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学芸員コラム れきはく講座

 こんにちは。兵庫県立歴史博物館です。このコラムは、当館の学芸員が兵庫県域の歴史や、あるいはさまざまな文化財に関するちょっとしたお話をご紹介していくものです。一月から二月に一度のペースで更新していきたいと考えていますので、どうぞよろしくお付き合いください。

 

第102回:近代化遺産からみた兵庫県政揺籃期 2018年9月15日

事業企画課長・学芸員   鈴木 敬二

 

 当館の兵庫県政150周年記念展示・第3期として、近代化遺産を描いたスケッチにより兵庫の歴史をたどるという趣旨の展示を行います。展示の詳細はこのコラムの末尾に記すことにして、今回は改めて兵庫の近代化遺産について記します。

 近代化遺産とは、おおむね明治期以降、わが国が近代化を遂げる途上において、(日本古来の手法ではなく)近代的な手法を用いて築かれた産業・交通・土木などにかかわる建造物などを指します。

 駅舎や橋梁、トンネルのほか、役場や公民館などの公共施設、学校や図書館などの教育施設、地場産業の礎となった工場など、私たちの身近な場所にある点が特徴で、近年では観光施設として、また、まちづくりや地域振興のよりどころとして、社会的関心を集めるような状況になってきました。

 このような近代の産業化に関する遺産については、国が中心となって平成2年度より調査を実施し、この時はじめて「近代化遺産」という言葉が用いられるようになりました。こうして近代化遺産が文化財保護の対象となり、平成5年度には群馬県の旧国鉄信越線・碓氷峠鉄道施設が、近代化遺産としてはじめて重要文化財に指定されました。

【写真1】北条鉄道法華口駅
2010年5月31日撮影

【写真2】北条鉄道法華口駅
2014年9月9日撮影

 近代の古い建物などを保存しつつ、観光やまちづくりに活用するために「登録文化財」という制度が平成8年度より始まりました。規制がゆるやかで活用に適した文化財制度といえます。兵庫県の近代化遺産のうち、登録文化財となり有効に活用されている事例として、北条鉄道の法華口、播磨下里、長(おさ)の3駅をあげることができます。

 北条鉄道は、大正4年(1915)に開業した播州鉄道北条支線(のちの国鉄北条線)がもとになった鉄道路線です。北条鉄道の法華口、長の両駅は大正4年(1915)、播磨下里は大正6年(1917)と、この路線が敷設された頃に建設されました。播州鉄道敷設時の駅の現存例としては、JR加古川線の比延駅や本黒田駅などにも見られますが、北条鉄道のこれら3駅は、外壁や建具など、建設当時の駅舎の姿を現在も良好に留めていることから、平成26年(2014)4月、兵庫県内の鉄道施設としては初めて登録有形文化財になりました。

 このうち法華口駅は、第二次世界大戦中には近隣の鶉野飛行場の最寄り駅となっていました。鶉野飛行場はもともと川西飛行機姫路工場の飛行場として建設され戦闘機の製造が行われるとともに、飛行場には軍の飛行隊が置かれ、訓練基地および特攻隊の出撃基地となりました。このような戦時中の記憶を現在に伝える法華口駅も、今ではボランティア駅長さんが自ら焼いたパンを販売するお店として人気を集めるなど、他の2駅とともに沿線の賑わいを生み出すための利活用が図られています。

 では次に、後に近代化遺産と呼ばれることになる、明治前半期の洋風建築の出現の様子を通じて、兵庫県政の揺籃期の様子を大雑把に概観します。

【写真3】旧神戸居留地十五番館 明治14年(1881)頃
神戸市中央区、木骨レンガ造2階建、重要文化財

 

 江戸時代末期、兵庫(神戸)は外国に向けて港が開かれます。港や外国人居留地などの整備が進むことにより、近代的な手法による建造物が、兵庫県の他の地域に先駆けて姿を現すようになります。

 江戸時代末期の安政5年(1858)に結ばれた日米修好通商条約により、函館、横浜、長崎などとともに兵庫が開港し、港に隣接して外国人居留地を設置することになりました。しかし京都に近い兵庫(神戸)は開港の勅許が遅れ、慶応3年(1868)1月にようやく開港となりました。神戸の居留地では約500u四方の土地を格子状に整然と区画し、その街路の多くは現在にも引き継がれています。なお、神戸の居留地は日米不平等条約の撤廃に伴い、明治32年(1899)に日本に返還されています。

 居留地があった頃の建造物として、唯一の現存例が十五番館(写真3)です。十五番館は明治14年(1881)頃に建設された木骨レンガ造2階建ての建物で、当初はアメリカ領事館として使用された後、商館となりました。平成元年(1989)5月に重要文化財に指定された後から保存修理工事が行われ、平成6年(1994)秋に完了するも、翌年1月の阪神・淡路大震災の際に倒壊してしまいます。その後、免震構造を採用した復元が行われ、明治期の居留地における商館の姿を現在に伝えています。

 ベランダを備えたコロニアル様式の建物は、現在の旧居留地ではこの十五番館を残すのみとなりましたが、山手の北野地区には、同様の様式の木造住宅がまだ数多く残されています。

【写真4】ムーセ旧居〔神子畑(みこはた)鉱山事務所〕
明治5年(1872)頃、朝来市佐嚢、木造1階建、県指定有形文化財

 神戸とともに、比較的早い時期に「近代的な手法」による建造物が現れた地域として、鉱山の町・生野をあげることができます。

 江戸時代から日本を代表する銀山として栄えた生野は、明治期に入るとともに官営鉱山となり、フランス人技師のもとで、近代化と大規模な開発が行われ、その結果、当時としては最新式の精錬施設や工場が相次いで建てられました。

 ムーセ旧居は明治5年(1872)頃に建てられた、生野鉱山の5棟外国人宿舎の一つです。木造1階建、桟瓦葺の建物で、四周をベランダが囲んでいます。壁は漆喰により仕上げられていますが、壁のコーナー部分には、コーナーストーンを模した貼石が施されているのは、西洋建築には一般的な石やレンガによる組積造の建築に似せるための工夫かもしれません。

 このように外観は洋風でありながら、建設技術は和小屋や漆喰塗など日本古来の技術を使用していることがこの建物の特徴で、急激な建設需要に応えるため、簡単な建築図面をもとに日本の大工が施工したことが想定されます。あるいは、工場などの大規模建築と異なり、住宅という比較的規模が小さく、私的な性格の濃いものについては、外国人技師の関与の度合いが低く、当時の進歩的な日本人大工によって建設が進められたとの考え方もあります。

 なお、ムーセ旧居は明治20年(1887)頃、生野鉱山の支山となる神子畑(みこはた)鉱山の開発に伴って、生野から現地に移築され、鉱山事務所・診療所などとして使用されました。神子畑鉱山の閉山後には、建物の老朽化および隣接する国道429号改良工事のため、元の位置より北西側に移築復元され、現在は資料館などとして活用されています。

【写真5】旧神崎郡役所(福崎町立神崎郡歴史民俗資料館)
明治19年(1886)頃、神崎郡福崎町西田原、木造2階建、県指定有形文化財

 これまでに記したように、開港地・神戸と鉱山の町・生野では、明治の比較的早い段階から洋風建築が現れました。そして洋風の意匠をまとった建築は、まもなく兵庫県の各地に建てられるようになり、多くが官公庁や学校などとして用いられました。

 明治11年(1878)に郡区町村編成法が制定され、兵庫県でも各郡に郡役所がおかれました。現在、兵庫県内には、当時建設された郡役所のうち、神崎郡や出石郡など、5棟の郡役所の建物が現存しています。これらは、明治初頭に神戸などに現れた洋風建築を手本に、日本人大工が見様見真似でつくったことから「擬洋風建築」といわれます。建物の中央にポーチを張り出す姿はどの郡役所の建物でも共通しているのですが、旧神崎郡役所だけはポーチが2階まで達しており、2階部分がベランダのような意匠になっています。この建物は木造2階建の寄棟桟瓦葺、外壁は下見板張(アメリカ下見)で、建物の四隅には組積造のコーナーストーンを模したと思われる四角い板が貼られています。

 旧神崎郡役所は、もとは福崎の中心部、辻川に建てられていましたが、昭和57年(1982)に現在地に移築され、町立の歴史資料館として利用されるようになりました。私も今年の7月に、2階の学習室で講演をさせていただき、かつての郡役所の建物が、現在は町の社会教育の場として活用されていることを実感いたしました。



 現代において「近代化遺産」と呼ばれるようになる建造物は、明治初頭に開発が開始された神戸・生野などで姿を現し、やがてまもなく兵庫県全域に広がっていきます。洋風建築は、当初は公的機関による建築が主流でしたが、やがて民間建築や住宅などにも浸透していくことになります。また、民間の建築事務所が、神戸を中心として大正末期から昭和初頭に台頭するのも兵庫県の特徴と言えそうです。

 当館の兵庫県政150周年記念展示、全5期のうちの第3期は、兵庫県の近代建築をテーマとしたスケッチの展示を行います。スケッチの作者である沢田伸(さわだしん)氏は、長年にわたり兵庫県職員(建築職)としてお勤めになり、かつては当館の建設もご担当されました。また、近年は、ひょうごヘリテージ機構H2O世話人として、歴史文化遺産を活用したまちづくり事業に貢献する一方で、全国各地(海外含む)の歴史的建造物や地域固有の風景など、1700枚以上のスケッチを残してこられました。

 沢田伸さんが描く、兵庫の多様な建造物や景観などをとおして、みなさんに兵庫県の近代のあゆみについて、触れていただければと思います。

 展示期間は10月2日(火)から11月25日(日)まで、場所は当館の兵庫県政150周年記念展示室(歴史工房/1階無料エリア内)です。なお関連行事として、スケッチの作者である沢田伸さんのギャラリートークを、11月3日(土)午後2時から行います。みなさんのご来場を心よりお待ちしております。

 

 

 

主な参考文献

村松貞次郎「幕末・明治初期洋風建築の小屋組とその発達」『日本建築学会論文報告集』日本建築学会 第63号 1959年10月

藤森照信『日本の近代建築(上)−幕末・明治篇−』岩波新書 1993年10月

兵庫県教育委員会事務局文化財室編『兵庫県の近代化遺産−兵庫県近代化遺産(建造物等)総合調査報告書−』2006年3月

沢田伸『兵庫ふるさとスケッチ 残しておきたい建物と風景』神戸新聞総合出版センター 2009年3月

神戸市教育委員会編『近代化遺産 神戸モダニズム探訪』神戸市体育協会 2008年12月