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学芸員コラム れきはく講座

 こんにちは。兵庫県立歴史博物館です。このコラムは、当館の学芸員が兵庫県域の歴史や、あるいはさまざまな文化財に関するちょっとしたお話をご紹介していくものです。一月から二月に一度のペースで更新していきたいと考えていますので、どうぞよろしくお付き合いください。

 

第65回:江戸の妖怪ウォッチ 2015年8月15日

学芸員 香川 雅信

 

 今さらという気がしないでもないが、『妖怪ウォッチ』の人気はやはりものすごいと言わざるを得ない。2013年にニンテンドー3DS用のゲームソフトとして発売された時は平凡な売れ行きだったようだが、その翌年の2014年にTVアニメ化、そしてそれに合わせて「DX妖怪ウォッチ」と「妖怪メダル」の玩具が発売されたことによって人気が爆発し、社会現象にまでなったことは、多くの方々がご存知だろう。今年に入っても、長年不動の1位を守ってきた「アンパンマン」を抜いて、子どもたちが好きなキャラクターの第1位となるなど、話題が尽きない。

 この『妖怪ウォッチ』に登場する妖怪たちは、人間たちに恐怖を与える存在でもなければ、大きな災いをもたらす存在でもない。日常生活のなかで起こりがちな「困ったこと」の、隠れた原因となる存在として設定されている。例えば、眠れなくなるのは「フゥミン」のせい、突然お腹が減るのは「ひも爺」のせい、テレビのリモコンが見つからないのは「りもこんかくし」のせい、携帯電話がつながらないのは「でんぱく小僧」のせい…といった具合に。

 実は、こうした「妖怪」のあり方は、民間伝承における妖怪の役割と非常に近い。天狗や小豆洗い、砂かけ婆、ぬりかべといった妖怪たちは、時たま起こりうる不可解な出来事の原因として、人々の口の端にのぼるのである。妖怪というと、何やら人知を超えた恐ろしい災厄をもたらすもののように思われがちだが、実際にはたいしたことはしないものがほとんどである。変な物音がするとか、どこからか砂や石が降ってくるとか、前に進めなくなるとか、袖を引かれるとか後をつけられるとか脛をこすられるとか、命に別状はないけれども何だかわからなくて気持ち悪いね、といった現象を引き起こすのが妖怪なのだ。いや、何だかわからないものを何だかわからないままにしておくのは気持ち悪いからこそ、それを「妖怪のせい」にして無理矢理にでも納得しようとするのである。そう考えると、困ったことは「妖怪のせいなのね」とする『妖怪ウォッチ』の世界観は、いわゆる「民俗社会」の世界観によく似ている、と言うことができるだろう。

 もっとも、『妖怪ウォッチ』の妖怪の大半を占めるのは、むしろ身のまわりにいそうな、さまざまな人間の一風変わった「キャラ」を擬人化したものである。

 その場限りの謝罪をしていつまでも反省しない「一旦ゴメン」、何を言っても「むーりー」と拒否をする「ムリカベ」、ずっと家にこもっている「ヒキコウモリ」、言うだけで実行しない「口だけおんな」、自慢ばかりする「じがじぃさん」、絡むとろくなことがない「からみぞん」、長話で人をうんざりさせる「ナガバナ」、映画や小説のネタバレを平気でしてしまう「ネタバレリーナ」…『妖怪ウォッチ』の妖怪たちの多くは、「こういう人、いるよね」と現代の人びとが共感できるような、「身のまわりの困った人たち」の特有のキャラを擬人化したものなのである。

 『妖怪ウォッチ』のなかで、こうした妖怪は、「一つ目小僧」や「ろくろ首」などの「古典妖怪」と対比して「イマドキ妖怪」と呼ばれている。これらは、現代の子どもたちが何に悩んでいるのかをリサーチした結果を反映したものだという。つまり人間関係のなかで生じるさまざまなトラブルを、「妖怪のせい」とすることで子どもたちの心の負担を軽くさせる、という意図があるようなのだ。

 いかにも「イマドキ妖怪」という感じだが、実はこうした「妖怪」は、江戸時代にはすでに存在していた、と言えば驚くだろうか。

 享和3年(1803)に刊行された山東京伝の『怪談模模夢字彙(かいだんももんじい)』は、一種の「妖怪図鑑」として著されたものだが、そこに描かれている妖怪は、すべてパロディとして創作されたものである。例えば「のうらく息子」は、働きもせずのらくらしている商家の息子を妖怪として描いたもので、親の脛にかじりつく姿が描かれている【図1】。「邪魔あらし」は酒に酔って人に迷惑をかけるという妖怪で、酒瓶が胴体になっている【図2】。「岡目八もく」は、はたで見ている方が物事の成り行きや真相がよく見えるという意味のことわざ「岡目八目」から創作された妖怪で、人の打っている碁に口を出したいという一念が化したものと説明されている【図3】。知りたくないことを無理矢理教えてくれるという点では、『妖怪ウォッチ』の「ネタバレリーナ」に近いかもしれない。挿絵では、障子のマス目に目が生じたものとして描かれているが、これは「壁に耳あり障子に目あり」ということわざのパロディであると同時に、江戸時代を代表する「妖怪図鑑」として知られる鳥山石燕の『画図百鬼夜行』の続編『今昔画図百鬼拾遺』に描かれた「目目連(もくもくれん)」のパロディでもある。「目目連」は水木しげるの漫画にも登場するので、ご存知の方も多いだろう。

「図1 のうらく息子」
「図2 邪魔あらし」
「図3 岡目八もく」

 こうした「妖怪図鑑」が描かれたのは、貨幣経済の浸透や人口増加などにより都市社会が大きく発達していく時期であった。都市生活のなかで出会うさまざまな種類の人々を類型化し、さらにそれをデフォルメして滑稽なものとして笑い飛ばす、というのが、これらの「妖怪図鑑」の狙いだったと考えられる。だとすれば、こうした「妖怪図鑑」は、まさに江戸の『妖怪ウォッチ』だったと言うことができるだろう。