、平素そういうことを考えていかなければいけない時代になったということを踏まえて、実践していかなければならない。
- 前回も協議の中で出されたが、例えば生徒が加害者になるような学校の内なる危機に関することも議論するのか。外からの不審者に対する内容に絞りまとめるのか。例えば生徒がナイフを所持しているとか、エアガンで目を撃たれて負傷するなどの事例も協議内容に含めてよいか確認しておきたい。
- (事務局)協議に当たっては、外からの不審者に対する危機管理だけでなく、内なる危機ということも含めてご協議いただけたらと考えている。今回、附属池田小学校のような事件が今後も再発するのではと思い、その対応を考えたが、実際には先ほどから問題になっているように、学校にはさまざまな危機があり、危機を外部からの不審者だけからとらえていくと、やはり狭まったことになるのではないかと思う。そういう点では、いろいろなとらえ方が、特にこのような会議には必要ではないかと考えている。よろしくお願いしたい。
5 学校の責任と諸外国の現状
- そういう意味では境界条件も設定する必要がある。登下校中の事故・事件もあり、それも含めるのかどうか整理しておいたほうがよい。
- 学校としては、直接的に登下校時まで責任を負うというのは難しいかもしれないが、登下校時に子ども110番の家とかいろいろな施設とか考えていく必要がある。また、保護者との連携を図ることによりかなりの部分が対応できることもある。やはり、学校内の取組とそれから登下校時の場合と、かなり責任の重さは違うかもしれないが、当然、考えていかないといけないのではないか。
- その点は、例えばイギリスでは完全に登下校に関しては家庭が責任を持つというシステムになっている。いっぽう、アメリカではほとんどがスクールバスで、学校が責任を持たなければいけないという制度になっている。国によっていろいろ違うが、日本では、ケースによって結論が出され、曖昧な感じがする。
- アングロサクソンの国の考え方と、日本の考え方は基本的に違う。しかし、危機ということでみれば、学校が責任を取らされる、もっと端的に言えば学校長が厳しく非難されたり、教育長が出てきて謝罪をしなければいけないような事態は、全部危機だと考えたほうがよい。このようなことに対して、速やかに対応していくように考えておかないと、学校の外でしたからと言っても、マスコミは厳しい。やはり、この国のしきたりではないが、学校や教育システムが責められるだろう。子どもに何かあったら全部学校絡みになってしまうのが現状ではないのか。
6 具体的取組
- 先週から1週間の学校開放を行い、自由に授業を参観していただいている。受付は、学年ごとにPTAの方を2人ずつお願いし、教員と一緒に行っている。番号札を準備し、来た人から順に付けていただいている。来校者の把握ということもあるが、この間、お互いに話をしていろいろなことについて情報交換ができている。
- それらを含め、危機対応マニュアルは既に作成されているのか。
- 機会のあるごとに、教育委員会で作っている。4月当初にそういうマニュアルを活用し、職員の心得というものを作り職員研修をしかっりと行っている。役割分担も決め、何かあったらすぐに2人あるいは1人が保健室に行くようにしている。また、いろいろなケースがあるが、必ず管理職に伝えてから行くなど、指示系統を明確にし、自分1人で判断して動かないようにしている。新聞記者が来たらどうするかなど、4月当初、全教職員に指導している。
- 現在、平素の取組の中で、管理職が使用する危機対応チェックリストを作成している。例えば、危機対応マニュアルを作成しいつでも活用できる態勢にあるかとか、あるいは年度当初に職員全体に危機に対する心構えをきちんと指導したかとか。さらに、研修についても、年に1度は校内研修で危機対応の研修をやったかどうか。あるいは、養護教諭の先生には心肺蘇生法や止血法、心のケアに関することなど、研修会を実施したことがあるかとか。このようなチェックを行うのも管理職の1つの役割として、平素の取組の中で大切なことだと思っている。
- 電話での応対時にも側に必ず記録者をおくようにしている。また、経過についても、何時何分に救急車を呼んで、何分後に保護者が来たとか、あるいは、保健所の指示を的確に行えたとか、冷静に状況を記録しておく必要がある。また、命令する人、指揮者は常に冷静でいないといけない。教頭が記録をとると全体をみることができなくなるので、手の空いているものが誰でも行えるようにしている。校長も教頭も不在の時は、教務の担当者が代理するようにしている。また、保護者への対応については、100回の電話より1回の家庭訪問が大切だと考えている。直接あって話をすることが重要だ。母親だけでなく、必ず父親とも話をしないといけない。
7 来訪者への対応
- 企業は今、非常にセキュリティーに気を配っている。特に本社ビルや重要施設が入っているようなところは厳しいセキュリティーをかけている。しかし、受付での対応はできるだけソフトになされている。そこで、学校が構造的に考えてもいいと思うのは、そのようなフロントラインを前に持ってきて、1回そこでソフトにではあるが、きちんと処理をするというのが必要だと思う。通報のみに頼るというのは、最後の手段だと思う。あるとないとでは大違いだが。学校も社会と接点があって、そこの中である程度安全性をチェックするということをソフトにするような仕掛けは、物理的につくってもいいのではないか。不審者という言い方をしないで、外から来られるお客様対応という視点が必要だと思う。学校には今そういう人がいるか。
- 県立学校の場合は、事務室があるので、必ずそこを通る。
- 市町立では、教頭が対応する場合が多い。
- しかし、教頭先生はやはり、職員室の一番前のほうにおられる。そして私なども学校へ行くと、いきなり職員室まで入ってしまう。玄関のところでだれかが「どなたですか」みたいに言ってくださるところが半分ぐらいだけれども、結構職員室までずかずか入っていけるほうが多い。
- 構造的に、職員室あるいは事務の関係の部分が玄関のところにある学校は対応しやすい。
- 私の学校は、玄関と職員室が全く逆の場所にあるので、来校者があってもすぐには分からない。校長と対応について相談しているが、いざとなった時にはもう1箇所の出入口をず締めてしまおうと考えている。やはり出入口のところでチェックできることが望ましいと常々思っている。
- 附属池田小学校の事件後、新しく建てられる校舎などについては、多分そういう構造上の研究も重ねられていくものと考えている。
- 水際ではねるものははねておかないといけない。長期的にぜひ教育委員会で考えてほしい。
- 今すぐは無理だが、長期的には施設の更新の時に、そのようなことを盛り込んでいく工夫が必要だ。やはり今の学校は構造的に深く入り込まれやすいということは間違いない。また、受付を行う職務規定も必要ではないか。
- 結局は人と心だと思う。規定があっても、線を引かれると何もできない。線を引くのであれば、授業だけしていればいいということになる。やはり人を育てようと思うと、それを乗り越えていく心と人を育てることが大切だと思う。
8 危機対応と教職員の勤務
- アメリカ全土から校長先生を初め20人ほどの学校の先生方が市を訪問され、懇談をする機会があった。州によって多少違うが、例えば日本では中学校の先生が土曜日、日曜日にクラブ活動に1日出られて、1,200円だと思う、アメリカでは少しでも何かをすると必ず何らかの手当が出る。学校でクラブで子どもを何時間教えたとか、家庭訪問をしたとか、そのようなお話を聞かせていただいて、やはりお金がどうのこうのではなしに、非常に労力を使っていただいたり、いい仕事をしていただいたり、そういう人にはやはりある程度の報酬というか、何かあなたは立派だというようなことを示すのが非常に大事ではないかなと思う。心を育てるのも大切だが、学校の中で聖職として先生にすべてをお願いするのも大変だと思う。
- ノースリッジで地震があり、調査に行っていた。その時、ロサンゼルスの市の教育委員会が心のケアを学校で実施するということで、先生方を集めて講習会を開催するのを手伝った。3時間ぐらいの講習会だったが、1番最初にしたことは、1時間ほどかけて超勤手当の書き方の説明だった。
- アメリカの場合、例えば夜中に子どもがいろんな反応を起こした時に、教師がかかわるのでなく、地域のどこに連絡しなさいと地域の機関を紹介している。その辺は教師の勤務時間以上には負担をかけないというようになっている。教師のメンタルヘルスも保障しなければいけない。
9 障害児教育諸学校における対応
- 盲・聾・養護学校の場合は、特に子どもの安全をとにかく確保するということを、教員が常に意識にしているということがとても大切であり、小・中・高等学校に比べると避難訓練の回数はかなり多い。また寄宿舎を持っている学校もあり、24時間教育になっているので、そういう面でも安全に対する意識を強く持っていないといけない。ガイドライン作成にあたっては、例えば盲学校の児童生徒の場合の避難訓練のあり方なども記載する必要がある。要するに歩行感覚において、普段なら運動場で100メートルを15秒くらいで走る子どもでも何か混乱があった時は、適切な対応をしないと逆にけがをしてしまう。避難訓練時に、置いてある自転車やトラックの荷台からはみ出している物に、激突してけがをしたということをよく聞く。また、避難訓練で一番難しいのは聾学校だ。寄宿舎の就寝の最中に、避難訓練を行うことも多い。普段は視覚に訴えていろいろなことを行っており、本人もそう思っているので見えるのだが、状況が判断できない。サイレンを鳴らしても聞こえないので、寄宿舎の寮母がすべての部屋を開けて、たたいて起こして回る。そういうことでは寮母の配置を、安全確保のための要員を確保しておかなければならないということがある。安全に避難を行うことについてのそれぞれの対応も教員の専門性に入る。特に、附属池田小学校の後は、各学校とも校長が危機管理について強く意識して、先生方の意識を高めながら子どもたちを守る取組を進めている。豊中市の小学校で不審者が自由に校舎の2階まで入っていったという新聞報道があった。こういうときも、朝の会議でどのように対応するかを改めて全職員に警鐘を鳴らした。
(2) 心のケアに関する取組
1 危機後の心の反応
- 教育現場での危機を考えた時に、危機を体験し、強くなるというか、前向きにとらえるという視点から、やはり危機で負った心の傷を積極的にケアし、傷ついた心を癒していく活動を支援する取組は欠かせない。アメリカでは、危機後には必ずどのような人でも精神的混乱が伴うという研究結果が出ている。したがって、危機後のさまざまな反応は、人間の自然な心の反応であり、正常であるという認識が必要だ。このようなことを十分理解し、危機を乗り越えるにはそういう精神的なサポートを行わなければいけない。専門家を要する場合も多い。
2 サポート体制
- 学校現場で教員が特に生徒に対して心のケアを行うことができるかどうか、ノウハウや知識があるかどうか、あるいは教員が行う必要があるのかどうか。あるいは行おうとすればどのような体制で実施すればよいのか。そのあたりはどうか。
- これまで附属池田小学校では、フリータイムの中で子どもたちが本当に話したいことを話したり、体育館でそれぞれが好きなバスケットやボール遊びを行っている。この他にも、作文とか、絵画、あるいは体験した感情をクラスで話し合うなどの取組が試みとして実践されている。学校の先生方がこのような取組を行うには、今のところ難しい。やはり専門家によって行われなければならない。
- 学校の先生は、時間的にも無理であり、能力的にも難しいと思う。学校では、不登校の問題やいじめの問題などいろいろな問題があるので、やはり専門家を重大な事件や事故があってから配置するのではなく、必ず1人か2人は平素から配置されるべきだと思う。そして、先生に対しての研修もやっていただければと思う。先生方に心のケアを求めても、実際に時間的な余裕もないし、精神的な余裕もないと思う。
- 基本的に教員は児童生徒と信頼関係を結んでおくことが大切だ。そのような人間関係ができていれば、子どもが先生のところに来て心が癒される場合も多くある。普段から、特に不登校の生徒やいじめられている生徒など、いろいろな子どもたちの様態に対して適切に対応できるように、研修等を行っている。確かに教員に限界があるのも事実だが。
- 極限の状態になった時の子どもたちの心の傷をいやすうえで、全然知らないカウンセラーよりも、毎日一緒に活動している教員の役割が大きいと思う。その教員の顔を見たら安心するとか、やはり日常の教育活動の中でそのような子どもとのつながりを醸成しておくべきではないか。
- 過去に生徒が自殺をしたことがあり、その後多くの悩んでいる生徒が保健室に来ることが予想された。その生徒は2年生だったが、実際には2年生だけでなく、同じ部活動に入っていた生徒も保健室を訪れ、養護教諭だけでは対応しきれなかった経験がある。辺りの物にあたる者や、1人でいたいという者、ひたすら友だちと話していたいなど、反応はさまざまだった。当該生徒の学年の先生にも協力を依頼し、生徒たちも徐々に落ち着きを取り戻していった。その時、やはり教師と子どもの平素の信頼関係がとても大切だと改めて感じた。別室で信頼のおける先生に対し、子どもたちは感情を言葉にし、落ち着きを取り戻していくことができた。学校全体としての対応がよかったと思う。ただ、当日も翌日もスクールカウンセラーの来られない日であったので、おられるとありがたいと思った。平素はスクールカウンセラーをアドバイザーとして、普通の子どもたちのサインをどう受け止めるかなどの研修は行っているが、どこの学校でも突然死など「死」に直面する可能性はあり、スクールカウンセラーに常駐していただけるとありがたい。
- 保護者が犯罪に巻き込まれるというケースもある。被害者になったり、時には加害者であることもある。その子どもたちのケアをどうするかということも、学校としては大きな問題である。担任を中心に、常に全員で見守っていこうということを確認をしている。毎週の会議では全員が気がついたことを出し合い、今後の対応を確認しあっている。3学期には、スクールアドバイザーが配置されるので、より研修を深めたいと思っている。基本は担任と子どもがどう話ができるようになっているかということだと思うが、教師だけで対応しきれないケースもあり、それをカバーしていただける人がいるということは大きな力になる。
3 教師を支えるカウンセラー
- カウンセラーは子どものカウンセリングだけでなく、先生の相談にものってほしい。一生懸命、先生が取り組まれているが、それが逆の方向にいってしまう場合もある。我々保護者も子どもに一生懸命しつけをしているつもりでも間違った方向であったり、非常に子どもがかわいそうなケースがある。今のお話のように、先生も対応が分からないケースもあり、そういう場合はカウンセラーが相談にのれるような体制をぜひ整備してほしい。
- 平素の教師と生徒のコミュニケーションというのは非常に重要である。しかし、危機が発生したときは非常に学校の規模が大きくて、1人で対応するには量的な問題が出てくる。また、専門性のこともある。
- スクールカウンセラーの大きな役割は学校の先生の悩みを聞いてあげることだと思う。マンパワー的にみても、時間的にみてもそうだ。震災の時に感じたのだが、結局は、自分がその出来事の前から保っている人間関係の中でいやされていくことが多い。危機だからこそ今までの人間関係の安定性が重要になる。子どもにとってのストレスは、親がおたおたすることと、先生がおたおたすることだと思う。子どもたちにとっては、家が壊れたり、建物がひっくり返ってしまったということよりも、それによって親や先生が動揺している状態をみてショックを受けるほうが大きい。そういう意味で普段の人間関係の安定性を、どう維持したらいいのか、そこが困難なところだと思う。危機には、現場の先生一人ひとりにストレスがかかってくる。校長先生にかかるストレスも大きい。子どもたちの心のケアを考えるとき、職員のケアを忘れてはいけない。また一番大切なのは、子どもたちは自分が不安なので、先生や親に自分の方を見てほしいと思っている。それを即座にあなたはカウンセラーのところに行きなさいと言ってしまうのは非常によくない。このようなことから、やはり負荷がかかるところに対して、補強をしていくような配置を考えてもらいたい。そして、そこで子どもたちと関係を持っておられる先生たちはやはりケアをしていく当事者であるという意識を持ってもらいたい。やはり教育というのは、本来次々と変わっていく現実に立ち向かう力を育てていかなければいけないわけで、それが一番問われてる時期で、本当の部分の教育を施さなければいけないチャンスだと思う。先生方にそのような教育に専念していただくために、カウンセラーが先生をサポートする形がよいと思う。
4 保護者の役割の重要性
- 一番のカウンセラーは親だと思う。学校の先生はサポートであり、当事者とは思わない。私たちの年になっても親は大事にするし、親に頼る部分があり、一番大事にすべきところだ。そして、次は地域。震災後のケアでそのように思った。子どもは地域の宝であり、地域はゆりかごだ。先ほどのお話で、先生と生徒の信頼が一番大事だと思うけれども、そういうことができる子どもに育っているかどうかは、親を信頼するかしていないかということがまず先決で、今の時代それが欠けていて忍耐力がないから家庭崩壊もあるし、学級崩壊もある。先日、地域の小学校で音楽会が開催された。子どもたちが大きな声で歌い、お母さんたちは体育館に入りきれず、外のテレビで見なければいけないほど集まっていた。嬉しくて校長に「今日のような様子を見ていると、学級崩壊は起こらないですね」という話をした。やはりこれまでは、学校だけで何とかしようという気負いと、そのために悪いことを外に出さないで情報を開示しない部分があったかと思う。学校も情報を提供して、学校と地域と家庭とが一緒になって取り組んでいかなければいけないと思う。また、PTAも、学校、子どもだけに視点を当てるのではなく、地域の1つの団体という意識で、防犯危機にしても、不審者にしても、みんなで守っていかなければいけないという視点で、地域とのかかわりを深めてほしい。
(3) 関係機関との連携
1 関係機関の明確化と対応の共通理解
- 学校は生徒指導上、常に関係機関と生徒指導担当教員が情報交換を行いながら連携を図っている。何かあった時には、速やかに警察にお願いできる体制を整えたり、広域指導をしてもらえるようにしている。また、児童相談所との連携も大切だ。そのようなルートができるように常に学校は関係機関と平素から連携を図っておくことが大切だ。
- 職員室には緊急の電話番号を書いたものをおいておくべき。脳外科、外科、その他さまざまな関係機関の電話番号が急遽必要になる。それを誰もが見えるところに置いておくことが必要だ。また、救急用具がどこに保管されているかということも皆が知っていないといけない。例えば、基本的なことだが、担架がどこにあるかなど皆が知っておく必要がある。先日も、担架を持って5階まで走るということがあった。
- また、救急車を呼ぶのがいいのか、それが119番がいいのか、所轄の消防署がいいのか、その時の様子によって違う。また、所轄の消防署の救急車が出払ってしまって1台もいない場合もある。また、救急車を要請したときは、どこそこの病院へ行ってくださいということを先に指定すれば遠い病院へ搬送されることが避けられる場合もある。また、平素の救急病院へ先に連絡して、救急車を呼ぶというような対応もある。
- 子どもが病院へ搬送されるようなケースでは、学校長も病院へ行っておくことが不可欠である。保護者への対応は学校長がすべきであり、その時に学校長がいるいないでは後の対応が大きく違ってくる。そのようなこともガイドラインに記載すべきだと思う。
- 学校が警察を呼んだ時に、警察の方は何を学校側にしておいてほしいのか事前に知っておきたい。例えば「現場を荒らすな」と言われても、もう少し具体的な知識がほしいと思っている。
- 要するに、危機の場面というのは、想像の外でないようになれば一歩前進だと思う。ただ例えば救急、消防、あるいは警察の方とつき合うというのは、ふだんつき合ったことがないだけにどうしていいか分からない。いざとなると119番もなかなか的確に場所などを言えないらしい。だからそういう不安感をなくすことがとても重要で、今のご意見のように警察に対してどう振る舞ったらいいのか、簡単でもよいから説明があってもいいと思う。
- 例えば、校門に来校に関することを明示しておけば法的にはどういう効力があるのかとか、大声で何回わめいたら脅迫になるのかとか。そのようなマニュアルがあると現場としては助かる。
2 緊急通報システム
- 県警ホットラインは大変よいシステムだと思う。ただ、実験の時にも感じたことで、押して瞬間に通じるのだが、「何があったのですか、どうなのですか」と聞かれる。危機時に逐一「こんな人が来て、こんなことをして、こんな状態だ」というようなことはなかなか言いにくい。そこで整理していただいて、「はい、5番です」とか「3番です」とかいうような約束事があればよいと思った。また、いざというときに私が合図したら110番するように職員に伝えているが、その場になると電話で手が震えてできない。聞かれても答えられない、そういうことも現実にあるので、せっかくいいシステムであり、もう少し機能的な方法を考えていただいたらいいのではないかと思う。
- (県警)緊急通報は、まず警察本部に入り、スクリーンの地図に学校名まで出るので、即座にその担当警察の方に通報し、一番近くのパトカーなり警察官が駆けつけるようになっている。ご指摘の通りに事案は確かにあろうかと思う。銀行の通報装置に関してもそこから通報があったということが分かるだけで、後は詳細に聞かないと分からない場合がある。ただ、銀行は、まず強盗かどうかの確認だけは行うようにしている。学校についても、今ご指摘されたようなことは当然予想されるので、今後そのような対応方法も考えていきたい。
- 学校現場では、緊急通報することにより、後の対応がずっと尾を引く場合がある。怒った保護者などの場合、大抵、担任などが話を聞いて落ち着くまでに時間はかかるが、何とかおさまる。
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