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学芸員コラム れきはく講座

 こんにちは。兵庫県立歴史博物館です。このコラムは、当館の学芸員が兵庫県域の歴史や、あるいはさまざまな文化財に関するちょっとしたお話をご紹介していくものです。一月から二月に一度のペースで更新していきたいと考えていますので、どうぞよろしくお付き合いください。

 

第66回:姫路と山形―特別展 新潟・兵庫連携企画展「北前船」から― 2015年9月15日

学芸員 前田 徹

 

 当館では、今週末の9月19日(土)から11月3日(火・祝)まで、特別展 新潟・兵庫連携企画展「北前船―地域と文化をつなぐ海のみち―」を開催します。この展覧会は、新潟県立歴史博物館と当館とが連携して企画したもので、北海道、山形、新潟、近畿地方と島根の各地に所在する関連資料を収集し、北前船の活動と意義についてご紹介するものです。

 

兵庫県立歴史博物館

 さて、この展覧会ではなぜか山形関係の資料がよく集まってしまいました。ここではそのいくつかをご紹介していきます。

 

 まず、北前船が扱った北方の産物として、紅花があります。紅花は、高級織物の染料や口紅の原料として用いられたもので、江戸時代には、現在の山形県最上川中流域にあたる出羽国村山地方での生産が質量ともに最大でした。紅花の生産の情景を描いた絵画作品としては、新潟県立歴史博物館に出品交渉をおこなっていただき、山寺芭蕉記念館所蔵の青山永耕筆紅花屏風と、山形美術館所蔵の横山崋山筆紅花屏風とを半期ずつ展示します(10月12日〔日〕まで山寺本、10月14日〔火〕から山形本)。

 さて、この紅花の取引に関する資料として、当館には近江商人の西谷家文書が開館間もない時期から所蔵されていました。この文書群は、近江八幡(滋賀県)出身で、山形城下の十日町に店を構えていた西谷善九郎家に伝わった文書です。西谷善九郎家は、京都四条室町の紅花問屋伊勢屋源助と取引を重ねており、西谷家からは紅花、京都伊勢屋からは京細物(こまもの)などが販売されていました。西谷家文書はこうした商取引の具体像を示す資料です。

 

能州黒島森岡屋善兵衛船加茂酒田行荷物送り状写
天明7年(1787)10月 兵庫県立歴史博物館蔵 西谷善九郎家文書

 この展覧会では、この文書群から商品の輸送に関する資料を4点展示します。たとえば、京細物や京友禅、播州木綿や古着といった上方の商品が、摂津や播磨、越前、能登などの船で日本海を運ばれ、最上川河口の港である出羽の酒田(酒田市)に入津、さらに、酒田から最上川中流の大石田(大石田町)へと川舟で輸送されていたことを示す文書などを展示します。

 

酒田の日和山(2014年11月5日)
出羽大石田の最上川(2015年7月13日)

 最上川中流域で生産された紅花は、河口の酒田から日本海・瀬戸内海へと続く西廻り航路の海運で上方へと送られていました。そして、京都に届いた紅花は、京染の織物や口紅などの細物となり、ここで紹介した西谷家文書でみられるように、再び山形へと環流していました。西廻り航路の海運は、日本列島の北と南の産物を循環させ、列島経済の骨格の一つを構成する役割を担っていたのです。

 

酒田・大石田・山形

 また、姫路と出羽酒田とのつながりを示すおもしろいエピソードも知られていました。この話しは三浦俊明氏が『姫路市史』などで紹介されているものです。播磨姫路には、奈良屋という木綿商人がいました。奈良屋の店は、姫路市街の中心地区、百貨店のヤマトヤシキがある付近にあったようです。この奈良屋は、酒田の豪商・大地主の本間家などと商取引をとおして親密な関係にありました。なかでも本間家三代目の光丘は、16歳のころしばらく奈良屋に滞在していたことがあり、その後も奈良屋との交流を続けていたことが知られています。

 

姫路と酒田

 酒田の本間家は商業・金融・地主を生業とし、「本間様には及びもないが、せめてなりたや殿様に」などと謡われるほどに繁栄した家でした。光丘(1732〜1801)はその三代目で本間家発展の基礎を築いた人物です。相場で財をなした叔父宗久の後見を受けつつ、堅実な経営で家業を発展させる一方で、酒田西浜海岸の砂防林の植林や、庄内藩への金融支援など公益活動にも積極的にとりくみました。晩年には上杉鷹山による米沢藩の藩政改革をも支援しています。

 

酒田の本間家旧本邸(2014年11月5日)

 姫路市史編集室には、この酒田の本間光丘が奈良屋に宛てた口上書が所蔵されています。この文書で光丘は、来年が先代奈良屋権兵衛の十三回忌にあたることと、先年来提案があったままになっている奈良屋の菩提寺正法寺の修繕について支援したいなどと伝えています。

 

本間光丘口上書 (明和4年・1767)3月16日
姫路市史編集室蔵 馬場家文書

 この申し出は、翌年に現実のものとなっていました。正法寺の旧本堂の唐戸には、明和5年(1768)11月に馬場了可(奈良屋権兵衛)の十三回忌に羽州庄内酒田の本間光丘が寄進したとの銘が刻まれています。この唐戸こそが、先の口上書で光丘が申し出た支援が実際の形になったものと考えられるのです。このように、西廻り航路の海運をとおした商業活動は、単なる経済活動にとどまらず、遠く離れた地域間での人的交流をも生み出していたのです。

 

正法寺本堂唐戸 明和5年(1768)11月
正法寺蔵 写真提供:同寺

 余談ですが、当館の学芸員の中にも酒田出身のものがいます。こんなところにも姫路と山形とのご縁がありました。今回は展示をとおして、歴史の中でつちかわれてきた地域間の交流の縁をご紹介していますが、現在の私たちがそれぞれの地域を発展させていく上でもこうした歴史を大切にしていければと思います。

 そのほか、本展では新潟県域の佐渡や越後の北前船主たちが伝えた資料や、兵庫県域の但馬、播磨、淡路、摂津各地に伝わる関連資料を多数展示します。資料をとおして、各地域の発展において北前船が果たした役割や、歴史の中における地域間の交流の姿をご覧いただければ幸いです。

 

特別展「北前船」チラシ

 また、ここでご紹介した姫路奈良屋と酒田本間家との交流などについては、9月27日(日)に三浦俊明氏をお招きして開催する講演会でも詳しくお話しいただく予定です。ご関心を持たれた方は是非ご聴講いただければ幸いです。三浦氏の講演は14:00〜15:30まで、当館地階ホールで開催いたします。講演会のみの聴講は無料です。

 

 特別展 新潟・兵庫連携企画展「北前船―地域と文化をつなぐ海のみち―」は、現在展示作業中で、9月19日(土)から11月3日(火・祝)まで開催いたします。数多くの皆様にご観覧いただけますよう、心からお待ちいたしております。

 

特別展会場入り口(展示作業中です)