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学芸員コラム れきはく講座

 こんにちは。兵庫県立歴史博物館です。このコラムは、当館の学芸員が兵庫県域の歴史や、あるいはさまざまな文化財に関するちょっとしたお話をご紹介していくものです。一月から二月に一度のペースで更新していきたいと考えていますので、どうぞよろしくお付き合いください。

 

第108回:三江(さんごう)線−廃線前に「乗りテツ」の旅−
 2019年3月15日

社会教育推進専門員 
神戸 佳文

 

 当館では、平成23年7月16日から9月25日に開催した特別企画展「ひょうごの鉄道−鉄道新世紀へ−」に続いて、平成30年4月28日から6月17日に特別企画展「線路はつづく−レールでたどる兵庫五国の鉄道史−」という鉄道関係の展覧会を行った。

後者の展覧会で担当者の鈴木事業企画課長からエピローグに、三江線(三次―江津)の写真を使用したいとのことで、廃線前に乗車して撮影した写真を提供した。(写真1)

 

写真1 口羽駅に停車する江津経由浜田行
(キハ120-309)

 

そして、この「学芸員コラム」のテーマを考えていたところ、三江線に乗車した経緯について書いてほしいとの同課長のリクエストがあり、それにお答えすることにした。

 そもそもその経緯を遡っていくと、昭和53年(1978)夏に出版された宮脇俊三氏著『時刻表2万キロ』という書籍にたどり着く。当時国鉄全線の総延長が約2万キロメートルあり、この本は、著者がその全線を乗り潰していく記録を綴った、まさに「乗りテツ」のバイブルといえる。この本がでたのが大学3年の時で、それまでにも休日等に「新線開拓」と称して近隣の路線に乗ることを楽しんでいたが、いつかは全線制覇したいとの思いにかられた。当「学芸員コラム」第17回(2011/8)に記した尼崎港線(福知山線)、飾磨港線(播但線)、高砂線の乗車もその本の影響によるものであった。

社会人となると長期間にわたる鉄道乗車の機会が少なくなり、さらに国鉄がJRとなる前後に、まだ乗っていない多くの路線が廃止となった。宮脇氏のような2万キロの全線完乗は不可能となったが、いろいろな機会を活用して、JRと私鉄の未乗区間を減らそうとしているところである。

 本州西側のJR線で、なかなか乗る機会がなかったのが三江線である。乗るチャンスがあったのが、なんと40年前の昭和54年(1979)大学4年の夏のとき、山陰旅行の後に倉敷へ行くという計画を立て、このとき未乗であった三江線か木次(きすき)線(宍道(しんじ)−備後(びんご)落合)のどちらかに乗ることにした。

三江線は昭和50年(1975)に浜原−口羽間が完成して全通したばかり、木次線は、松本清張作『砂の器』に登場する亀嵩(かめだけ)駅があり、出雲坂根駅の三段スイッチバックにも興味があった。かなり迷ったが、列車の接続や到着時間の都合により、木次線に乗ったように記憶している。その後、なんとか三江線に乗ろうと思いながら30年余りが過ぎたところ、平成30年3月末で三江線が廃止のニュースがあった。

廃止間際には混むことが予想され、前年の夏に乗ることにした。姫路から日帰りで行く計画をまず考えた。早朝に新幹線福山駅で福塩線に乗り換えるが、乗り継ぎ時間はわずか2分、これを逃すとだめである・・・。無理はしないことに。

そこで三次で前泊して始発の江津経由浜田行きに乗ることにし、駅近くのビジネスホテルを予約した。

 

写真2 三次駅

 

平成29年7月29日「青春18きっぷ」で出発。姫路発6:55岡山行、岡山と糸崎で乗り継ぎ海田市(かいたいち)で呉線に乗り換えて11:33呉着。

「ヤマトミュージアム」(来館3回目)の企画展と常設展を見学して広島へ、芸備線15:05発三次行。芸備線も約40年ぶり、17時前三次着、ホテルの窓の下には三江線の線路があり、芸備線も見える。市内は「三次きんさい祭」で賑わっていた。

 

写真3 ホテルの窓下の三江線、写真上方に芸備線

 

 翌朝三次駅へ、ホームには始発とは思えないほどの乗客が!

そのほとんどが鉄道ファンのようで、小型のキハ120-309は、ほぼ満席状態で5時38分発車。

 

写真4 始発浜田行の電光表示

 

 

写真5 入線する浜田行キハ120-309

 

中国山地と江の川(ごうのかわ)が織りなす美しい景色の中をゆっくりと進み、かつて三江南線の終点であった口羽(くちば)駅で約30分間停車。

 

写真6 口羽駅の駅舎

 

ここから、三江北線の終点であった浜原駅までは、新しく建設された区間で高架やトンネルが多用されてスピードアップ。

車内では鉄道ファンによる賑わいを地元のテレビ局が取材。江津手前の駅から乗車する地元の人たちが車内の混雑ぶりに驚いていた。

 

写真7 「竹」駅の駅名表示

 

江の川の流れが緩やかになり、出発から約4時間、9:31江津駅着、気動車はこの後浜田へ向かうので、名残を惜しむ間もないまま9:35出雲市行きに乗り換えた。

 

写真8 江津駅に到着。

 

 11:09出雲市着、11:38発米子行に、米子からは伯備(はくび)線の新見(にいみ)行に乗り換え、電化区間ながらキハ120気動車が中国山地を力強く登っていく。分水嶺を越えて芸備線との接続駅の備中神代(こうじろ)、かつてD51三重連を撮影する名所であった布原を通過して新見着。

姫新線に乗り換えて姫路を目指すことも考えたが、帰宅は深夜になる。時刻表を見直すと備中高梁(たかはし)発16:48の姫路行があるのを見つけ、それに乗り換えて帰途についた。

 平成31年3月16日におおさか東線の新大阪−放出(はなてん)が開通する。久々の新線開通である。阪急淡路駅東側の阪急京都本線・千里線の上を単線で通っていた城東貨物線が複線電化されて電車が通り、JR淡路駅ができる日が来るとは!

また阪急淡路駅周辺も現在連続立体化工事中で、交差する千里線と京都本線を上り(2階)と下り(3階)に分けるという大工事である。この高架の開通は2024年、工事完成は2028年が予定されている。完成すれば、かつての景観が一変することになる。

昨年度より関西大学へ週一回通っており、徐々に進捗していく高架工事をみるのが楽しみとなっている。